誕生 - 店舗用BGM時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:30 UTC 版)
「スネークマンショー」の記事における「誕生 - 店舗用BGM時代」の解説
1975年、メンズビギ(MEN'S BIGI)のファッションショーの選曲を任された桑原が、映画『アメリカン・グラフィティ』でのオールディーズソングの合間をドラマチックに埋めるウルフマン・ジャックのような音楽演出を再現したいと考え、そうなると小林以外にできる人はいないと、旧知の小林に依頼したのが始まり。この際ウルフマン・ジャックに対抗してキャラクター名をつけようとなり、小林が巳年生まれだったことから"スネークマン・ジョーンズ"なる人物が設定された。今で言えば桑原はクリエイティブ・ディレクター、小林はバイリンガル・パーソナリティーだが、当時はいわば正体不明・職業不詳の人物であった。 このメンズビギのウルフマン・ジャックショー形式のDJが好評だったことから、その後すぐにエドウインから、店内用BGMを同じようなスタイルで制作してくれないかと依頼が来る。1975年の終わり頃、ふたりは30分番組形式の店内BGMを作成、これがエドウイン800店舗で放送された。この店内BGMと、後のラジオ版スネークマン・ショーとの違いは、英語パートのみならず日本語パートも小林がナレーションをしていること、英語のナレーションでは最後の「その名はスネークマン・ショー!」という部分を「その名はスネークマン・ジョーンズ!」と言っていることである。 しかし「ジョーンズ」という名はライバルメーカーの商号である「ビッグジョン」を想起させることから、店内BGM時代の初期に削られた。当時、音楽番組での洋楽アーティストの紹介は、「結成は19〇〇年、何人組で〜」といった、そのアーティストのうんちくを紹介する堅い解説が多かったため、英語交じりのスネークマンのナレーションは革新的であった。
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