岡崎謙没後の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/12 03:06 UTC 版)
1954年、創建者岡崎謙が没すると、岡崎家能舞台は同氏の遺志により同年、同家の邸内にあるままにて小樽市に寄贈され、翌1955年には宝文会・弘生会共催にて、宝生英雄(当時宝生流若宗家、後の十八世宗家)、宝生弥一(1981年重要無形文化財(人間国宝認定)を招いて岡崎謙氏追善演能大会が開催された。 1961年、小樽市公会堂の移築に伴って、岡崎邸敷地内にあった能楽堂の能舞台部分(見所・楽屋以外)が現在の場所に移築された。 1985年、旧岡崎家能舞台は小樽市の歴史的建造物に指定されたが、一般の目に触れることなく年月が流れた。 1993年に一般公開が開始され、2006年には同家現当主から同家で所有してきた611点の能装束等も小樽市に寄付された。同家では長年、能楽団体への装束・能面等の貸し出しを行ってきていたが、現在では夏期にこれらを合わせて一般客が見学できるほか、市民団体有志によりその歴史的価値を共有すべく各種催しも開催されている。
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