京都小学生殺害事件とは? わかりやすく解説

京都小学生殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 04:18 UTC 版)

京都小学生殺害事件(きょうとしょうがくせいさつがいじけん)は、1999年平成11年)12月21日に、京都府京都市伏見区京都市立日野小学校で起きた殺人事件。校庭で遊んでいた2年生の男児A[注 2]が、男O・H(当時21歳:以下「O」)に刺殺された[6][1]。Oは「私を識別する記号→てるくはのる」などと記した犯行声明を現場に残し逃走。翌2000年(平成12年)2月5日、警察がOを訪ね任意同行を求めたところ、Oは捜査員の隙をついて逃走し、高層アパートの屋上へ逃げ込んで飛び降り自殺を遂げた[11][12]


注釈

  1. ^ a b c 凶器の文化包丁は全長30センチの日本製。よく使い込まれたもので[62]、書類送検の時点でも入手先の特定ができなかった[18]。また、Oは犯行を告白したメモに「凶器につかった包丁は、ヘンケルスというものであったと記憶しています」と記している[53]
  2. ^ a b c 被害者の男児Aは1992年平成4年)2月7日生まれ(7歳没)[10]
  3. ^ Oの兄は、Aの父親に家庭内暴力について尋ねられた際「私は母に手を上げたりしていません」と答えていたが[29]、Aの父親はのちに警察関係に確認したところ、母親の証言から、兄の家庭内暴力が存在していたことは間違いない、と返答されたという[30]
  4. ^ Oの兄は遠洋漁業の仕事に従事しており、帰ってくることは年に1、2回ほどしかなかったという[28]
  5. ^ Aの遺族によると、高校側はこのとき、ひとまずOを「休学」扱いにすることを決め、実際にOは2年次を丸々休学した、という[34]
  6. ^ 1年生の秋頃から「通学しない」と口にするようになった、との報道もある[35]
  7. ^ Oが卒業取り消しを求め始めたのは、1年後の1999年(平成11年)春からとする報道もあるが[35][41]、Aの遺族の手記には1998年(平成10年)4月から1999年(平成11年)7月に掛けての各月のOの高校訪問回数、対応人数、対応時間を高校が記録した表が掲載されている[42]
  8. ^ 捜査本部では、こうした教習所の指導へのOの好感は、学校教育への不満の裏返しの可能性もあると考えていた[52]
  9. ^ a b Oは犯行を告白した「証拠の手紙」と題する文章に「僕のバイク(ストリートマジック)に被害者の血がついているかもしれません」と記している[53]
  10. ^ 午後2時とする報道もあるが[60]、ここでは書類送検の際に認定されたより細かい時刻を記載する。
  11. ^ a b Aには2歳年上の姉がおり、彼女も事件当時運動場にいたが、Aが切られるところまでは目撃していなかった[110][109]
  12. ^ Aの母親は当時、午後2時からの担任との面談のために校舎2階の廊下の椅子に腰かけていたが、Aの友人が「トッちゃん〈注:Aのこと〉が包丁で切られはった!」と叫んで廊下を駆けてきたことで事件発生を知り、駆けつけていた[63]
  13. ^ a b 手袋には血痕が付いており、えんじ色合成皮革製で、手の甲の部分をテープで留めるタイプのものだった[62]。Oは犯行を告白した「証拠の手紙」と題する文章に「自転車を置いた公園の片方に手袋がおいてあったと報道していました。僕が犯人なので、もうひとつの場所を知っていて、北門を出て、すぐに田んぼがあり、その中に置きました」と記している[72]
  14. ^ 2023年(令和5年)現在、このサイトは現存する。外部リンク節参照。
  15. ^ このレンタルビデオ店は、事件現場の数キロ南に位置する[79]
  16. ^ Aの父親は、写真に映るOについて「年齢は二十歳前後の浪人風。世間一般で言われている"オタク"というイメージがぴったりの陰気でうす気味悪い青年でした」と述べている[21]
  17. ^ 捜査員は年末に入手したこのビデオ映像を元に、年明けの3学期から各学校に捜査を展開しており、各学校の間では「おたくはもう来たの?」という会話が新年の挨拶代りに交されていたという[22]
  18. ^ サンデー毎日』2000年2月号の記事「京都小2殺害事件「てるくはのる」家死の系譜」に、藤棚下のベンチの写真が掲載されている。
  19. ^ このスーパーマーケットは、向島東公園から約300メートル離れた場所に位置する[98]
  20. ^ このため、捜査員の詳細な証言が確認される以前の自殺直後、府警は13階から飛び降りたものと考えていた[12]
  21. ^ Aの父親は手記に、「この悪魔が私たちに残した生涯忘れられない「名前」とは、その程度のものだったのです」と記している[114]
  22. ^ 捜査本部は書類送検に当り、初めてOの実名を公表している[1]
  23. ^ 5月2日にAの両親の元へ、Oに対する不起訴処分の通知書が京都地検から届いている[116]
  24. ^ 本事件に次ぐ、学校内に侵入した不審者による殺傷事件だった[123]
  25. ^ この事件では新潟県警の虚偽発表や、保健所の出動要請を拒否したことなどが問題となったほか、特別監察のため県警へ出向いた関東管区警察局長が「監察もそこそこに遊興」しており、監禁されていた被害者が発見された際は温泉で麻雀をしていた。監督責任を問われ、現職警察庁長官が史上初の懲戒処分を受ける事態ともなっている[129]新潟少女監禁事件#新潟県警の不祥事も参照。
  26. ^ 警部補は当時、自宅の新築により多額の借金を抱えており、強引な勧誘でトラブルの絶えなかった同業者に対し、「こうすれば摘発を免れる」と執拗に助言を行った上で謝礼を要求していた。業者側も贈賄容疑により同時に逮捕された[131]
  27. ^ 2000年(平成12年)1月11日、和歌山県伊都郡かつらぎ町かつらぎ町立妙寺中学校で、外部から侵入した当時35歳の男に、1年生の男子生徒が首を包丁で刺され3週間の怪我を負う事件が発生した[13][140]
  28. ^ 文部省は2001年(平成13年)、中央省庁の再編に伴い科学技術庁と統合され、文部科学省となった[141]
  29. ^ 本事件が取り上げられたのは2000年(平成12年)4月号。この連載は2001年(平成13年)2月に講談社より『隣人』として単行本化され、2003年(平成15年)12月に『世紀末の隣人』として講談社文庫より文庫化された。

