ボスホート宇宙船
分類:宇宙飛行
名称:ボスホート宇宙船(Voskhod)
打ち上げ国名・機関:ソ連/ソビエト連邦空軍
打ち上げ開始年月日:1964年10月12日
打ち上げ終了年月日:1965年3月18日
打ち上げ宇宙船::ボスホート1号(1964年10月12日)/ボスホート2号(1965年3月18日)
打上げロケット:A-2
宇宙飛行士:ウラジミール・M・コマロフ(1号)/コンスタンチン・P・フェオクチストフ(1号)/ボリス・B・エゴロフ(1号)/パベル・I・ベリャーエフ(2号)/アレクセイ・A・レオーノフ(2号)
ソ連(技術者コロレフのチーム)は、ボスホート宇宙船によって、有人宇宙飛行においてアメリカのジェミニ計画に先行することができました。ボスホートは「日の出」という意味です。1964年10月、史上初の3人乗り宇宙船であるボスホート1号/ルビーが打ち上げられました。飛行士は、陸軍大佐コマロフ、理学博士で衛星設計技師のフェオクチストフ、医学博士エゴロフの3人です。船内の空間の狭さと、重量を軽くする必要から、宇宙服は着ていませんでした。これは、今日の宇宙船の常識からすると無謀ともいえる試みでしたけれども、ボスホート1号は24時間17分にわたって飛行し、地球を16周しました。医師のエゴロフが乗っていたため、飛行中に医学的な検査、実験をすることができました。翌1965年3月には、2人乗りのボスホート2号/ダイヤモンドが打ち上げられました。飛行士は、ベリャーエフ大佐、レオーノフ中佐です。今度はその目的から、宇宙服を着ていました。レオーノフは、約10分の間、史上初の船外活動をしたのです。これによって、宇宙船の故障などの緊急事態が起こった場合にも、人間の手で船外から修理するなどの対策ができることを証明しました。飛行時間は26時間2分でした。
1.どんな宇宙船で宇宙飛行したの?
ボスホート宇宙船は、ボストークと同じく機械船と乗員用のカプセルからできていました。しかし、そのカプセルは、ボストーク宇宙船を大幅に改造したものでした。ボスホート1号の船内には、宇宙飛行士3名のための寝いすが入り、3人にはかなり狭い空間になりました。設備のために必要重量が増え、ボスホートはボストークより重い5.32トンになりました。この宇宙船はその構造から、帰還時に射出座席を放出する方法がとれませんでした。そのため飛行士は衛星に乗ったまま降下し、減速ロケットの噴射で衝撃を緩和したのです。ボスホート2号には、船外活動をする前に使う、膨らませるタイプの気密室が置かれていました。船外活動をする目的から宇宙服を着る必要もあったので、2人乗りとなりました。
2.どんなロケットで打ち上げられたの?
ボスホート宇宙船は、1号、2号ともA-2ロケット(SL-4)によって打ち上げられました。A-2は、直径10.3m、全長43.4m、重さは309トンでした。第1段は、Aシリーズ共通です。ソ連独自のクラスター(束ね)方式の、大小24個のエンジンが装着されていました。第2段は、A-2ロケット(SL-3)の2段目を強化したものでした。推進剤は、液体酸素と灯油でした。このロケットは、ボスホート以来、ソユーズ衛星など、多くの有人衛星を打ち上げています。
3.計画はどういう目的のためにおこなわれ、どのようなことに成功したの?
ボスホート宇宙船の目的は、1号では3人乗り宇宙船の飛行、2号では船外活動でした。ソ連はこの両方に成功したのです。1号では機内が狭いこともあって宇宙服を着ないで飛びました。2号ではレオーノフが約10分間の船外活動を終えたとき、宇宙服の膨らみすぎによるトラブルがあり、宇宙船への帰還に手間どりました。しかし、人間が船外の宇宙空間で活動することができ、緊急時のトラブルに対処できる可能性を示した実績は大きいといえましょう。一方で、フルシチョフ首相は宇宙開発の成果を、積極的にソ連社会主義のプロパガンダ(宣伝)に利用してきました。ボスホート宇宙船の開発もその産物であり、肝心のソユーズ衛星の計画が大幅に遅れてしまう一因となりました。
4.ロケットの打ち上げ、宇宙船の飛行はどのような順序でおこなわれたの?
ボスホート宇宙船は、A-2(SL-4)ロケットによって打ち上げられました。そして、ボストークと同じように、使用済みのロケットが順に切り離され、大気圏外で地球周回軌道に乗ります。2号では、周回軌道上でレオーノフによる船外活動が行なわれました。まず、気密室を与圧します。宇宙服を着たレオーノフが気密室を通り、酸素ボンベと命綱をつけて外に出ます(船外活動は約10分)。気密室へ戻り再び与圧、船室に戻ります。最後に気密室を宇宙空間に投棄します。軌道飛行のあと、逆推進ロケット噴射のための方向転換がなされ、再突入カプセルが機械船から分離します。そして大気圏に再突入したカプセルが降下します。大地に降りる直前に、特別に装備した減速ロケットを噴射して、着陸速度を大幅に減速します。カプセルは飛行士を乗せたままソ連領内にパラシュートで着地します。機内の構造のため、ボストークのように射出座席を用意することができなかったためです。しかし、ボスホート2号では、大気圏再突入時に姿勢制御装置が故障したため、ベリャーエフは手動で逆推進ロケットを点火しました。そのため予定のコースから大幅に外れてしまい、目標のカザフ共和国内の地点から約2,000km離れたウラル山脈西部の積雪地帯に着陸しました。2人の飛行士は、数時間後にヘリコプターで救助されました。
※参考文献:バズ・オルドリン+マルカム・マコネル/鈴木健次ほか訳「地球から来た男」(角川選書)、的川泰宣「飛びだせ宇宙へ」(岩波ジュニア新書)、的川泰宣「ロケットの昨日・今日・明日」(裳華房)、宇宙開発事業団・編「新版宇宙飛行士になるための本」(同文書院)、ケネス・W・ガトランドほか/佐貫亦男・日本語版監修「世界の宇宙開発」(旺文社)
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