戦前 - 在名3行の合併とは? わかりやすく解説

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戦前 - 在名3行の合併

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:11 UTC 版)

東海銀行」の記事における「戦前 - 在名3行の合併」の解説

株式会社愛知銀行は、尾張徳川家に関係の深い豪商素封家発起により、1896年3月第十一国立銀行1877年4月設立)と第百三十四国立銀行1878年11月設立)の2行が合併、両行の営業引き継いで設立された。1914年から1918年の間に、関戸銀行一宮銀行東美銀行大垣銀行北方銀行枇杷島銀行合併している。 株式会社名古屋銀行は、1882年7月名古屋区長吉田禄在の呼びかけで、有力実業家10人の発起により設立された。1907年からの10年間に、津島銀行笠松銀行金城銀行などを合併している。 株式会社伊藤銀行は、名古屋富豪伊藤家金融事業個人経営伊藤為替方)に端を発し1881年6月名古屋最初私立銀行本店として設立されいわゆる伊藤財閥中核として機能した1938年1939年中埜銀行知多銀行合併している。 上記3行は、中部圏商工業興隆、他銀行買収合併などによって着実に業容拡大し1940年末における愛知銀行名古屋銀行伊藤銀行預金量は、全国普通銀行292行中それぞれ10位・12位・32であった1941年6月政府の「一県一行主義」の方針に従って上記の3行が新設合併し、資本金3760万円株式会社東海銀行設立された。当時業容は、預金8億9300万円貸出金4億0300万円店舗数141カ店、従業員3468人であったその後東海銀行銀行業整備国策基づいて1945年中央信託信託部門営業譲り受け同時に愛知県内岡崎銀行稲沢銀行大野銀行地元銀行相次いで合併し県下唯一の本店銀行となった設立後終戦までの同行は、中部圏地場産業等に対す戦時統制制約を受けながらも、預金貸出順調に拡大させた。

※この「戦前 - 在名3行の合併」の解説は、「東海銀行」の解説の一部です。
「戦前 - 在名3行の合併」を含む「東海銀行」の記事については、「東海銀行」の概要を参照ください。

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