1970年代〜1980年代とは? わかりやすく解説

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1970年代〜1980年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 05:01 UTC 版)

Graphics Processing Unit」の記事における「1970年代〜1980年代」の解説

グラフィックコントローラ#1970年代〜1980年代」も参照 コンシューマPC向けGPU起源1970年代から1980年代グラフィックコントローラさかのぼる。当時グラフィックコントローラは、矩形多角形領域単純に塗り潰したり、BitBltBit Block Transferビット単位でのブロック転送)などにより、2次元画像に対して簡単な描画処理を行うだけであり、その機能能力限定的だった。 グラフィックコントローラ中にはいくつかの命令をディスプレイリストとしてまとめて実行したり、DMA転送用いることでメインCPU負荷減らしたりするものもあった。このような専用グラフィックコントローラ用いずに、DMAコントローラ処理したり、汎用CPUグラフィック処理専用割り当てたグラフィックサブシステムを充てるコンピュータ存在した汎用的なグラフィックス・コプロセッサは古くから開発されてきたが、当時技術的な制約から安価な製品では機能性能乏しく、また高機能なものは回路規模増大し非常に高価なものとならざる得ず結果的にパーソナルコンピュータ広く採用されることはなかった。 1980年代から1990年代前半にかけてはBit Block Transferサポートするチップと、描画高速化するチップは別々のチップとして実装されていたが、チップ処理技術進化するとともに安価になり、VGAカードはじめとするグラフィックカード上に実装され、普及していった。1987年VGA発表とともにリリースされIBMの8514グラフィックスシステムは、2D基本的な描画機能サポートした最初PC用グラフィックアクセラレータとなったAmigaはビデオハードウエアにBlitterを搭載した最初コンシューマ向けコンピュータであった1980年代後半から1990年代前半日本国内広く普及していたPCとしてPC-9800シリーズがあるが、同シリーズグラフィック描画関連するチップにはGDCと、GRCG・EGCがある(CRTCなどもあるが、描画には関係しない)。GDCには直線円弧四角塗りつぶしなどの図形描画機能があり、この記事扱っているタイプLSIである。GDC登場時点では比較高機能高性能であったが、CPU性能向上によりその利点薄くなっていった(そのため、当時開発者でもそれを正確に把握していない者も多い)。GRCGは複数プレーンへの同時描画98ではプレーンごとにセグメントアドレスを動かす必要があり面倒だった)や描画時のマスク操作などをハードウェア行えるもので、EGCはGRCGの強化版(Enhanced Graphic Charger)である。EGCEPSON比較後期まで追随しなかったことや、NECハードウェア仕様公開に非積極的になった以降ということもあり、あまりよく知られていない。さらに、AGDC(Advanced 〜)やEEGC(あるいはE2GC)といったチップ至っては、非公開情報集めた文献にもその名前以外には殆ど全く情報がない。

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1970年代〜1980年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 19:36 UTC 版)

ダンドゥット」の記事における「1970年代〜1980年代」の解説

アナウンサーのアジズ・ドゥリタは、1971年頃にムラユ・モデルンが一部人々の間でダンドゥット呼ばれていることを知る。アジズがこの名称をラジオ番組流し音楽番組でも使われるうになると、リスナーの間に広まっていった。 活字メディアでは、週刊誌テンポ』の1972年5月27日付の記事で「砂漠リズムインドのダン・ディン・ドゥットを融合させたムラユの歌」という記述があり、当初インド音楽とされていた。ダンドゥット定着し始めた時期にはエリヤ・カダム(インドネシア語版)が活躍しており、さらに1975年にはロマ・イラマの歌『夜更かし』(Begadang)が大ヒットした。この曲はクンダンリズム使ったダンドゥットで、ロマ・イラマダンドゥット歌手として知られるようになった。ムラユ・モデルンに対してダンドゥットという名称が普及した背景には、ムラユという言葉スラウェシ地方文化として認識されるようになった事情もあった。他方ダンドゥット好まないミュージシャンもおり、1975年にはロック専門誌トップ』などでダンドゥット価値めぐってミュージシャン同士論争起きたフェスティバルディスコクラブなどダンドゥット演奏増え1970年代にはマレーシアにも浸透していった。 ダンドゥット普及には、テレビラジオ放送カセットテープ映画役割果たしたテレビインドネシア経済成長ともなって1970年の約13台から1980年の約271台に増えたラジオテレビ以上に影響大きく1970年250台から1980年1500台に増えダンドゥットジャカルタ北部民間ラジオから全国広がったカセットテープ1970年代低価格化が進んでレコードよりも一般市民の手入りやすくなり、1979年のポップ・インドネシアとダンドゥットカセット売り上げ比率は1:8になったともいわれる映画ではダンドゥット使った作品1970年代上映され、特にロマ・イラマ出演した映画成功おさめた

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