かけ算の順序問題の経緯
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「かけ算の順序問題」の記事における「かけ算の順序問題の経緯」の解説
文部省は1951年, 小学校学習指導要領算数科編(試案)昭和26年(1951)改訂版において 「一冊5円のノートを,6冊買ったら,いくら支払えばよいでしょう。」という問題を解くときには,「5円×6」として,その結果を求めるのが普通である。ところが,この問題を,「ノートを6冊買いました。どれも1冊5円でした。ぜんぶでいくら支払ったらよいでしょう。」とすると,「6×5=30(円)」として結果を求めるこどもがでてくるであろう。 こどもが,このような誤った解決をするのは,かけ算の意味をひととおり理解しているにしても,その理解が形式的になっていることを示しているといえる。 問題が,どんな形式で出されようとも また,いくつかの条件がどんな順序で書いてあろうとも,かけ算を式で示すとすれば,(グループの大きさ)×(グループの個数)=(量全体の大きさ)であることが,こどもにじゅうぶん理解されておらなければならない。この一般化がふじゅうぶんなために,6×5=30(円)というような式を書くのである。 と記述したが、正式な学習指導要領および学習指導要領解説にはこのような記述がなされることはなかった。 1951年4月16日に数学者の遠山啓らを中心に数学教育協議会が結成された。数学教育協議会は、かけ算を4 × 6 = 4 + 4 + 4 + 4 + 4 + 4 のように累加として導入するのはよくないと主張した。累加では4 × 1/3のような分数のかけ算が出てきたときに困る、かけ算は 1あたり量 × いくつ分 と考えるべきであると主張した[要出典]。 1972年1月26日の朝日新聞によると、大阪府の小学校で「6人に4個ずつミカンを配る」という問題が出題されたが、「6 × 4 = 24 こたえ24こ」という答案の答にマルがつけられ、式にバツがつけられて「4 × 6」が正しいと指導されたという。これに異議をとなえ文部省に質問状を送る親も現れ、かけ算の順序の「正解」をめぐって論争が起こった。 1972年、遠山啓は、『科学朝日』1972年5月号で、4 × 6だけを正解とすることについては否定的な見解を示した。その理由は「6人に1個ずつミカンを配ることを4回繰り返すと、6個ずつのまとまりが4つあると考えられるから」というものである。 1977年、数学者の森毅は、『科学朝日』に『数の現象学』を連載し、5月号に「次元を異にする3種の乗法」として出版した中で、「大学入試などでは、『1人に1個ずつ配ると6人に対しては6個必要になる。1人当たり4個にするためには、それを4回繰り返さなければならない』というように書かなければ大減点される。6人を6個/回に、4個/人を4回に転換するところを書かないと、それぞれ1割程度減点、わざわざ間接的にマワリミチしたことで1割ぐらい減点。」「日本は『4の6倍』式に4 × 6と書くが、ヨーロッパでは『6倍の4』式に6 × 4と書く、日本のほうが合理的」と主張した。 1984年、数学者の矢野健太郎は、『おかしなおかしな数学者たち』を出版した。この本で遠山啓についての項で、名古屋のラジオ局から、名古屋の小学校で「ミカンを4つずつ6人の人に配りたいと思う。ミカンは全部でいくつあればよいか」という問題に6 × 4 = 24と答えた子どもがいて、教師はこれを0点にしたということを聞かされ、意見を求められたのに対してどちらでも良いと答えたことを記している。矢野は理由付けを1時間ほどかけて考えたが、一週間後に遠山啓に話したところ、遠山啓はそう言うように考える子がときどきあることおよび、カード式配りとよんでいてもともと知っていたというエピソードを述べている。 1993年、数学者の伊藤武広、萩上紘一、原田実は、小学生に算数を教える教師に整数環Zの代数的構造などの数学的素養が必要であるとする論文を出版した。そのきっかけは、筆者らのうち一人の長男が2年生の時、「3枚の皿にりんごが2個ずつのっている時全部でりんごが何個あるか」という問題に対して「3 × 2 = 6」と解答したところ担任教師が「答えの6は正しいけれども,式は3 × 2ではなく 2 × 3でなければならない」と指導したことである。その後の問答で、教師は「リンゴが2個ずつのっている皿が3枚あるから2個+2個+2個即ち2個 × 3 = 6個である。2+2+2は2の3倍即ち2 × 3であって3の2倍即ち3 × 2ではないこれを同数累加という。」「2(リンゴの数)が被乗数,3(皿の枚数)が乗数でそれぞれちがう意味を持っている(立場が違う)から2 × 3と 3 × 2は同じではない 」などの主張をしたことが報告されている。 1994年、心理学者の守一雄は伊藤武広ら(1993)の論文について、なぜ環と加群の知識が必要な素養なのか示されていないと批判する論文を出版した。