1970年代から1990年代
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「テレビ」の記事における「1970年代から1990年代」の解説
1970年 - NHK、東京と大阪でNHK UHFテレビ実験局を開設、UHFテレビ放送の試験運用を開始(1975年4月まで)。 1972年 - 有線テレビジョン放送法が成立。このあと、全国各地でケーブルテレビ会社の設立が相次ぐ。 1973年10月 - 在京キー局において全番組のカラー化が完了 11月1日 - 教育放送局として開局した日本教育テレビ(のちのテレビ朝日)と東京12チャンネル(のちのテレビ東京)が総合テレビ局化。民間の教育放送局が消滅。 1978年4月8日 - 日本初の放送衛星、ゆり1号打ち上げ成功。7月20日から衛星放送の試験放送を開始。 9月28日 - 日本テレビが世界初の音声多重実用化試験放送によるステレオ放送を開始。 1982年 - エプソンがテレビ付き腕時計「テレビウオッチ」を開発。 1983年 - エプソンが液晶ポケットカラーテレビ「ET-10」を開発。世界初のTFT液晶テレビ。 1984年 - 1月23日、放送衛星ゆり2号a打ち上げ成功。 1985年 - 11月29日、文字多重放送の本放送が開始。 1989年 - 6月1日、「ゆり2号a」を用いたNHK衛星テレビジョン(NHK-BS)が本放送を開始。日本初の衛星放送。 1990年 - 11月30日、日本初の民間衛星放送局である日本衛星放送(JSB・WOWOW)が「ゆり3号a」を用いて試験放送を開始。翌年4月1日より有料の本放送を開始。 1992年 - 通信衛星を用いた初の「CS放送」として、5月に「SUPERBIRD B1」によるスカイポートが、10月に「JCSAT-2」によるCS BAANが、相次いで専門チャンネルの有料本放送を開始。これ以降の衛星放送の歴史については日本における衛星放送#歴史参照。
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1970年代から1990年代
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「多摩テック」の記事における「1970年代から1990年代」の解説
1970年代は「タイヤカー」(1980年に『UFO』へ換装)や「水陸両用車」(のちに『外輪船』)、エンジン動力で係員が運転するジェットコースター「ジェットスレー」(のちにレールの大部分を再利用した巻き上げ式コースター『カナディアンジェットライダー』に改造)など、多摩テックの特色となる搭乗型遊戯施設や「観覧車」など一般的なアトラクションも数多く設置され、よみうりランドや西武園に比して中間に位置する多摩地域の「遊園地」へ変貌した。手塚治虫作によるキャラクターコチラも1979年に登場している。 1980年代にモノレール型アトラクションの「スーパージェットライダー」や劇場型アトラクション「マッハセブン」が新設され、「トライアルパーク」・ゴーカート「ザ・カートG400」「ロックガーデンプール」のオープンなどの本格的な開発も行われた。 1991年に懸垂式モノレール型アトラクションの「ガリオン」、1995年に大型水車がライドごとを持ち上げるギミックで国内最大級の水上型絶叫マシンを謳った「ワイルドリバーアドベンチャー」と大観覧車「トップキャビン」、1997年に「スペースショット」(S&S社製。浅草花やしき・よみうりランド設置機と同系統)と、大規模なアトラクションが新設された。子供向けのゴーカート「フォーミュラGP」や、本格的なバッテリーカー「電気自動車MUU(ムウ)」もカート系アトラクションを入れ替わらせる形で設置されている。
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