ドル買事件と金解禁の挫折とは? わかりやすく解説

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ドル買事件と金解禁の挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 03:12 UTC 版)

金解禁」の記事における「ドル買事件と金解禁の挫折」の解説

1931年昭和6年)に入ると、長期にわたる低金利取引先破綻影響で、経営危機陥る中小銀行相次いだ大手銀行余剰資金投資先を求めて、「為替統制売り」を利用してドル手に入れた上で外債などに投資行い始めた一方同年4月濱口首相前年狙撃受けた傷の悪化によって政務執り難くなり、立憲民政党総裁若槻禮次郎交替して同年4月14日第2次若槻内閣発足した。ただ、井上大蔵大臣留任した同年5月8日オーストリアのクレジットアンシュタルトが破綻3日後に取引停止となった。同銀行ウィーンロスチャイルド家影響にあった同国最大銀行であり、ドイツ・イギリスの金融界とも密接な関係にあったこのためヨーロッパ金融市場大混乱陥った日本大手銀行は、ヨーロッパ市場における外貨調達に困難を感じるようになり、日本国内においてさらなる為替統制売り」を利用したドル買い海外支店への送金走った。これを受けて政府為替相場安定のために正貨現送強めた。この一連の動きは、為替相場一気円安転じさせる大きな可能性秘めていた。これに気づいた大手銀行投機筋は、為替差益による利潤狙った投機目的のためのドル買い画策し始め、後にドル買事件ドル問題)と呼ばれる問題発展していくことになる。 同年9月18日柳条湖事件きっかけ満州事変勃発。さらに同年9月21日には、井上一縷の望み託していたイギリスも金輸出禁止して金本位制から離脱した井上財政根幹である緊縮財政と金本位維持根拠崩れた見た大手銀行投機筋は、一斉にドル買い殺到したこのため同年9月末までの10日間で2億4,700万円ドル為替買われその結果金解禁以来正貨流出は6億5,000万円にも達した。その一方で日本国内正貨急速に減少し深刻なデフレ様相見せ始めたドル買い最大手は、アメリカ系ナショナルシティ銀行現在のシティバンク)であり、36%を占めていた。これに、住友銀行(8.6%)、三井銀行(7.8%)、三菱銀行(7.2%)、三井物産(5.5%)が続いた[要出典]。世論は、大手銀行私利私欲のためにドル買占め行って、金輸出禁止に伴う為替相場下落狙っていると非難した井上は、こうしたドル買い加えて満州事変勃発以後中国における反日感情の高まりから日本通貨の信用低下しているという情報を受け、同年10月5日同年11月4日に、日本銀行に対して公定歩合引き上げいずれも日歩2厘ずつ)を命じドル買い資金の調達困難にすることで大手らの金塊漁り対抗した。さらに同年10月15日には、貿易決済立証できないドル買い全面禁止したが、その頃にはなお2億6千万円以上のドル買いが行われて、1ヶ月で5億円以上の金が買い占められ結果至った井上は、一連のドル買い三井銀行中心とした大手銀行の「売国行為」と非難した。 これに対して三井銀行池田成彬は「三井銀行ロンドン保有している8,000万円もの金がイギリス金輸出禁止によって本国への引き揚げ差し止められたため、その穴埋めのためにやむなく行った行為であり、その額も4,324万円当に過ぎない。それに日本正貨である金輸出認めているのに、その正貨使ってドル買いをして何が悪いのか」と反論したマスコミ三井銀行粉飾決算疑惑取り上げて三井銀行攻撃したが、その根拠曖昧なものであった。にもかかわらず国民右翼無産政党らの反感高まった同年10月17日には、陸軍青年将校右翼による「十月事件」が摘発され同年11月2日には赤松克麿と彼が率い社会民衆党社会青年同盟30名が三井銀行営業部乱入する事件起きた。さらに右翼左翼による他銀行襲撃の噂も囁かれた。金融引き締め効果示しているとみた井上は、同年12月10日歳末理由同年12月15日をもって年内ドル為替一切停止する声明したのである大手銀行側はここにおいて資金面でも心理面でも追い詰められることになった。 ところが、同年12月11日に、協力内閣民政政友連立政権構想進め一方で金輸出禁止唱えて井上対立していた内務大臣安達謙蔵が、党内からの孤立きっかけ閣議ボイコットし内閣崩壊至った元老西園寺公望は、立憲民政党内が分裂含み(後に安達国民同盟結党)である以上、立憲政友会政権任せる他なしと判断して後継立憲政友会総裁犬養毅推挙した同年12月13日犬養内閣発足して高橋是清再度大蔵大臣就任すると、その日のうちに金輸出禁止前回と同じ、名目上許可制)とする大蔵省令が出されて、同年12月17日緊急勅令によって日本銀行券金貨への兌換全面的に停止されて、日本金本位制歴史幕を閉じることとなった。 これによって、ドル為替総額7億5,400万円銀行に対して売り出され一方で為替相場大暴落して金解禁直前100円=49.38ドル1ドル=2.025円)で事実上固定された状態にあった相場は、半年30ドル1ドル=3.333円)を割り1年後には20ドル1ドル=5.000円)を割り込む事態となった。これにより外債利払い負担増加し対策として電力連盟というカルテル結成された。その後政府介入恐慌小康化で1934年昭和9年)頃には100円29ドル1ドル=3.450円)前後安定したこの間ドル買い占めた銀行莫大な利益上げたことは明らかであり、これが国民世論における大手銀行抱えた財閥への非難軍部対外進出路線への支持転化する一因となったこうした中で2月3月起こった血盟団事件時代象徴していた。 緊急勅令による再禁止までに流出した金は600トンにのぼるという。ただし、日銀正貨準備額をさかのぼると被害正確な規模分かる第一次世界大戦後最高値である大正10年の21.83億円が、まだ解禁していない昭和4年末で10.72億円に落ち込んでいる。そして再禁止昭和6年は4.69億円である。落ち込み激しさは、関東大震災経た期間の方が金解禁から再禁止までの間にまさる。その震災電力会社外債発行させ、利払い対策結成され電力連盟顧問には池田がいた。

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