DAICON FILM
(ダイコンフィルム から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/10 07:28 UTC 版)
DAICON FILM(ダイコンフィルム)は、1981年から1985年にかけて活動したアニメ・特撮を中心とする自主映画の同人制作集団。アニメ制作会社ガイナックスの母体となった。
活動の概要
DAICON 3
1981年、大阪で第20回日本SF大会(愛称「DAICON 3(ダイコン・スリー)」、大阪で3度目の開催であることからこう呼ぶ。DAIは大阪の「大」CONは大会を意味するconventionから来ている。)が開催された時、開会式において1本の8mmアニメーションが上映された。日本SF大会は開催地近辺の大学生によって運営されるのが通例であり、DAICON 3も岡田斗司夫・武田康廣らを初めとする大阪近辺の大学生たちが運営主体であった。そして、岡田らから依頼を受けて、このアニメーションを実際に制作したのは当時大阪芸術大学に在籍した庵野秀明、赤井孝美、山賀博之といった後にプロで活躍する面々だった。
庵野らはそれほど意気込みがなかったが、山賀が率先して企画を推進した。ペーパーアニメの経験こそあったもののセル画によるアニメ製作は初めての経験だったという。プロとしての技術もノウハウも何もない手探りの状態であったため、プロのアニメスタジオに足を運び、技術を学んだ。費用削減のため、通常使用しない安価な工業用セルロイドを使うなどの試みも行われた。
SF大会のために集まった彼らは、DAICON 3の終了とともに解散して活動も停止するはずであった。しかしイベント運営で培った経験と技術とチームワークが失われることを惜しみ、なおかつ2年後の1983年に大阪で再び日本SF大会DAICON 4を開催することを目標に、訓練されたスタッフの育成のために自主映画活動を始めた。そのときに結成されたのが、DAICON FILMである[1]。
岡田は自身が経営するSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」でDAICON FILM作品の映像ソフトとグッズを販売。1万円以上するビデオが3,000本以上売れたという[2]。その利益が次の作品の製作費になっていた。
その後、DAICON FILMは8mm特撮映画『愛國戰隊大日本』・『快傑のーてんき』・『帰ってきたウルトラマン』を制作した。これらの作品も先の『DAICON III OPENING ANIMATION』と同様にアニメ雑誌『アニメック』で大きく採り上げられ、DAICON FILMは徐々に知名度を上げていった。
DAICON 4
1983年、再び大阪で日本SF大会が開催されることになった。大阪で4度目のSF大会「DAICON 4(ダイコン・フォー)」である。このDAICON 4の運営組織であるDAICON 4実行委員会とDAICON FILMは実質的に同じ組織であった[1]。
『DAICON IV OPENING ANIMATION』には、アニメ制作会社アートランドに所属していた板野一郎、平野俊弘、垣野内成美らプロのアニメーターが協力した。これはDAICON 3のオープニングアニメの出来に目をつけたSF企画集団スタジオぬえに誘われて、庵野秀明、山賀博之が上京し、アニメ制作部門のないスタジオぬえがアートランドを紹介。そのアートランドが制作していたテレビアニメ『超時空要塞マクロス』にDAICON FILMから庵野秀明、山賀博之がスタッフとして参加した縁による。この東京での活動は後に彼らがプロとして活躍する足がかりとなった。また、赤井孝美と同郷だった前田真宏、前田の大学の先輩である貞本義行がDAICON FILMに合流、ここで後のガイナックス中核となるメンバーが揃っている。
その後、1984年に当時の自主映画としては珍しい16mmフィルムによる特撮映画『八岐之大蛇の逆襲』を制作した。この作品は1985年バンダイから販売されている。そして、1984年末『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の企画をきっかけとして、DAICON FILMを解散しアニメ制作会社ガイナックスを設立した。このDAICON FILMからガイナックス設立へと至る過程は、当時の『月刊モデルグラフィックス』誌上において独占的に連載されていた『オネアミスの翼』制作進行連載において詳細に見ることが出来る。
批判
DAICONを運営した岡田斗司夫や武田康廣は、そのサービス精神から「関西芸人」と呼ばれて目立った存在であり、その自己主張の強さと自己宣伝と強烈な個性に旧来からのSFファンを戸惑わせた[3]。それに加えて、これまで日本SF大会はボランティアベースで運営され、赤字が生じた場合は幹部スタッフが穴埋めしていて、大会に参加したSF作家も商売ではないからと無報酬で協力してきた経緯があった[4]。これに対して、岡田斗司夫らが大阪での日本SF大会の名称であるDAICONの名を使ったDAICON FILMでビデオ販売などの商売をしており、日本SF大会は非営利のアマチュアが行うべきという考えのファンからのDAICON FILMの活動は商業主義であると反感を買っていた[5]。
