イギリス、インド、清国の三角貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 13:42 UTC 版)
「三角貿易」の記事における「イギリス、インド、清国の三角貿易」の解説
茶・アヘン・綿織物力の三角貿易 三角形の頂点にあたる地域は、イギリス・インド・清の3つの国。辺にあたる貿易ルートは実際には両方向通行であり、またインドの中継貿易の形をしているため、三角形の形になっていないが、手形の流通によって三角形となっている。主要な取引品目の流れについて記載。 清 → イギリス(茶) イギリス → インド(絹織物) インド → 清(銀、のちにアヘン) 当初、イギリスとインドの2国間貿易ではイギリスの貿易黒字、イギリスと清の2国間貿易ではイギリスの貿易赤字が続いていた。対インド黒字で対清赤字を穴埋め出来ず、国際通貨の地位にあった銀が対価としてイギリスから清に流出していた。ただし、この時期、既に為替手形による国際貿易が成立しており、手形交換所があるロンドンから直接清に銀が流出するのではなく、中継貿易地のインドから清へ銀が流出していた(インドの対清赤字)。 事態打開を図るため、インドで麻薬であるアヘンを製造し、清へ密輸する活動が活性化した。こうした政策が推進されたのは、「外国にお金が出て行くと損だ」という重商主義的な見方にイギリスが囚われていたためである。清では麻薬であるアヘン消費が拡大し、銀はインドの綿製品輸入を経由してイギリスへ渡った。この3カ国を跨ぐデイヴィッド・サスーンのような貿易商人も台頭した。 清はこの取引において大量の銀流出に見舞われ、アヘン密輸の取締り強化を図り、それが1840年のアヘン戦争への端緒となった。 また、この3カ国は労働市場において苦力貿易も行っていた。
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