1970年代から1980年代の暗黒期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:55 UTC 版)
「デポルティーボ・ラ・コルーニャ」の記事における「1970年代から1980年代の暗黒期」の解説
1973年に降格すると、セグンダ・ディビシオンでもがき苦しみ、クラブ創設以来初のテルセーラ・ディビシオン(当時3部)への降格は避けられなかった。しかし、すぐに昇格を果たし、セグンダ・ディビシオンに定着した。1979-80シーズンにはクラブ史上2度目の3部リーグ(セグンダ・ディビシオンB、1977年創設)降格を経験したが、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオン昇格を果たしている。なお、この降格と昇格は最大のライバルであるセルタ・デ・ビーゴと同時になされ、1980-81シーズンに彼らは制限君主制(立憲君主制)下で最多となる観客数を集めた。その後は、プリメーラ・ディビシオンへの昇格争いに加わることなくセグンダ・ディビシオンでのプレーを続けた。1987-88シーズンは最終節までセグンダ・ディビシオンB降格の可能性を残したが、最終節のラシン・サンタンデール戦ロスタイムにビセンテ・セレイロが得点してようやくセグンダ・ディビシオン残留を決めた。この残留劇をもって暗黒期を抜け出し、クラブの新時代の幕開けとする向きもある。暗黒期には財政難がクラブ運営に重くのしかかり、クラブ内部の問題から、ほとんど毎年のように監督が解任された。
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