DAICON FILMが製作した『愛國戰隊大日本』を1982年の日本SF大会TOKON 8の本部企画の中で上映したことも問題視された。共産圏からの来客もいた日本SF大会でソ連を茶化す内容の作品を上映したことに対して、ソ連や中国など社会主義圏のSFを積極的に取り上げていたイスカーチェリの同人7人は1982年11月に連名で、同じSFファンとして冗談であっても外国人を侮辱するような内容の企画は組まないようにお願いしますという旨の緊急アピールを発表した[6][7]。
SF作家の筒井康隆は、1964年に大阪初の日本SF大会であるDAICON 1の実行委員長を[8]、1975年に神戸でSHINCONで名誉実行委員長[9]を務めるなど、日本SF大会の運営に関わった経験があったが、岡田らが運営した大阪大会で原爆投下を茶化す『ピカドン音頭』というイベントを実施したことや自主映画『愛國戰隊大日本』の内容について、「アホな演しもの」だ、右翼を賛美しているとして苦言を呈している[10]。
オマージュ
『DAICON IV』をオマージュしたアニメが複数作られている。いずれのオマージュもDAICON FILMを源流とした制作会社によるものである。
それぞれオマージュしている部分は異なり、『おたくのビデオ』『フリクリ』『カセットガール』では元のアニメと同様にバニーガールが登場するが『月面兎兵器ミーナ』では全く別の服装をしている一方で、元のアニメと同じ楽曲『トワイライト』を使用しているのは『月面兎兵器ミーナ』だけである。
『おたくのビデオ』
ガイナックスが制作し、岡田斗司夫が企画を担当したがOVA『おたくのビデオ』には『DAICON IV』の本編が劇中に登場し、庵野秀明の作画について登場人物が語り合うシーンがあるほか、主人公たちが制作したガレージアニメ(同人アニメ)にもオマージュが登場する。同作は岡田斗司夫自身を直接のモデルにしているとされている[誰によって?]。
『フリクリ』
OVA『フリクリ』には『DAICON IV』をオマージュしたシーンが登場する。制作はガイナックス。
『月面兎兵器ミーナ』
2005年に放送されたテレビドラマ『電車男』のオープニングには実写ドラマとしては珍しくアニメーション映像(『月面兎兵器ミーナ』)が用いられた。元のアニメと同じくエレクトリック・ライト・オーケストラの楽曲『トワイライト』が使われており『DAICON IV』をオマージュしたものとなっている。制作はゴンゾ。
岡田斗司夫はドラマ放映当時の2005年7月、この映像について自身のサイトで「DAICON IVへのオマージュと言うかパロディなのは面白い」が、「アニメが下手でセンスが悪い」としていた[11]。
『月面兎兵器ミーナ』を制作したゴンゾは、1992年にガイナックスを退社した村濱章司、前田真宏、山口宏、樋口真嗣らが設立した制作会社である。当初ガイナックスに製作が依頼されたが断られ、ゴンゾが製作することとなったことを、村濱章司が明かしている[12]。
『カセットガール』
2015年に日本アニメ(ーター)見本市の企画で公開されたWebアニメ『カセットガール』も『DAICON IV』をオマージュしたものとなっている[13]。制作はカラー。
『カセットガール』を制作したカラーは、2006年にガイナックス取締役だった庵野秀明が取締役を辞して設立した制作会社である。
作品
- DAICON III OPENING ANIMATION(正確には「DAICON 3実行委員会」制作)(1981年8月)
- 快傑のーてんきシリーズ
- 快傑のうてんき ―危うし少女、メカケの恐怖―(1982年8月)
- 快傑のーてんき2 純愛港町篇(1984年3月)
- 快傑のーてんき in USA(1984年6月)
- ロールプレイングのーてんき in ソウル(1988年8月)
- 愛國戰隊大日本(1982年8月)
- 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令(1983年3月)
- DAICON IV OPENING ANIMATION(1983年8月)
- 早撃ちケンの大冒険(DAICON FILM初のマペット作品)(1984年9月)
- 八岐之大蛇の逆襲(1985年12月)
上記の作品以外にも、『人間版サンダーバード』、『共産戰隊ダイロシアン』、『DAICON版仮面ライダー』、『DAICON版マイティジャック』などが企画されていたが、実現はしなかった。また、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、もともと、DAICON FILMで制作される予定であったが、制作時に設立されたアニメ制作会社ガイナックスでの制作となった。
関連人物
脚注
- ^ a b 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、p.152
- ^ 岡田斗司夫、山本弘、小牧雅伸「オタクの歴史徹底大研究」『空前絶後のオタク座談会1 ヨイコ』音楽専科社、2001年、p77.
