Oの逃走と自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:59 UTC 版)
「京都小学生殺害事件」の記事における「Oの逃走と自殺」の解説
2000年(平成12年)2月5日、捜査本部は、ビデオ映像の男と酷似していること、入手したメモの字が防犯登録の字と酷似していること、自転車店の店員も「似ている」と証言したことから、殺人と銃刀法違反の疑いで、Oの自宅の家宅捜索の令状を取り、自宅捜索を行うと同時に、O本人の任意同行を求めることとした。 この日、捜査本部の中堅幹部は、これまでの捜査で蓄積した事実から逮捕令状さえ取れると考えており、せめて事前に捜索令状は持っていきたい旨を、上層部へ進言していた。しかし上層部は「令状請求で、裁判所から外部に情報が洩れる恐れがある」と請求を許さなかった。この判断はのちに府警内部からも「通行人にちょっと来て、というようなもの」として、疑問の声が上がった。捜査本部が殺人と銃刀法違反の容疑で、Oの自宅の捜索令状を京都地方検察庁へ請求したのは、当日の午前6時頃のことであった。 午前7時に捜査員19人がOの自宅を訪ね、「日野小学校の事件で聞きたいことがある。署に来てほしい」と呼び掛けた。Oは玄関脇にある台所の小窓から廊下へ顔を出し、「連絡なしでくるのはおかしい」「逮捕状は? 任意同行なら行かない」と答えた。捜査員は「ドアを開けてほしい」「ここで話すと近所迷惑になる」と説得したが、Oは全く任意同行に応じようとせず、「いきなり訪ねてくるのは失礼や」「きょうは友だちに会う約束がある」として拒み続けた。その間に、捜査員の内の13人は家宅捜索の準備を始めている。 捜査員らによる必死の説得は1時間余りに渡って続き、午前8時15分になってようやくOは「近くの公園なら行ってもいい」「手短に」と答えた。そして午前8時20分、黒いリュックサックを背負って玄関から出てきたOは捜査員6人と共に、自宅から北西に約200メートル離れた向島東公園へ向った。捜査員は車に乗るようにと勧めたが、Oは「車には乗らない。公園で話す約束でしょう」と頑なに態度を変えなかった。 Oと同じ団地に住む中学生の証言によると、午前8時15分頃にOは8人の捜査官に囲まれて2階の自宅から階段を下りてきた。両脇を2人に挟まれ、残りの捜査員が前後についていた。建物を出たところでOは捜査員らを振りほどこうとしてもがき、もみ合いになったという。また、『京都新聞』の記者が目撃したところによると、Oは白いジャンパーと綿パンで姿を現し、1階に降りた後、駐車場附近で一度立ち止まり、落ち着かない様子で約10分間辺りを歩いたり立ち止まったりしていたが、午前8時半過ぎになって、ようやく決断した様子で公園へと歩き出している。 午前8時30分、Oは向島東公園の藤棚の下のベンチに腰を下ろし、両側に2人、やや後ろに2人、公園の入口と道路に計6人の捜査員が配置された。 これと同時刻、京都地方検察庁により、Oの自宅の捜索令状が発布された。捜査本部はすぐには自宅捜索に着手せず、まず母親に事情聴取を行っている。自宅から文化包丁が消えたり、Oが自転車を買ったことに気付いていなかったか、という質問に対し、母親は「家から包丁がなくなったことはない。自転車も知らない」と返答。しかし12月19日の防犯カメラに映った男の写真を見せられると、「(息子に)似ている」と答えた。 一方で向島東公園では、捜査員2人がベンチに坐ったOと向い合い、「警察署へ行こう」と説得を続け、残りの4人は周囲で警戒していた。Oは「何でおれが行かないといかんのか」として出頭に応じようとせず、また逃走機会を窺うように、公園内で転々と場所を変えてもいた。当初はベンチに坐っていたものの、午前9時頃には公園南東の隅の出入口へ移動して「いやや」などと押し問答をしている姿が目撃されている。また午前11時から午前11時40分までの間は、ベンチから北側へ十数メートル離れた砂場の中におり、砂場の縁には捜査員2人が腰掛けていた。 午前10時半頃になって、説得を要請された母親が公園へ向い、「警察へ行ってきちんと話しなさい」「信じているから」「写真があなたに似ている」「やったなら話をしなさい」と、約20分間に渡ってOを説得した。するとOは一時「日野小学校の事件に少しはかかわっているかもしれない」と関与を仄めかしたが、すぐに「でもやってはいない」「腹もすいている」として、尚も出頭に応じなかった。結局午前10時50分には、母親は家宅捜索に立ち合うため、再度自宅に戻っている。 午前11時7分、家宅捜索が開始された。ここで捜査員は、自転車の防犯登録の際に使用された偽名(山室学)を記したメモ2枚を発見。殺人と銃刀法違反の疑いで午前11時30分過ぎ、Oの逮捕状を京都地検へ請求した。 午前11時50分、公園への移動から約3時間以上が経過していたこのとき、Oは突然立ち上がり、持っていたリュックサックを地面に投げ付けて逃走した。そして公園の柵を越え、団地やスーパーマーケットへ通じる地下道方面へと走った。更にこのスーパーマーケットの店内に逃げ込み、中を走り廻った。店内の衣料品売り場にいたパート従業員はこのとき、「ものすごい勢い」で上りのエスカレーターを逆走して降りていく細身の男と、その後を追うスーツ姿の男を目撃している。出口にも数人の男性が待ち伏せていたが、結局捕まえることができなかったという。 捜査本部は現場附近に捜査員約50人を投入して追跡したが、公園から100メートルほど離れたガード下出口で振り切られ、Oを見失った。 一方でOは向島東公園から西へ200メートル離れた向島四ツ谷池の、付近では最も高い建物である14階建ての高層団地(向島ニュータウン)の6街区2棟に逃げ込んだ。そして階段を駆け上がりながら次々と衣類を脱ぎ、通路や階段にジャンパーやズボン、靴などを投げ捨てた。 逃走から約40分後、最上階まで追ってきた複数の捜査員が、屋上にいるOを発見。見られないようにしゃがんで通路を廻り込み、屋上への入口を探したが、2か所とも鉄格子に鍵が掛かっており、入ることはできなかった。Oの靴などは13階通路に残されていたが、14階よりも上は通路の手すりに乗り、雨樋を伝って上ったものとみられている。のちに屋上からはOの足跡や、醍醐辰巳公園で発見されたものと同種の工作用ナイフも発見された。 午後0時40分頃、Oは廊下と階段に囲まれた吹き抜けになっている、建物の中庭へ飛び降りて自殺した(21歳没)。捜査員らが屋上への他の入口を探している間の出来事で、捜査員らは「ドン」という音を聞いてはいたが、投身の瞬間を見た者はいなかった。現場には直後から近所の住民が集まり出して人だかりができ、一時大混乱となった。 捜査本部から請求された逮捕状が発付されたのは、Oの自殺から5分後の、午後0時45分のことだった。 向島ニュータウン6街区2棟 最上階から見下ろした同棟の中庭
※この「Oの逃走と自殺」の解説は、「京都小学生殺害事件」の解説の一部です。
「Oの逃走と自殺」を含む「京都小学生殺害事件」の記事については、「京都小学生殺害事件」の概要を参照ください。
- Oの逃走と自殺のページへのリンク