戦前 - 大阪野村銀行としてスタート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:02 UTC 版)
「大和銀行」の記事における「戦前 - 大阪野村銀行としてスタート」の解説
元来小規模な両替店から証券業務に参入し、日露戦争、第一次世界大戦の好景気において兼業の株式仲買業で財を成した野村商店(大阪屋証券・コスモ証券を経て現在の岩井コスモ証券)を営業していた野村徳七(2代目)は、念願の商業銀行設立に動く。そして、1918年6月、資本金1000万円の株式会社大阪野村銀行として創立され、同年8月に開業した。(青森にすでに野村銀行の名前で営業している銀行があったため) こうして誕生した大阪野村銀行は、発足後間もなく第一次世界大戦後の反動不況、さらに関東大震災に遭遇したが、着実な経営姿勢の堅持によりかえって信用を高め、次の発展の基盤を固めた。その間、証券金融の活性化を主眼とし、担保付社債信託業の兼営と公社債専門の証券部門の設置を行って、次第に証券銀行(投資銀行)としての色彩を強めて行く。また、1925年8月に安藤銀行、1926年11月に福陵銀行、1927年9月に森岡銀行を買収併合した。
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