反日感情の高まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 02:58 UTC 版)
1931年の満州事変勃発に伴い、中国人の新聞記者が、記事の中で日本に対する蜂起を呼びかけたり、南京の国民党政府が、同年9月23日を『国恥記念日』と制定するなど、在香港の日本人と中国人の間で緊張が高まるようになる。『国恥記念日』となった9月23日の夜には、湾仔の荘士敦道(ジョンストンロード)にある日本人経営のパブが中国人による投石の被害に遭い、その翌日には、堅尼地城(ケネディタウン)にある香港本願寺小学校に掲げられている日章旗が燃やされ、反日暴動は25日頃まで続いた。 その後は日本人家族に対するリンチ事件まで起き、9月26日の中秋節に山下一家の6人が1,000人以上の中国人男性から襲われ、両親がナイフで刺されその場で死亡、祖母と息子3人のうち2人が搬送先の病院で死亡した。事態を重く見た植民地政府は、その日の晩に軍隊を出動させ、翌27日に非常事態宣言を発令した。また、この一連の暴動7(特に山下一家へのリンチ事件)が、第一次上海事変勃発の引き金の一つになったという見解もある。
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