2001年死刑確定囚(5人)
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事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)富山社長夫婦射殺事件 (S) 2001年2月15日 1991年5月7日 1947年(昭和22年)1月18日生まれ。元歯科医院事務長。元暴力団幹部の男と共謀し、多額の借金を返済するため、知人である人材派遣会社社長宅(富山県富山市向新庄)に押し入り、社長の男性(当時54歳)とその妻(37歳)を殺害して金を奪うことを計画。1991年5月7日4時ごろ、元暴力団幹部が先に社長宅に侵入して裏口の鍵を開け、Sを中に入れると、Sは寝ていた夫妻をそれぞれ大型拳銃で射殺し、約1,200万円が入ったバッグを奪った。犯行直後、富山市の中学校駐車場で奪った現金を分け、Sが元暴力団幹部に約530万円を渡した。富山県警は「県警史上、稀に見る凶悪犯罪」として、最大で290人の捜査員を投入し、7月29日(事件発生から83日後)に、詐欺容疑で逮捕されていたSら2人を強盗殺人容疑で再逮捕した。1993年7月15日に富山地裁(下山保男裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に名古屋高裁金沢支部(高木實裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2001年1月30日に最高裁第三小法廷(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。判決訂正申立も、同年2月15日付の決定で棄却されている。富山地裁における死刑判決、および富山県における死刑確定事件は、いずれも富山・長野連続女性誘拐殺人事件の女性死刑囚M(1988年に富山地裁で死刑判決、1998年に死刑確定)以来だった。元暴力団幹部は無期懲役判決(求刑:同)を言い渡され、確定。2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没)。 東京連続強盗殺人事件 (I) 2001年2月6日 1996年6月10日1999年7月8日 2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決。弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。 木曽川連続強盗殺人事件 (U) 2001年10月10日 1993年2月16日1993年3月3日 1969年(昭和44年)8月29日生まれ。1993年2月16日、交際していたフィリピン人女性に送る金欲しさに、愛知県葉栗郡木曽川町黒田(現:一宮市木曽川町黒田)の資材置き場で、同町の大工男性(当時26歳)の頭部を金属バットで殴って瀕死の重傷を負わせ、当時住んでいた一宮市の自宅に運んで死亡させ、現金4,000円を奪った。同月19日、遺体を中島郡祖父江町(現:稲沢市)の馬飼大橋から木曽川に遺棄した。また3月3日、一宮市大和町でラーメン屋台を開いていた尾西市(現:一宮市)の男性(当時58歳)の頭部をバットで殴り、売上金など13万5,000円を奪った後、馬飼大橋から木曽川に投げ込んで死亡させた。このほか、強盗致傷1件・窃盗5件の余罪がある。第一審では起訴事実を全面的に認めたため、量刑のみが争点となり、1994年5月25日に名古屋地裁一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受けた。弁護人は控訴審で、事件当時は被告人Uは確定的な殺意を有しておらず、心神耗弱状態だったとする新主張を展開したが、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却の判決が言い渡された。2001年9月20日に最高裁第一小法廷(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。判決訂正申立も、同年10月10日付の決定で棄却されている。死刑確定後の2003年2月28日に名古屋拘置所内で病死(33歳没)。 市川一家4人殺害事件 (S) 2001年12月21日 1992年3月5日 1973年(昭和48年)1月30日生まれ。犯行時19歳の少年死刑囚。1994年8月8日に千葉地裁(神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2001年12月3日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告棄却判決を受けた。判決訂正申立も同月20日付の決定で棄却され、21日までに死刑が確定。2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった。少年犯罪に対する死刑確定・執行は連続射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・永山則夫以来だった。 大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) 2001年12月21日 1988年1月15日 1940年(昭和15年)1月24日生まれ。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件。兵庫県赤穂市の中学校を卒業後、大阪府大阪市や赤穂市内の材木店・プラスチック加工会社・運送会社などを転々としたが、18歳だった1957年(昭和32年)7月に赤穂市内で強盗事件を、翌1958年(昭和33年)には強盗殺人未遂事件を起こして服役。出所後の1968年(昭和43年)9月19日白昼、大阪市天王寺区上本町七丁目の高層アパート(住都公団「上六ビル」)4階の階段で、女性(当時24歳)を刺殺して100円を奪い、強盗殺人罪で無期懲役の判決を受けた。1970年3月、最高裁で無期懲役判決が確定し、大阪刑務所に服役した。1987年4月30日に仮出所してからは土木作業員として働いていたが、同年暮れに辞め、仮出所時に持っていた80万円や、正月に兄からもらった2万円も遣い果たし、生活費に困った末に犯行におよんだ。1988年1月15日夜、大阪市営地下鉄中央線の谷町四丁目駅(大阪市中央区)通路で、帰宅途中の女子短大生(当時19歳:同志社女子短期大学1年生)を強盗目的で刺殺した。また、1987年8月には大阪市天王寺区のマンションで女性を刺して約1か月の重傷を負わせ、同年9月にも同区内の別のマンションでOLを鉄パイプで殴打し、約2週間の怪我を負わせてバッグを奪うなどした。1991年2月7日に大阪地裁第6刑事部(米田俊昭裁判長)で死刑判決を受けた。控訴したが、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2001年12月6日に最高裁第一小法廷(深澤武久裁判長)で上告棄却判決を受けた。判決訂正申立も同月19日付の決定で棄却され、同月21日付で死刑が確定。死刑確定から約6年8か月後の2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
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