- ^ 長山靖生「僕がSFでマンガでアニメで、おたくと呼ばれた頃 記憶の中の80年前後SFファンダム史 中篇」『S-Fマガジン』2011年6月号、p.95
- ^ 長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』河出書房新社、2012年、p.189
- ^ 長山靖生「僕がSFでマンガでアニメで、おたくと呼ばれた頃 記憶の中の80年前後SFファンダム史 中篇」『S-Fマガジン』2011年6月号、p.96
- ^ 吉本たいまつ『おたくの起源』NTT出版、2009年、p.160
- ^ 長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』河出書房新社、2012年、pp.189-191
- ^ 牧真司「日本SF第一世代作家年表」『S-Fマガジン』2011年11月号、p.63
- ^ 牧真司「日本SF第一世代作家年表」『S-Fマガジン』2011年11月号、p.73
- ^ 筒井康隆「エリマキトカゲのサンバ」(『玄笑地帯』新潮社、1985年に所収)
- ^ 岡田斗司夫 (2005年7月12日). “「OTAKING SPACE PORT」 過去の日記”. 岡田斗司夫公式サイト. 2011年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月14日閲覧。
- ^ インターロップで高千穂遥先生とセッションをやることになりました。 村濱章司のブログ 2008年6月5日
- ^ “日本アニメ(ーター)見本市 第35話『カセットガール』メイキング、カラー デジタル部の中核スタッフが来福”. CGWORLD.jp (2016年2月12日). 2016年11月21日閲覧。
関連項目
- アオイホノオ - 島本和彦の漫画。島本はDAICON FILMのメンバーと同時期に大阪芸術大学に在籍しており、当時の様子が自伝的に描かれている。DAICON FILMのメンバーが集まりアニメを制作する過程も、主人公(および当時の島本本人)は直接関わっていないながら、大きく扱われている。
- 近畿大学SF研究会 - DAICONIII,DAICONIV,DAICON6の開催に携わる。
- スタジオ・アオーク - 『DAICON III OPENING ANIMATION』に触発されて結成された同人サークル。あさりよしとお、森野うさぎ、豊島ゆーさくなどの漫画家が集まって複数の短編アニメーションを自主制作した。代表作に『AWAKE』『魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく』などがある。
外部リンク
- DAICON FILM (GAINAX NET) - ウェイバックマシン(2015年6月3日アーカイブ分)
- Daicon III Opening Animation ダイコンフィルム ダイコン・スリー アニメ - YouTube
ダイコン フィルム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 14:50 UTC 版)
庵野らを中心としたグループが、DAICON FILMとしてSF大会のオープニングアニメを制作するまでの過程(主人公である焔が一切登場しない)や、その後の彼らの動向は、本作の主要パートの一つとなっている。 庵野秀明(あんの ひであき) 雰囲気も独特だが、クラスメイトを突然締め上げて、ショッカーの基地のありかを吐かせようとするなど、奇行が目立つ眼鏡をかけた男。異常な密度で描き込まれたパラパラ漫画や、ウルトラマンを題材とした特撮フィルムで、焔の自信を完膚なきまで打ち砕く。