復活論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 20:01 UTC 版)
しかし、一人のみ当選する小選挙区制度では、一定以上の得票率で著しい議席占有率を得ることで大政党に偏って有利になることに加え、増加傾向にある無党派層の動向によって議席が極端に振れてしまうことで、長期的視点に立った政治ができない、といった批判が次第に高まることになった。実際に第44回総選挙(2005年)、第45回総選挙(2009年)、第46回総選挙(2012年)、第47回総選挙(2014年)、第48回総選挙(2017年)と5回連続で、一つの政党が総得票率50%未満の状態で小選挙区議席数の3分の2以上を占める結果となっている(右グラフも参照)。又、小選挙区で次点にもなれなかった候補者や低惜敗率の候補者の比例復活等も問題になっている。 こうした状況を踏まえ、2011年に渡部恒三や加藤紘一を世話人とする「衆院選挙制度の抜本改革を目指す議員連盟」が発足した。同連盟は中選挙区制(大選挙区非移譲式単記制)を復活を目指すものとされ、この議員連盟の会合において、河野洋平前衆議院議長は、かつて自民党総裁時代に野党党首として小選挙区比例代表並立制の導入に協力したことについて「率直に不明をわびる気持ちだ。状況認識が正しくなかった」と発言した。また、小選挙区比例代表並立制は妥協の産物であり、細川護熙と同様、当時から中選挙区制限連記制を支持していたという。小選挙区比例代表並立制の採決の際の造反議員を処分した日本社会党(現・社会民主党)は、2006年に処分された議員の名誉回復をおこなった。 このほか、新党改革や次世代の党などの小規模な政党が中選挙区非移譲式制限連記制の復活を主張した。園田博之や武村正義、野中広務は、政党内での共倒れを防ぎ、政党同士が政権を争える案として、2名の制限連記式の中選挙区制の導入を主張している。公明党は、自自公連立の際に中選挙区制復活論を主張したが、政権下野後は比例代表を重視した選挙制度を主張した。
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