1871年 - 1945年(円の誕生 - 戦前 - 戦中)
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1871年 - 1897年 円の誕生 1871年(明治4年)5月10日の「新貨条例」(明治4年太政官布告第267号)の公布により円が正式に使われるようになった。この条例の内容は次のようなものである。純金1.5グラムを円、円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘とする。 金貨を本位とし、1円金貨は量目25.72グレイン、品位10分の9、純金量23.15グレイン=0.4匁=1.5グラムと規定する。 これまでの1両は、新貨幣1円と名目上は等価とする。 貿易通貨として1円銀貨を鋳造する。貿易銀100円につき本位金貨101円を交換比率とする。 一方、1837年に決められていたアメリカの1ドルの量目は25.8グレイン、純金量23.22グレインであった。この結果、円が生まれた時のドル/円相場は1ドル=1円強であった。 ただし、貿易赤字の下に金貨が大量に流出し、金貨鋳造が減退する一方で、銀貨の鋳造が増進し、1878年(明治11年)に、もともとは貿易用途に限られた銀貨を国内にも通用させることとして制度上は金銀複本位制となったが、市中では銀貨と銀兌換紙幣のみが使われる状況で実質的には銀本位体制となった。平行して国際的な銀の価格も下落したことから、銀を本位とする円の実勢価値は金に対して凡そ半減した。 また、1877年に発生した西南戦争の戦費を賄うため、不換紙幣を大量に発行したことからインフレが始まり、同時に円安が進行し1894年頃には1ドル=2円程度となった。 1897年 - 1917年 本格的金本位制確立 日清戦争で得た賠償等の金3800万£余を準備金として1897年に本格的な金本位制を確立することとし、西南戦争の戦費調達のために発行した紙幣を回収し、また、国内の銀貨の流通も停止した。この時、貨幣法(明治30年法律第16号)を施行し、その中で平価を金0.75g=1円に改め、新貨条例施行時に発行した金貨(1,2,5,10,20円金貨)は、それぞれ2,4,10,20,40円と価値を倍にして通用させた。その後20年間は100円=49.875ドル(平価)で安定した。 1917年 - 1930年 第一次世界大戦下の金本位制離脱と、金解禁の模索 1914年に始まった第一次世界大戦のさなかに欧州列強が次々と金兌換を停止し、1917年にアメリカが金兌換を停止したのに追随して日本も金兌換を停止した。戦後に欧米列強は金本位制に復帰したが、日本は1920年の戦後不況による経済的混乱や1923年の関東大震災に際しての輸入超過から円は100円=40ドル前後に下がった。爾後金解禁(金本位制への復帰)に備えて円高を指向して緊縮財政を採った事から100円=49ドルにまで上がり、その後も為替が変動する中で金解禁の機会をうかがったが、1927年の昭和金融恐慌に端を発する恐慌や、1928年の張作霖爆殺事件の処理を巡る内閣辞職で先送りされた。 また、金本位制に復帰する際の平価を巡る議論があった。法律上の100円=49.875ドルとする旧平価と、実勢に沿って円を切り下げて100円=40-44ドル前後とする新平価のいずれで金本位制に復帰するかで議論があったが、円通貨の価値を維持する威信の面や、平価変更に必要な法律改正を嫌う面から旧平価での復帰が志向された。 1930年 - 1931年 金解禁 濱口内閣の下で1930年1月11日に漸く旧平価で金解禁を実施した。ただし、1929年10月の暗黒の木曜日に端を発する世界恐慌の中で金解禁を行ったことから日本の金は海外、主にアメリカに流出した。また恐慌を受けて金本位制を離脱した諸外国の通貨が下落したのに対して兌換を維持する円は相対的に割高となった。しかし、いずれ兌換を維持できなくなれば、当然、円は暴落すると見た投機筋が為替統制売りを利用してドル買いに走り(ドル買い事件)、日本の金本位制離脱を待ち受けた。 1931年 - 1945年 金本位制離脱、管理通貨制度へ 1931年イギリスが金本位制を停止し、濱口の後を継いだ若槻内閣から政友会の犬養内閣へ政権交代すると日本も金本位制から離脱し、1931年12月17日に銀行券の金への兌換も停止した。これにより1931年11月の100円=50ドル前後(1ドル=2円)から一気に円が下落し、1932年11月には100円=20ドル前後(1ドル=5円)にまで大幅な円安となり、物価が上昇した。円安の背景には単に金兌換停止の影響のみならず満洲事変・第一次上海事変で日本の信用が失われた事情もある。一方で円安が輸出に好影響を及ぼして日本からの輸出が拡大し国内の景気は回復したが、これがダンピングであると世界的に非難されると共に不況に喘ぐ列強各国が経済のブロック化に動き、日本は世界経済から排斥され苦境に立たされた。1940年には100円=24ドル前後(1ドル=4.2円)となった。
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