アメリカ合衆国での歴史とは? わかりやすく解説

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アメリカ合衆国での歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 11:00 UTC 版)

オールステンレス車両」の記事における「アメリカ合衆国での歴史」の解説

ステンレス鋼不銹鋼というその優れた特質故に注目され研究進められた。しかし、クロムニッケル多量に含有し硬度高く曲げ加工難しいという特性などから量産工業製品材料としての歴史浅く1910年代初頭イギリス艦載砲一部部材使用されたのが実用化端緒であった鉄道車両においては、その高価故に銹びないことが強く要求される一部小物部品への採用1920年代頃からアメリカなどの一部始まった。しかし上述曲げ加工困難さ加え溶接時のひずみ除去難しいという特性ゆえに、銹び代を無視して軽量化図れるという大きなメリットがあったにもかかわらず車体などの構造部材への採用大きく遅れたステンレス鋼による鉄道車両構体製造は、1934年アメリカバッド社抵抗スポット溶接法を用いた車体製造技術確立したことで、ようやく実現したバッド社は本来ステンレス鋼素材とする部品メーカーであり、軽量不銹というメリット生かした航空機船舶用部品製造販売を手がけていた。同社ステンレス鋼部品市場さらなる拡大狙い1920年代後半自動車市場への売り込み図ったが、普通鋼の5倍から6倍に達すステンレス鋼単価では、ライフサイクル短くかつ販売価格そのもの低廉自動車への適用は困難であることが判明したこのため1931年以降バッド社車両イニシャルコスト寿命共に大きくステンレス鋼採用によるコスト増を十分吸収可能な鉄道車両ステンレス鋼車体開発方針転換図り開発進めた。 この技術アメリカ国内だけはなく直ちフランスなどへも輸出され両国軽量車体備え高速客車気動車などに採用された。この時代気動車代表例としては、シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道の「パイオニア・ゼファー号」(1934年バッド社製。GM製600PS級ディーゼルエンジン搭載)が挙げられるまた、プルマン・スタンダード社などのアメリカ国内の他の鉄道車両メーカーでもステンレス鋼車体備えた車両製造始まった。もっともバッド社による技術開発中核をなす、構体骨組ステンレス化に必要な溶接技術ライセンス供与先以外には社外秘とされていたため、他社製車両では普通鋼骨組ステンレス製外板組み合わせたスキンステンレス構造一般に用いられた。戦争挟んだ1930年代から1950年代までの時期には、アメリカでステンレス鋼車体備え鉄道車両盛んに製造された。 バッド社によるステンレス鋼車体をそなえる鉄道車両代表例としては、RDC (Rail Diesel Car)と呼称される汎用通勤型気動車と、パイオニアIII (Pioneer III)と呼称される電車2種挙げられるRDCは、同社戦後客車更新需要背景史上空前利益上げた1948年開発開始した、RDC-1 - 4の4種規格化設計による汎用気動車群である。これは一般型客車匹敵する寸法居住性デトロイト・ディーゼル社製275PS級ディーゼルエンジン2基とアリソン社製液体式変速機により最高時速85マイルでの走行電車並み加速性能を可能とする強力な駆動系、そしてステンレス鋼による極めて耐久性高く保守容易な車体構造で、1949年試作車完成して以降アメリカ国内私鉄各社のみならず世界各国にも大量に輸出されるバッド社代表するヒット商品となった。このRDCは、日本の国鉄キハ10系気動車コンセプトデザインだけではなくバッド社提携関係にあった東急車輛製造1967年製造した台湾鉄路管理局向けDR2700形設計にも大きな影響与えた。 これに対しパイオニアIII単一曲率屋根板備え特徴的な構造ステンレス鋼車体だけではなく特徴的なパイオニアIII 1自由度系台車開発など、システム全般について革新的な設計が行われたことが知られている。パイオニアIIIは、1958年完成しペンシルバニア鉄道納入され最初量産車以降、フィラデルフィア・セプタ向け通勤電車など、当時アメリカ残存していたインターアーバン地下鉄などに供給され、またこの設計以後客車にも応用された。 さらにバッド社によるステンレス鋼車体設計製造技術集大成とも言うべきこのパイオニアIII設計は、台車設計含めて当時同社提携結んだばかりの日本の東車輛製造にほぼそのままライセンス供与の形で製造ノウハウ含めて提供された。この技術供与は、技術ライセンス契約忠実に従って製造され東急7000系電車以降日本ステンレス鋼車体備え鉄道車両大量に製造されるうになるきっかけとなったという点で技術発達史上に大きな足跡残した。 もっともパイオニアIII開発以降アメリカではモータリゼーション進展に伴う鉄道産業そのもの急速な斜陽化によって、国内鉄道車両製造業壊滅状態にまで追い込まれた。このため大ヒット作であるRDC1962年製造打ち切りとなり、1960年代中盤以降は各私鉄から承継した客車代替用にアムトラック1973年に492両のアムフリート I客車発注した程度で、大口の旅客車両需要そのもの激減したこのためバッド社によるステンレス鋼車体設計製造技術開発系譜1978年完成のSPV-2000を最後に途絶え1987年まで製造されシカゴ・L2600系電車をもって最終的にバッド社長く続いた鉄道車両製造事業からの撤退強いられることとなった

※この「アメリカ合衆国での歴史」の解説は、「オールステンレス車両」の解説の一部です。
「アメリカ合衆国での歴史」を含む「オールステンレス車両」の記事については、「オールステンレス車両」の概要を参照ください。

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