米国における日本近代化論とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 米国における日本近代化論の意味・解説 

米国における日本近代化論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)

明治維新」の記事における「米国における日本近代化論」の解説

アメリカ合衆国での歴史学では日本近代化論研究進められた。1960年代アメリカ東洋史研究エドウィン・O・ライシャワー日本研究マリウス・バーサス・ジャンセンは、明治維新による近代化評価したジャンセンが、ジョン・ホイットニー・ホールドナルド・H・シャイブリー、トマス・C・スミスとともに設立した近代日本研究会議(Conference on Modern Japan)は1960年日米学者集めて箱根会議開いたホールらが「近代化」を、近代特徴づける変化包括し他の地域との比較を可能とする概念みなしたに対して日本学者らは「近代化」を「歴史の中で実現すべき価値理念」とみなし、遠山茂樹は「近代」をマルクス主義と違う意味で用いることの意図疑い川島武宜も「民主化」を主軸据えていないと批判したホールは、イデオロギー構築でなく、あらかじめ決まった結論前提としないオープン・エンド・アプローチを用いた雑誌中央公論』では、1961年5月号から8月号にかけてクラーク・ケェア、労働経済学者のフレデリック ・H・ハービソン、ジョン・トーマス・ダンロップ、チャールズ・アンドリュー・マイヤーズ、中山伊知郎尾高邦雄蝋山政道らが日本の経済近代化産業化民主化について議論をしており、その中でライシャワー日本近代化成功は、低開発諸国の手本になると発言した近代日本研究会議が「日本における近代化問題」(1965、邦訳1968)を刊行すると、多く反響呼んだ米国ではベトナム戦争反対するニューレフト歴史学者ジョン・ダワーハーバート・ビックスらの“Committee of Concerned Asian Scholars”(憂慮するアジア研究委員会)は、駐日アメリカ合衆国大使務めたライシャワーや、ジャンセンホールらの近代化研究を、中立装って日本近代化成功強調するイデオロギーであると批判したダワーらは、赤狩り共産主義者断定され自殺したハーバート・ノーマン前述)を称えた日本でも明治百年記念式典(1968)に関連して近代化論」を批判するなどの論争発生した後述)。歴史学者安丸良夫日本近代化論を「新たな支配イデオロギー」と批判し社会学者金原左門近代日本研究会議がフォード財団から多額補助金受けたことを問題視した。近年でもヴィクター・コシュマン2003年論文で、日本近代化論冷戦下日本共産主義化しないための施策であった主張したこうした批判に対して箱根会議参加した丸山眞男は、近代化論西欧近代化絶対として非西欧を図るとして批判されたが、これは誤解であり、ジャンセンホールらの近代化論は、近代化の道が多様複数であることを当初から言っていたと語っている。 マリウス・バーサス・ジャンセンは『坂本龍馬明治維新』(1961年)で坂本龍馬土佐藩維新果たした役割取り上げたジャンセンは、19世紀にはアメリカで奴隷解放ロシア農奴解放起き一方でアジア欧米干渉によって変革あるいは反発起きたインドではセポイの反乱結果大英帝国支配下置かれ中国ではアヘン戦争太平天国の乱起きたた。日本でも外圧のなか政治的知的な激動変革醸成した結果民族的に統一され国家誕生した。この「日本革命」の成功は、フランス革命当時の周辺国に影響与えたように、中国革命家孫文康有為朝鮮金玉均フィリピン革命家エミリオ・アギナルドインドの独立運動家スバス・チャンドラ・ボースらを刺激し、特に孫文自身維新英雄なぞらえていたという。同書は、小説家司馬遼太郎大きな影響与えたその後ジャンセン1986年に、明治維新は「単なる復古でなくて、革命」とし、2000年大著The Making of Modern Japanでも、幕末から明治にかけての大変革は、「日本の制度恒久的な変化もたらしたので、革命と呼ぶに直する」と述べる。 経済学者哲学者アマルティア・セン2006年著書で、米国蒸気船などの技術力驚いた日本は、それまで外交政策見直とともに教育政策見直し御誓文では知識世界求めることが宣言され1872年学制では、「不学の戸・不学の人」をなくすことが目指され、1910年には小学校教育普及し1913年にはイギリスアメリカ合衆国よりも多く書籍刊行された。木戸孝允は「決し今日の人、米欧諸州の人と異なことなし。ただ学不学にあるのみ」と述べ欧米人アジア人も同じ人間であり、教育水準あげればアジア人欧米追いつくことができると考えたセンは、日本における近代化成功は、ケイパビリティ (潜在能力)の形成によって成し遂げられたとし、日本は、国民教育水準識字率高めれば、社会経済改善させ、短期間でも近代化経済発展実現できるということ証明しアジア諸国模範となり、東アジアの奇跡日本経験によって鼓舞されたものであったとする。 このほか、ソ連日本学者は、明治維新は、1867-8年の政治クーデター1868年から1873年200回にもわたる百姓一揆ええじゃないかなどの民衆運動などが相互に関連する不可分複合体成している革命であった規定したソ連日本研究家イゴール・ラティシェフは明治維新は「未完ブルジョワ革命」であるとする。P.フェドセイエフは「ブルジョワ民族主義革命」であるとする。

※この「米国における日本近代化論」の解説は、「明治維新」の解説の一部です。
「米国における日本近代化論」を含む「明治維新」の記事については、「明治維新」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「米国における日本近代化論」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「米国における日本近代化論」の関連用語

米国における日本近代化論のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



米国における日本近代化論のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの明治維新 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS