ドルかい‐じけん〔‐かひ‐〕【ドル買い事件】
ドル買い事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:13 UTC 版)
浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が1930年に金解禁を行うと、世界恐慌が日本に波及して昭和恐慌になり、会社が次々に倒産し、大衆の失業や娘の身売りや欠食児童が日本じゅうに蔓延した。そのような状況で、1930年〜1931年に三井銀行が大量のドル買いを行ったところ、井上蔵相が国策に反する行為として批判し、マスコミが追随した。1930年上期に三菱銀行・安田銀行・第一銀行は収益が減少したが、三井銀行はドル買いで巨利を得て増収になったと、1930年8月22日に東京朝日新聞が報道して、三井を売国奴扱いした。その後、多くのマスコミがドル買いを金本位制堅持の国策に反する国賊的な投機として報道した。すると、世間も左翼も右翼も三井財閥を売国奴とみなして非難した。この頃から「財閥冨を誇れども、社稷を思う心なし」という歌詞の昭和維新の歌が流行した。実は、このドル買いは正当な行為だった。三井銀行は東邦電力債・日本電力債・東京電灯債の外債を欧米で募集したのだが、その利払いのためと、先物約定取引を履行するために、必要な外貨を確保したのだった。また、英国の金本位制離脱に際して、三井銀行ロンドン支店の円貨八千万円が凍結されてしまって、二千四百万円の為替差損が生じた結果、1936年下期に千二百万円の損失を計上したのだが、取り付け騒ぎや金融恐慌の再来を恐れて、公表しなかった。デモ隊が三井銀行本店に乱入し、三井家に脅迫が相次いだだけでなく、1932年3月5日に三井合名理事長團琢磨が極右の血盟団員に暗殺された。
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