グランツーリスモ
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手前より DB4 GT ザガート、DB4、DB5
グランツーリスモ(イタリア語: Gran Turismo)は、自動車のカテゴリの一つである。フランス語ではボワチュールドグランツーリスム(Voiture de Grand Tourisme)、英語ではグランドツーリングカー(Grand Touring Car)、ドイツ語ではグランツーリズムヴァーゲン(Grand-Tourisme-Wagen)[注釈 1]。略語は GT。日本語では「グラントゥーリズモ」とも表記される。
概要
本来、グランツーリスモの位置づけは長距離ドライブに適う高いパフォーマンス及び高いラグジュアリー性を有する車種だった。しかしながら、過去のヨーロッパでの自動車レースにおいて過激な性能競争を避けるため、参加車両規定を当初のレース専用車両から一般の箱型高性能ロードカーベースへ変更することが多く行われた経緯により、GT=レースにも参加する高性能車種 もしくは すぐれた走行性能を持つロードカーという新たなコンセプトが、自動車メーカーの販売政策・宣伝共にマッチしたことにより定着することになった。
Gran Turismo のイタリア語での発音は[gran tuˈrizmo] グラン・トゥリーズモ、英語での発音は[grɑːn tuəˈrizmou] グラーン・トゥァリズモウ。また、以下のように Gran Turismo をそれぞれの言語に訳した言葉も用いられる。
「大旅行=グランド・ツーリング」と言う意味から派生し、元来は大旅行に使える高速での長距離走行に適した自動車を指していた。明確な定義はないが、近年GTと呼ばれる(あるいは名付けられる)車の傾向としてはセダンかクーペタイプで、出力の大きめなエンジンを搭載し、快適なキャビンと大旅行に十分なラゲッジスペースを備えていることが多い。
スポーツカーの定義を巡って交わされるスポーツカー論争において、典型的なスポーツカーからは外されるタイプの車がGTにカテゴライズされることがある。スポーツカー論争では、速度や運動性能にまつわる、車重、車高、駆動輪、トランスミッション形式、サスペンション形式、車体剛性やドア枚数、乗車人数などさまざまな条件が議論に取り上げられる。しかしGTという呼称に関しては蔑んだニュアンスが含まれていないこともあり、それほど微に入り細を穿った議論はなく、「長距離走行に向いたスポーティーなセダン・クーペ」といった程度の印象で多くの人が納得するものと考えられる。
また「グランドツアラー」と呼ぶか「GT」と呼ぶかでも印象が異なる。「グランドツアラー」は本来の意味で用いられるが、GTはGT-Rや2000GTなどのスーパーカーにも用いられていることから、スポーツカーの印象を与えることも多い。
語源
19世紀のイギリスでは、貴族階級などの裕福な家庭の子女は自宅へ家庭教師を呼び、教養や道徳などを学ぶことが一般的であった。こうした教育課程の最終段階として、欧州への2 - 3年に及ぶ長期の旅行を行うことがあり、こうしたいわば長期の海外修学旅行をGrand Tour(グランドツアー、イタリア語表記は Gran Turismo )と呼んだ。
なお、Gran Turismo で使用された当時の馬車は当然長期の旅行に耐えるものであり、フランスやイタリアの製作工房(カロッツェリア)のものが多用された。
こうした背景から本来のグラントゥーリズモとしては、アストンマーティンの各車やマセラティ・グランスポルト/グラントゥーリズモなどがあたるが、現代の日本では憧れから異なる使われ方をしていることも事実である。
モータースポーツ
国際自動車連盟(FIA)や日本自動車連盟(JAF)は、2シーターまたは2+2シーターのクーペのことを「グランドツーリングカー」(GTカー)と定義している。
ただし実際には改造範囲がせまく市販車に近い、安価なクーペのレーシングカー(86/BRZレースなど)はGTとは呼ばない傾向がある。逆に日本で最も人気のあるGTレースのSUPER GTでは、4ドア/5ドアセダンのプリウスやマークXもGTカーの一種となっており、自動車の形状以上に改造の規模の大きさやプロフェッショナルレース級の戦闘力を持っているかどうかが、GTと呼ぶかどうかの違いとなっている。