このなかで、守一雄は教師の対応は十分だったと評価している。 2001年7月24日教育課程部会(第2回)にて上野健爾(京都大学理学研究科教授)は 特に今の教員免許状を取得する課程において、特に小学校、中学校において、専門の課程の勉強が少な過ぎると思うんです。 きのうも、私の友人が広島地方の新聞の投書欄を送ってきたんですけれども、小学校で、長方形の面積の計算をしなさいというテストが出ていて、式が△になって、答えが○になっていた。なぜ式が△になったかというと、学校では、長方形の面積は縦×横だと教えたのに、その子は横×縦に書いていたからだというんですね。でも、長方形、横、縦というのは、ひっくり返せばどうでもなることですから、そんなことどうでもいいことですし、掛け算は順番を変えてもいいわけですからね。 皆さん、お笑いになるけれども、現実に起こっていることなんです。私の息子の場合も、中学校の幾何の問題で、わからないから聞かれたことがありまして、息子のノートを見ると、私が言ったことと違う書き方がしてあるんですね。どうして、さっき言ったのと違うのと聞いたら、教科書ではこう書いてある。それは、「ゆえに」か、「よって」か、「したがって」かの言葉の違いなんです。だから、どう書いても正しいのにその教科書どおりに書いておかないと5点引かれるというんですね。 ばかげているんですけれども、これは先生が本当にはわかっておらないから、自信がなくて、つい教科書に書いてあるものにしか○をあげられなくなってしまっているのだと思います。そういうことを改善するためにぜひ、何らかの対策を打ってほしいと思います。 と述べた。 2007年、数学者の岩永恭雄は伊藤武広ら(1993)と守一雄(1994)の論文を再検討する論文を発表した。岩永は教師の誤りと断じるとともに、その原因を考察し、教科書および指導書の記述が不適切であることを指摘した。 2008年の小学校学習指導要領解説算数編p147では (長方形の面積)=(縦)×(横)(もしくは(横)×(縦)) と但し書きが書かれている。 2008年、京都大学の田中耕治は、作問法によるパフォーマンス評価の出題例として「4×8=32となるようなお話をつくってください」を挙げ、採点基準の一つに、「乗数と被乗数の意味が区別されているか(とくに正比例型では「4」は「一あたり量」,「8」は「いくつ分」と区別されているか)」を示した。ここで正比例型は「一あたり量×いくつ分=全体量」で表される。 2011年1月15日 朝日新聞 夕刊 「花まる先生公開授業」では、「3 × 2だと3本耳のウサギが2羽いることになる。」「2 × 8だと2本足のタコが8ひきいることになる。」という授業を肯定的にとりあげた。 2011年5月26日、算数教育史家の高橋誠は『かけ算には順序があるのか』を著し、「指導書は「式」と「計算」を区別して扱っており、「計算」では交換法則が成り立つが「式」には順序に意味があるので勝手に順序を変えることはできないとしている」と指摘した。また、このような指導に対しては以下のような批判がなされていると指摘した。 かけ算には交換法則が成り立つから、「いくら分 × 1あたり量」という順序で書いてもよい。 仮に「1あたり量 × いくら分」の順序で書くとしても、どちらの数を「1あたり量」としてもよい。 そもそも、かけ算は「1あたり量」と「いくら分」の積だけではない。 — 高橋誠、『かけ算には順序があるのか』 高橋は、小学校の算数教育に浸透しつつある、かけ算の式には順序が存在するという指導法に警鐘を鳴らしている。本来「正しい」式の順序とはかけ算を教える上での単なる道具だったはずなのに、教師たちは「数学的にも算数的にも」根拠があると信じ始めているようにみえるからである。 2012年12月25日小林道正『数とは何か』が発行された。小林道正は本書で (1あたり量)×(いくつ分)=(全体量)、(いくつ分)×(1あたり量)=(全体量) いずれでも良いことを明示的に述べる (p.44) とともに、特定の順序で書かなくてはならないと思っているひとが多いことについて困ったことであると評価した (p. 46)。 2014年、青山学院大学教授の坪田耕三は、九九の三の段の学習において、「(一つ分)×(いくつ分)=(全体)の式の意味を確認していきたい。」としたのち、「チューリップがたくさんありました。子どもが7人います。そこで,このチューリップを3本ずつくばったら,ちょうどなくなりました。チューリップは何本あったのでしょう。」という文章題では、式の約束にそって「3×7」と書くことを確認するよう主張した。 2014年、志村五郎は、『数学をいかに教えるか』のなかで掛け算の順序の章に4ページをさき、「結局どちらでもよいのにどちらが正しいかを考えさせるのは余計なあるいは無駄なことを考えさせているわけである」と指摘し、そんなことはやめるべきであると論じた。
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