メカから女性まで、あらゆる作画が可能で、一度仕事に入れば周囲が心配するほど、寝食が最小限になる驚異の職人気質。風呂嫌い。 大学の1回生から3回生まで、それまで制作した映像をまとめて上映するフィルムコミッションで、ペーパーアニメ「じょうぶなタイヤ」を上映し、焔の自信をまた打ち砕いた。その後、ステレオの大型テレビを持っているヤツがいるという理由で、山賀と共に赤井のいる寮に引っ越す。 デビュー後の島本和彦に初めてサインを求めた男であり、本作で焔のデビュー作が掲載された『増刊少年サンデー』にサインを求めるシーンは、ドラマ版では最終回のクライマックスシーンのひとつになっている。後にこのシーンが描かれた原作では、デビューしても誰からもサインを求められず自信を喪失しかけている中で初サインを求められたことで焔は張り切ってサインを書いているが、庵野自身が何を考えてサインを求めたかは明確に描かれておらず、横で見ていた赤井は「庵野くんも物好きだなあ」「(庵野は)なんでも集めておきたい性分の男だからな」と内心で思っていた。 山賀博之(やまが ひろゆき) 映像製作実習で庵野ら実力のある生徒をまとめ上げ、後に有名になる「庵野ウルトラ」を作る。 自分ではまったく絵が描けないし描くつもりもないが、描ける人間を操ってアニメ業界で一儲けしようと目論むプロデューサー気質の男。作中では年齢に似合わぬ巧妙な交渉術を当然のように使いこなす。隠れた才能を見抜く特技があり、すぐに庵野と赤井を取り巻きにし、誰も評価しない焔制作アニメすらうまいと言及した。諸星ダンによく似ている。 作品上では、庵野秀明と同じ寮に住んでおり、部屋には大きなテレビがある。最近(1980年ごろ)のアニメは全く見ておらず、関連知識は全くない。 フィルムコミッション後、今の寮がボロく騒音がうるさかったため、庵野と共に赤井のいる寮に引っ越す。薬師丸ひろ子似の妹がいる。 DAICONⅢのアニメ制作では目立った活躍がなく、アニメ関係者からのスカウトも山賀にはかからなかったにもかかわらず上京を決意。スタッフを手放したくない岡田も建前上は惜しみながらの承諾だったが、本心は「君やったら別にええわ」であった。単身でマクロスの制作スタジオにほぼ押しかけのような形で入り込んでしまう。 赤井孝美(あかい たかみ) 出っ歯の男。初回登場時には庵野秀明にショッカーの基地はどこだと、いきなり首を絞められ落とされる。短編映画の課題で山賀チームに入り、その後も、庵野・山賀と共に3人組で行動している。1話から登場しており登場回数も多いが、作中で説明があったのは夏休みの終わりになってから。フィルムコミッションまでは、庵野・山賀とは別の寮で暮らしていたが、自分の寮に2つ空き部屋ができたので2人を寮に呼び寄せる。すぐに落ち込む欠点があるが、女性作画は得意なため自主制作アニメで任されることになる。 武田康廣(たけだ やすひろ) 帽子・ジャケット・ズボンと全身黒革製で固めた太めの青年。後のガイナックス取締役統括本部長。第20回日本SF大会、通称「ダイコンIII」の責任者。SFは小説だけのものという先人たちの固定観念を覆し、漫画やアニメ、特撮もSFであることを主張するため、庵野たちにオープニングアニメーションの制作を依頼する。 沢村(さわむら) メタルでサングラスをかけた青年。後のガイナックス代表取締役。武田と同じくダイコンIIIの責任者。 岡田斗司夫(おかだ としお) 秘密基地のような怪しげな家に住み、両親譲りの「俺って凄いやろ」オーラを放つ太目の青年。後のガイナックス初代代表取締役。武田によれば「完全にどうかしてしまってる男」。
※この「ダイコン フィルム」の解説は、「アオイホノオ」の解説の一部です。
「ダイコン フィルム」を含む「アオイホノオ」の記事については、「アオイホノオ」の概要を参照ください。
- ダイコンフィルムのページへのリンク