シーア派における神聖視
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 18:42 UTC 版)
「ファーティマ」の記事における「シーア派における神聖視」の解説
シーア派はアリーあるいはアリーとファーティマの子孫だけがイマームになれるとしたので、イマームを名乗るということは彼女の子孫であると名乗ることとほぼ同意である。また彼女が初代イマームの妻でまた第2代、3代イマームの母親であるということが彼女のシーア派における立場を決定している。 特筆すべき例として、10世紀から11世紀にかけてエジプトを中心に興ったシーア派王朝ファーティマ朝の名が彼女の名に由来することが挙げられる。ファーティマ朝の始祖アル=マフディーは、アリーとファーティマの子供の内フサインの系統に属し、その曾孫ジャアファル・サーディクの孫ムハンマド・イブン=イスマーイールの曾孫ないし玄孫を名乗ってイスマーイール派を奉じていた。
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