シーア派の中でのバーブ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 03:08 UTC 版)
「バーブ教」の記事における「シーア派の中でのバーブ教」の解説
シャイヒー派は、シーア派がウスーリー派(英語版)によって制度化・法制化されてゆくなかで、従来のシーア派の内在的傾向を強調した。イマームの「隠れ」中であっても「完全なるシーア派信徒」はイマームから流出する知識を受けうるとする。これはイマーム不在時における「理性による法解釈」の執行者として権威を持つウスーリー派ムジュタヒドの基盤を掘り崩すものであり、アフバーリー派(英語版)の覆滅後ウスーリー派(英語版)へのアンチテーゼとして強い影響力を持った。さらに、18世紀末イランにおいてはスーフィズム・イマーム復活論が全般的高まりつつあった。 これを背景に、バーブ教はシャイヒー派のイマーム復活、マフディー到来を予感させる教説を受け継いだといえる。ヒジュラ暦1261年は第12代イマームのガイバから1000年である。これに従ってマフディー降臨説を流布・利用したのはその例である。同時に、諸蜂起指導者が「ジハード」という言葉を用いたということも重要で、マケインはバーブ教徒が千年至福説的モチーフを利用していたとの指摘をしている。宣教においても既存のシャイヒー派ネットワークを用いており、バーブ教はシャイヒー派を受け継ぐものであったといえよう。
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