特殊な例としては、なおドイツツーリングカー選手権(DTM)とSUPER GT GT500で用いられている『クラス1』規定がある。これらはSUPER GTではGTカーと称されるが、DTMを語る上ではGTカーと呼ばれることはまずない。また1990年代のFIAには『GT1』規定が存在したが、これは事実上のプロトタイプ規定であった。
ル・マン24時間・デイトナ24時間のようなプロトタイプによるレースの多くはGTカーとの混走であり、こうしたGTカーを用いたレースを「スポーツカーレース」と呼ぶ。
現存するGT規定
かつて存在したGT規定
日本における「GT」の解釈

日本で最初に「GT」の称号が与えられたのは、1964年(昭和39年)4月に登場したいすゞ・ベレットGT。翌5月には、モータースポーツのホモロゲーション獲得用にプリンス・スカイラインGTが少量生産。こちらはセダンGTの先駆けとなり、当時東京新聞記者だった三本和彦は「羊の皮を被った狼」と評した。
かつては、日産が比較的小型なボディーに強力な2,000cc 6気筒を積んだスポーティーモデルのスカイラインをGTと称し、トヨタは強力なDOHC(ツインカム)エンジンを搭載した各モデルのホットバージョン(ただしトヨタ・2000GT以外はすべて4気筒)にGTの称号を与えるなど、おおむね各メーカーのスポーティーモデルのうち特に強力なエンジンを搭載し走行性能の優れたホットバージョンにGTの称号が与えられた。
このことにより、日本では純スポーツカーがごく限られた車種しかも比較的短命に終わった状況(ホンダ・S500 - S800、ダットサン・フェアレディ1500 - 2000、トヨタ・スポーツ800等)の中で、各モデルのGTグレードは、これに代わる準スポーツカー的位置を占めるようになった。
しかしながらGTグレードのほとんどのモデルがスポーツカー用あるいは準レース用ともいえる大口径キャブレターを装着した高圧縮有鉛ハイオク仕様エンジンであり、1973年から数次にわたって実施された排ガス規制を通過するには厳しい状況であった。このため圧縮を下げたり、カムプロフィールをマイルドなものにしたり、排気ガス還元装置を装着したりレギュラーガソリン仕様とするなどカタログ数値以上の大幅なパワーダウンを余儀なくされた。
その後、難題であった当時の排ガス規制対策を全ての自動車企業が達成し、電子制御燃料噴射型のエンジンが新車の主流となる1980年前後から排ガス対策以前のかつてのパワーを取り戻すため、また市場のモアパワー(性能・馬力向上)を望む顕著なトレンドを背景に、急速にDOHC、4バルブDOHC、DOHCターボ、4バルブDOHCターボ、ロータリーターボなどの新世代高性能エンジンの開発が進み、またそれらに見合うサスペンション等も改善され、日本に戦後初めてハイパフォーマンスカー百花繚乱の時代が訪れることとなった。かつてのやや曖昧ではあったものの日本国内における“GT”の定義づけは、高い走行性能を有する、走りに力点が置かれたモデルという共通認識は存在するものの、やや変容し拡大を見せながら今日に至っている。
現代の日本車における「GT」グレードを持つ車両は、高出力(専用、大排気量もしくはターボチャージャー付き)エンジン、専用のサスペンションセッティング、専用エアロパーツの装着など、その車両のアッパーグレード(各モデルの象徴的グレード)であることが多い。中には、ボディ剛性を特に向上させたもの、ステアリングラックのギア比を変更したもの、幅広タイヤを履くために専用のボディパネルを持つものもある。「GT」グレードではないが、かつては日産・セドリック/グロリアのスポーティモデルとして「グランツーリスモ」というグレードが設定され、両車種の象徴となった。
注釈
- ^ 直訳となるグロッサーツーレンヴァーゲン(Grossertourenwagen)は一般的に使わない。
グランドツーリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 01:44 UTC 版)
「マクシミリアン・ブーク」の記事における「グランドツーリング」の解説
