戦前 - 在阪3行の合併で発足とは? わかりやすく解説

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戦前 - 在阪3行の合併で発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:21 UTC 版)

三和銀行」の記事における「戦前 - 在阪3行の合併で発足」の解説

三和銀行は、1933年昭和8年12月いずれも本店大阪に置く、三十四銀行山口銀行鴻池銀行の3行合併により創立された。 鴻池銀行は、鴻池家により1877年5月設立され第十三国立銀行端を発し三和銀行はこのときを創業日にしていた。鴻池家江戸時代初期1656年両替店開いており、歴史三百数十年に及び、国際的に極めて古い金融業者であった三和銀行ロゴの下に「since 1656」と書かれていたのはこのためである(以前はsince 1877だった)。 山口銀行大阪山口財閥中心企業で、江戸時代末期1863年開業の布屋両替店が源である。山口家1879年4月第百四十八国立銀行設立し、これを山口銀行継承した三十四銀行大阪繊維関係の商人である岡橋治助、原嘉助野田吉兵衛永井仙助、村上兵衛渡辺庄助山口善五郎の7人が1878年3月設立した第三十四国立銀行起源とし、堅実経営徹しながらも中小工業対す長期金融開始するなどの特色があった。 昭和初期昭和金融恐慌下、三井銀行三菱銀行住友銀行安田銀行財閥系銀行シェア伸ばす中で、前述3行も他の小銀行併合などにより、これらに次ぐ有力銀行としての地位固めていたが、時の軍需産業重化学工業など新興産業台頭比し資金量が小規模に留まり、また同じ繊維業界を営業地盤とする3行の競争望ましくないとして、合併進んだ1933年三和銀行創立準備委員会設けられ佐野政晴(三十四銀行常務)、信敬二(山口銀行常務)、松野龍雄(鴻池銀行取締役)の3人がメンバーになり、新銀行は本店大阪市東区の旧鴻池銀行本店置いた頭取には当時 日本銀行 理事にあり、それまで大阪支店にあって3行統合唱道していた中根貞彦就任常務理事には上述の3人に日本銀行から下田元一が加わった合併行の行名選定にあたっては「三和三友三光三山三吉・三衛・三栄三協」などの多数候補名があったが、中根頭取が「三和」を選んだ理由として、後日三和の意は文字通り三行和することを意味する」と強調したまた、行内史『三和銀行歴史によれば創立当時三和の三は三十四の三、和の扁である禾は鴻池新田の稲を意味し、和の旁の口は山口の口からとった」という説明なされている。なお、この合併の推進図った当時日銀総裁土方久徴頭取人選一任され三和」と命名したとされている。 設立直後年末第1回決算預金高は10億円超え日本普通銀行トップ立った。しかし、その後大阪経済的地盤低下や、在京銀行による中小銀行併合などにより、預金ランキング落としていく。

※この「戦前 - 在阪3行の合併で発足」の解説は、「三和銀行」の解説の一部です。
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