誕生・少年期
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1871年8月30日、国木田貞臣(専八、文政13年10月19日生)、淡路まん(天保14年12月27日生)の子として、宮谷県海上郡銚子に生まれた。父・専八は、旧龍野藩士で榎本武揚討伐(戊辰戦争)後に銚子沖で避難し、吉野屋という旅籠でしばらく療養していた。そこで奉公していた、まんという女性と知りあい、独歩が生まれた。このとき専八は国元に妻子を残しており、まんも離縁した米穀商の雅治(次)郎との間にできた連れ子がいたとされる。独歩は、戸籍上は雅治郎の子となっているが、その他の資料から判断して、父は専八であるらしい。1874年、専八はまんと独歩を伴い上京し、東京下谷徒士町脇坂旧藩邸内に一家を構えた。1876年には国元の妻と正式に離婚が成立している。この頃、専八は司法省の役人となり、中国地方各地を転任したため、独歩は5歳から16歳まで山口、萩、広島、岩国などに住んだ。 少年期、学校の成績は優秀で読書好きである反面、相当な悪戯っ子であった。喧嘩の時に相手を爪で引っ掻くことから「ガリ亀」と渾名された。自らの出生の秘密について思い悩み、性格形成に大きく影響したとみられる。錦見小学校簡易学科、山口今道小学校を経て、山口中学校(現:山口県立山口高等学校)に入学。同級の今井忠治と親交を結んだ。
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