2年間のフォーミュラでのキャリアの後、2012年にブークはGTレースに転向した。デビュー戦となったドバイ24時間レースでは2位表彰台を獲得したほか、ADAC GTマスターズとFIA GT3ヨーロッパ選手権の2つの選手権に参戦した。GT3ヨーロッパ選手権ではチームメイトのドミニク・バウマンと共に6勝を挙げてシーズンを支配し、参戦1年目でチャンピオンを獲得した。 2013年、FIA GT3ヨーロッパ選手権とFIA GT1世界選手権が統合して発足したFIA GTシリーズにHTPモータースポーツからアロン・デイとコンビを組んで参戦した。GTマスターズではマクシミリアン・ゲッツと共にシーズンを通して安定した成績を残してタイトルを争った。最終戦では14周目にマシントラブルでリタイアし、タイトルは逃したものの、ランキング3位となった。 ブランパン耐久シリーズにもHTPモータースポーツから第3戦ポールリカールより参戦し、翌戦のスパ24時間レースではゲッツ、ベルント・シュナイダーの組み合わせでマンタイ150号車との戦いを制して初優勝を果たした。最終戦ニュルブルクリンクでもレースの大半をリードし、最終ピット時にブレーキを交換したために首位をマキシム・マルタンがハンドルを握るマルクVDSの3号車に譲ったものの、残り30分で首位を奪還して優勝。2013年のタイトルを決めた。 2014年もブランパンGTシリーズの両シリーズとGTマスターズの3選手権に参戦したが、GTマスターズのスロバキアリンク戦でブークはマーシャルの指示に従わずにマシンを動かしたとして、DMSBからライセンスの一時停止処分を受けた。このため併催されたブランパンスプリントシリーズの欠場に加え、GTマスターズにはシーズン終了まで参戦しなかった。9月に処分は却下され、スプリントシリーズには翌戦のアルガルヴェから復帰したものの、チームメイトのゲッツと共にスプリントシリーズのチャンピオンを獲得することはできなかった。 2015年、所属するHTPモータースポーツが使用車両をメルセデスからベントレー・コンチネンタル GT3に変更したことからベントレーのファクトリードライバーとなり、耐久シリーズではMスポーツからシリーズに参戦した。ヴィンセント・アブリルとコンビを組んだスプリントシリーズでは3勝を挙げてチャンピオンに輝いたが、耐久シリーズでの不振が響き、総合タイトルはアウディのロビン・フラインスに奪われた。 HTPモータースポーツは翌年に使用車両をメルセデスAMG・GT3へと再度変更したため、ブークも一年限りでベントレーを離れ、再びメルセデスのハンドルを握ることとなった。この年、ブークは2012年にGT3ヨーロッパ選手権のタイトルを獲得した際のチームメイトであるバウマンと車を共有し、耐久カップではジャゼマン・ジャーファーがラインナップに加わった。両方のシリーズでチャンピオンを逃したものの、耐久カップで3位、スプリントカップで2位の好成績を収めて初の総合タイトルを獲得した。また、ニュルブルクリンク24時間レースに初挑戦している。 2017年にはチームメイトがフランク・ペレラに変更となったが、再び安定したシーズンを送り、両方のシリーズで3位となった。総合部門ではチャンピオンとなったランボルギーニのミルコ・ボルトロッティとクリスチャン・エンゲルハートに次ぐ、自身3度目のランキング2位となった。この年よりGTマスターズに本格的に復帰したほか、ブランパンGTシリーズ・アジアではメルセデスAMGのファクトリードライバーとして4戦にスポット参戦し、グループM・レーシングのハンター・アボットのタイトル獲得をサポートした。 2018年、GTマスターズでは引き続きHTPモータースポーツに所属したが、ブランパンGTシリーズ・耐久カップの参戦チームが同じくメルセデスを使用するストラッカ・レーシングとなった。また、ストラッカと共に世界を転戦するインターコンチネンタルGTチャレンジにエントリーした。最終戦カリフォルニア8時間レースではサンエナジー1・レーシングから参戦し、3位表彰台を獲得してチームメイトのトリスタン・ヴォーティエが王者を獲得するのを助けた。
※この「グランドツーリング」の解説は、「マクシミリアン・ブーク」の解説の一部です。
「グランドツーリング」を含む「マクシミリアン・ブーク」の記事については、「マクシミリアン・ブーク」の概要を参照ください。
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