誕生・性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:04 UTC 版)
「ダイヤモンドジュビリー (競走馬)」の記事における「誕生・性格」の解説
アルバート・エドワード皇太子(のちのエドワード7世)によって生産・所有された。母パーディタはエドワード7世がデイヴィッド・ファルコナーから900ギニーで購入した馬で、セントサイモンとの間に何頭も活躍馬を出した。全兄にフロリゼル、パーシモン、サンドリンガムがいる。 馬名はヴィクトリア女王在位60周年を記念してつけられたものである。 気性はセントサイモン産駒の中でも最悪で、世界広しと言えども、この馬以上に気性の荒い競走馬はいないとまで言われている。悪魔の気性を持つとまで言われるほどの凶暴な性格で、馬丁の指を食いちぎるのがまだ軽いくらい、まともに扱えるものは少なかった。激しい気性でまともなレースにならないことも多く、レース中にレースそっちのけで騎手を振り落とそうとしたり、パドックでは見物人を蹴飛ばそうとしたり、スタート前やレース中に騎手を振り落として暴走したりと、最早ロデオで使った方がいいとまで言われるくらい無茶苦茶な暴れ馬で、2歳時は6戦して1勝に終わっている。大抵の騎手はまともに乗れず、挙句の果てに踏み殺されそうになったりしたため、ほどなく騎手の誰もが乗るのを嫌がるようになり、やむなく担当厩務員のハーバート・ジョーンズを乗せてクラシックに挑む有様だった。 引退後、アルゼンチンに渡ってからも性格はまったく改善しなかった。あるとき体調を崩し、その凶暴性と危険性から薬を与えられないので、棒に薬を塗って目の前に差し出し噛みつかせた、馬房に迷い込んだ浮浪者の腕を食いちぎろうとした、脱走して近くの町に逃げ込んだ際に行く手を遮ろうとした男子生徒たちに怒り狂って、その輪に突撃した(その後も暴走を続けて最終的に駅で捉えられた)等、数々の逸話と悪名が伝わっている。火のような性格に加え、用心深さとずる賢さまで兼ね備えていたため、本馬の制御は最期まで困難を極めた。
※この「誕生・性格」の解説は、「ダイヤモンドジュビリー (競走馬)」の解説の一部です。
「誕生・性格」を含む「ダイヤモンドジュビリー (競走馬)」の記事については、「ダイヤモンドジュビリー (競走馬)」の概要を参照ください。
- 誕生・性格のページへのリンク