1970年代から1980年代の黄金期
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「レアル・ソシエダ」の記事における「1970年代から1980年代の黄金期」の解説
アルベルト・オルマエチェア監督はクラブの下部組織で育った若手有望選手を巧みに登用し、1970年代後半から1980年代前半にかけてクラブの全盛期を築いた。1979-80シーズンは32試合連続無敗のリーグ新記録を樹立して2位となり、失点率0.58を記録したルイス・アルコナーダがクラブ史上初のサモラ賞(最少失点率キーパー)受賞者となると、このシーズンから3シーズン連続で同賞を受賞。アルコナーダはファンから絶大な人気を得て、「No pasa nada, tenemos a Arconada」(心配はいらない、我々にはアルコナーダがいる)という有名なチャントが歌われた。アルコナーダに加え、ヘスス・マリア・サトゥルステギ、アルベルト・ゴリス、ペリコ・アロンソ、ロベルト・ロペス・ウファルテ、ヘスス・マリア・サモラ、若手のホセ・マリ・バケーロなど、数多くの地元出身選手が主力としてプレーした。1980-81シーズンにはレアル・マドリードと白熱した優勝争いを演じ、最終節のスポルティング・ヒホン戦ではサモラがロスタイムに得点して劇的な優勝を決めた。1981-82シーズンの優勝争いも緊迫した展開となったが、第33節に首位に立つと、最終節(第34節)でビルバオとのバスク・ダービーを制して2連覇を達成。1982年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し、1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは最終的に優勝するハンブルガーSV(ドイツ)に敗れたものの、準決勝進出を果たした。 1985年にはジョン・トシャック監督が就任し、1986-87シーズンには2度目のコパ・デル・レイ優勝を果たした。1989年にアルコナーダやサモラが現役引退すると、レアルの成功期は幕を閉じた。同じくバスク地方のクラブであるアスレティック・ビルバオとともにバスク人のみでチームを構成していたが、1989年にリヴァプールFCからアイルランド出身のジョン・オルドリッジを獲得して、長年続けてきた哲学に別れを告げた。このアスレティック・ビルバオとの試合はバスク・ダービー(Derbi vasco、デルビ・バスコ)と呼ばれ、相手チームのファンと肩を組んで応援するなど、友好的なダービーとして知られている。
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