イギリス グレートブリテン及び北アイルランド連合王国とは? わかりやすく解説

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イギリス グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(1969年に イングランド、 ウェールズ、 スコットランドの3地域廃止、1973年に北アイルランド廃止、1998年に完全廃止)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:16 UTC 版)

世界の死刑制度の現状」の記事における「イギリス グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(1969年イングランドウェールズスコットランドの3地域廃止1973年北アイルランド廃止1998年に完全廃止)」の解説

イギリスにおける死刑廃止思想古くトーマス・モアにまで遡ることができる。これは当時イギリスでは数多く罪状対し死刑適用されており、非常に多く人びと処刑されていたことが背景にある。1723年ブラック法では窃盗犯紙幣偽造犯など50もの罪状適用されていた。また「被害者自衛する機会がない」として強盗犯よりも悪質とされていた窃盗犯に対して処刑される場合少なくなかったこのような厳罰主義法制刑罰体系後世血の法典」と呼ばれたこのように厳罰にしたのは、犯罪者死刑にすれば犯罪は減ると支配階層考えたこともあるが、有産階級財産を守る為でもあった。1660年以降死罪になる罪名50から1750年には160、1815年には288増加した。このとき、死罪になる犯罪は、5シリング上の価値のあるものの窃盗、馬若しくは羊の窃盗放火反逆殺人脅迫状含まれた。 なお一般庶民絞首刑処せられており、例外的に貴族斬首刑適用されていた。また殺人強盗といった凶悪犯処刑一般的であったが、少年犯罪者(「悪意明らかな証拠」のある場合は、7歳から絞首刑適用できるとされていた)に対す死刑宣告実行されない場合もあったが、現代基準から見ると死刑をもって償わなければならない程ではないと思われる罪で死刑執行され少年少なくなかった。たとえば1800年小間物商の帳簿偽造した10歳の子供が詐欺罪処刑されたほか、1808年には7歳少女放火犯として処刑(かつてギネスブック最年少死刑囚として収録されていた)された。 死刑判決教会儀式ひとつとしてされたり、また軍務につくと永久に執行猶予される場合もあった。そのため1770年から1830年の間にイングランドとウェールズでは35000人に死刑宣告されたが、実際に7000人に対し死刑執行され、相当が免除されていたが、それでも少なくない数字であったこのように19世紀まで、あまりにも死刑適用範囲が広すぎたため、1808年にはスリのような窃盗犯除外された。1820年代から30年代にかけて多く死刑適用犯罪外されるようになり、1823年には裁判官反逆罪と殺人以外には死刑適用できないように法を変えたまた、犯罪者死刑ではなく当時イギリスの植民地であったオーストラリアへ流刑にするようになったこのように19世紀には徐々に死刑適用できる犯罪制限するようになったが、それでも国家反逆罪殺人に対して死刑制度存置された。また1866年にはイギリス国内では公開処刑廃止され死刑執行刑務所内で行われるようになった1908年には16歳以下に対す死刑禁止され1933年には18歳以下に年齢引き上げられた。また1931年には妊婦死刑禁止された。そして1938年には死刑廃止案は下院通過したが、第二次世界大戦勃発により死刑廃止立ち消えとなった。なお1900年から1949年までに、イングランドとウェールズでは621人の男性11人の女性処刑されたが、戦時特別立法によって13人のドイツスパイ処刑された。 イギリスでは戦後死刑制度存置されていたが、1957年法律では殺人犯のうち囚人による看守殺害警察官殺害犯、爆弾テロ犯などに死刑適用限定されるようになった。これによって死刑制度擁護派譲歩したになったしかしながらエヴァンス事件A6殺人事件など、決定的な証拠が無いまま処刑され冤罪疑われる事件きっかけとして死刑廃止要求再燃1965年には労働党議員提出した死刑廃止法案下院通過する保守党内にも同調者増加結局同年11月9日5年死刑執行停止する時限立法議会可決された。なおイギリス国内最後死刑執行1964年8月13日に、リバプールウォールトン刑務所行われたその後ジェームズ・キャラハン内務大臣労働党第1次ウィルソン内閣ハロルド・ウィルソン首相)の下1969年12月死刑廃止決定した。なお当初北アイルランド適用除外されていたが、1973年北アイルランド死刑廃止された。またIRAテロ活発になった1975年以降死刑復活叫ばれるようになった復活論であったマーガレット・サッチャー率い保守党政権総選挙圧勝し2度死刑復活法案提出される大差否決1度目3622432度目357195)された。 なお、イギリスでは死刑実際に全面的に廃止されたのは1998年のことである。それまで海賊行為国家反逆罪軍隊内部犯罪について死刑適用ができるとされていたが適用され事例皆無だという。またイギリス王室領であるチャンネル諸島では執行され事例はなかったが、法律上2006年まで死刑制度存続していた。そのため1984年ジャージー島死刑宣告され被告人がいたという。またマン島では1993年にようやく死刑廃止されたが、最後に処刑が行われたのは1872年の事であり、それまで死刑判決確定しても、内務大臣によって終身刑減刑されていたという。

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