出典

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  2. ^ a b c d e f g 読売新聞』1999年12月22日東京朝刊社会面35頁「京都の小2刺殺 凶刃、立ちすくむ児童ら 校内で保護者会、息子の名呼び母絶叫」
  3. ^ a b 『読売新聞』1999年12月31日東京朝刊社会面27頁「京都の小2刺殺事件 襲撃直前、余分な凶器捨てる?」
  4. ^ a b 中村 & 中村 2000, p. 7.
  5. ^ a b c d e f g 『読売新聞』2000年2月7日東京夕刊一面1頁「小2殺害事件で自殺した容疑者「教育に恨み」のメモ 所持のリュックに13枚」
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  8. ^ a b c 『読売新聞』2000年4月29日大阪朝刊34頁「京都・児童殺害事件の捜査が終結 自殺したO・H容疑者を不起訴に」
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  10. ^ 中村 & 中村 2000, p. 37.
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  125. ^ 『毎日新聞』2000年8月1日大阪朝刊社会面25頁「京都・小2殺害事件 「捜査記録の全面開示を」 被害者の両親が京都地検に閲覧請求」
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  127. ^ 『毎日新聞』2001年3月16日大阪夕刊社会面11頁「京都・小2殺害事件 遺族が日記など開示再請求 容疑者母の供述調書も」
  128. ^ 『毎日新聞』2001年6月5日大阪夕刊社会面9頁「京都・小2殺害事件 両親に捜査記録2回目開示 京都地検」
  129. ^ a b 『読売新聞』2000年3月3日東京長官三面3頁「[社説]警察再生に身を切る覚悟で臨め」
  130. ^ 『読売新聞』1998年7月22日大阪朝刊社会面31頁「京都府警の警部逮捕 短銃捜査の裏で部品密輸 容疑の自宅にマニア誌200冊」
  131. ^ a b 『読売新聞』1999年1月21日大阪朝刊社会面27頁「京都府警の警部補を収賄容疑で逮捕 摘発逃れ業者に助言 「安月給」と自ら要求」
  132. ^ 『読売新聞』1999年11月26日大阪朝刊社会面39頁「京都府警の警官覚せい剤所持事件 本部長ら23人を処分 最大の規模に」
  133. ^ 『毎日新聞』1999年12月30日東京朝刊13頁「99ニュースリポート その1」
  134. ^ 『読売新聞』2000年3月16日東京朝刊社会面39頁「警官、女性に乱暴 京都府警また不祥事 きょう懲戒免職」
  135. ^ 『読売新聞』2000年2月7日東京朝刊三面3頁「[社説]詰めを欠いた校庭殺人の捜査」
  136. ^ 『読売新聞』2000年3月15日大阪夕刊社会面15頁「守口の通り魔殺人 京都事件まね犯行 現場などにメモ「私は神です」/大阪府警」
  137. ^ 『読売新聞』2001年1月17日大阪夕2社会面14頁「守口の通り魔殺人初公判 被告、小学校で児童殺害計画 ためらい断念 大阪地裁」
  138. ^ 『読売新聞』2002年11月12日大阪夕刊社会面19頁「守口の通り魔殺人事件判決 責任能力認め控訴棄却 懲役15年 大阪高裁」
  139. ^ 『毎日新聞』2000年5月29日大阪夕刊社会面10頁「高速バス乗っ取り事件 少年、小学校立てこもり計画 「京都の事件」が影響?」
  140. ^ a b c 『読売新聞』2001年6月8日大阪夕刊夕2社面14頁「大教大池田小児童殺傷、増える学校侵入事件 「開かれた学校」教委など対応苦慮」
  141. ^ 文部科学省の概要|文部科学省(2021年10月7日閲覧。)
  142. ^ 『読売新聞』2003年6月6日大阪朝刊一面1頁「付属池田小事件 国が謝罪、4億円賠償 8遺族と合意へ 安全管理怠る」
  143. ^ 『読売新聞』2000年1月11日大阪夕刊社会面15頁「"開かれた学校" 苦悩の新学期 京都・小2殺害事件が周辺校に暗い影」
  144. ^ 『読売新聞』2005年6月22日大阪朝刊京市内35頁「京都・日野小に「子ども見守り隊」発足 小2男児殺害事件から5年」
  145. ^ 『読売新聞』2006年2月14日大阪朝刊3社37頁「学校自衛あの手この手 不審者対策 読売新聞社調査」
  146. ^ 『読売新聞』2001年12月22日大阪朝刊社会面31頁「京都・日野小児童殺害事件2年 「命の輝き」追悼碑除幕式に父母ら200人」
  147. ^ a b 『読売新聞』2004年3月16日大阪朝刊山城35頁「「とっちゃんのことは忘れない」 日野小に「友情の像」 同級生が制作 京都」
  148. ^ 折原 2011, p. 38.
  149. ^ 折原 2011, p. 16.
  150. ^ 折原 2011, p. 82.
  151. ^ 重松 2003, pp. 86–87.
  152. ^ 重松 2003, p. 99.
  153. ^ 重松 2003, p. 102.






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