岡崎銀行とは? わかりやすく解説

岡崎銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/01 09:57 UTC 版)

岡崎信用金庫資料館(旧岡崎銀行本店)

岡崎銀行(おかざきぎんこう)とは、かつて愛知県岡崎市に存在した日本の銀行である。

概要

1881年明治14年)に設立された岡崎貯金会社が前身で[1][2]、当貯金会社の業務を継承し、1890年(明治23年)に設立[1][3]

1902年(明治32年)5月に、当銀行の貯蓄業務を継承した、岡崎貯蓄銀行が設立される[3]。 その後、1927年昭和2年)に稲橋銀行を合併し、1937年(昭和12年)には、碧海銀行を買収。1941年(昭和16年)時点での預金総計は7,400万円で、同時期の岡崎信用組合(岡崎信用金庫の前身)の約17倍の残高を誇った[2]

1943年(昭和18年)に、岡崎貯蓄銀行を合併し、1945年(昭和20年)には、一県一行主義に基づき東海銀行(現三菱UFJ銀行)と合併している[2]。奇しくも岡崎銀行の株主総会にて合併が決議されたのは、玉音放送があった8月15日だった[2]

旧本店建物は1982年(昭和57年)11月2日、岡崎信用金庫資料館として開館した[2]

出典

  1. ^ a b 岡崎貯金会社”. 銀行変遷史データベース. 一般社団法人全国銀行協会. 2025年9月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e 岡崎信用金庫100年史”. 岡崎信用金庫. 2025年9月23日閲覧。
  3. ^ a b (株)岡崎銀行”. 銀行変遷史データベース. 一般社団法人全国銀行協会. 2025年9月23日閲覧。

岡崎銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 05:36 UTC 版)

岡崎信用金庫資料館」の記事における「岡崎銀行」の解説

1890年明治23年)に設立されていた岡崎銀行(1945年昭和20年)に東海銀行合併。現三菱UFJ銀行)は、1917年大正6年4月伝馬通りに本店移転鈴木禎次設計依頼し本店として建設されたのがこの建物である。辰野金吾を師とする鈴木名古屋拠点とした建築家であり、鶴舞公園奏楽堂噴水塔など、東海地方数多く建築物手掛けていた。赤煉瓦御影石組み合わせた重厚なルネサンス様式建物である。

※この「岡崎銀行」の解説は、「岡崎信用金庫資料館」の解説の一部です。
「岡崎銀行」を含む「岡崎信用金庫資料館」の記事については、「岡崎信用金庫資料館」の概要を参照ください。

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