誕生 - 戦前とは? わかりやすく解説

誕生 - 戦前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/03 14:23 UTC 版)

アンリ・ラングロワ」の記事における「誕生 - 戦前」の解説

1914年11月13日トルコ共和国当時オスマン帝国イズミル生まれたアンリ・ラングロワは、映画フィルム保存および修復事業先駆者であり、シネマテーク・フランセーズフィルム修復技術者ひとりである。ジャーナリストの父を持ち青春期パリ名門リセ・コンドルセ校(Lycée Condorcet)で過ごした。 彼は私費投じてごくわずかフィルムからこのアーカイヴ運営始めた創設時フィルム保管場所は、ラングロワの家のバスタブだったという話もある。だがその後数十年間で、コレクション数千タイトル数えるほどになった21歳アンリ・ラングロワ24歳ジョルジュ・フランジュ、そして28歳ジャン・ミトリ1936年9月2日パリシネマテーク・フランセーズ前身となるシネマ・アーカイヴをつくったアーカイヴ創設時フィルムはわずか10本。当時映画フィルム公開後裁断されマニキュアなどの原料とされていたが、それを買い集めたものだったという。それが1970年には6本を超えた所蔵されていたフィルム大半劣化しやすいセルロイド製で、長期間保存するためには厳しく管理され環境を必要とした。だが単にフィルム保管するだけにとどまらず、ラングロワは破損したフィルム修復復元上映行った第二次世界大戦中は、ラングロワたちは数多くフィルムナチス・ドイツの手から救った人びとから忘れ去られそうなフィルム救いたいというラングロワの願いには、ルーツがあると考えられる第一次世界大戦中彼の生まれ故郷の町は、破壊略奪受けた。ラングロワの子ども時代イズミルスミルナというギリシャ語の名前をもつ町だった。だがスミルナの港は、1919年トルコ軍基地襲撃し一帯占領したギリシャ軍によって、一部破壊された。1922年にはトルコ軍が町奪還したが、この時にはギリシャ人大半国外追放されたり殺されたりしたのである

※この「誕生 - 戦前」の解説は、「アンリ・ラングロワ」の解説の一部です。
「誕生 - 戦前」を含む「アンリ・ラングロワ」の記事については、「アンリ・ラングロワ」の概要を参照ください。

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