1970年代から80年代:低迷の時代
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「スターリング・アルビオンFC」の記事における「1970年代から80年代:低迷の時代」の解説
1960年代末から70年代にかけて、アルビオンは常にリーグの最下位に位置し続けたことから、この時代は低迷の時代と呼ばれる。1970年代半ばにリーグ戦の制度が見直され、3部に分けられることになると、当然このヨーヨー軍団は最底辺のリーグに編入され、1977年までそこを脱出することができなかった。その後、クラブは1部リーグまで上昇を果たすが、その夢のような時代はわずか4年間で屈辱的な終末を迎えた。それは、1981年のリーグ戦の8ヶ月の間、クラブは一得点もあげることができなかったのである。しかしさらに驚くべき「事件」は、彼らはその年、最下位ではなく、最下位から2番目の順位でリーグを終えることができたことかもしれない。いくつものペナルティ・キックを失敗し、無数のゴールを相手に許したにもかかわらず。 1981年の2部リーグへの降格は、クラブを極めて退屈な存在へと変質させた。アレックス・スミス監督の下、クラブは先細りの入場者数に苦しみ、破産の一歩手前まで駒を進めた。破産寸前のクラブに残された唯一の道は、本拠地であるアンフィールド・スタジアムを地方自治体に売却し、それをとても安い価格でレンタルする、という方法だった。 この時代、クラブはスコティッシュ・カップにおける素晴らしい記録を樹立した。それは、1984年に、20対0の大差で、セルカークFCに勝利したことである。 1980年代のクラブは引き続き苦境下にあったが、驚くべきことに監督の交代劇は行われず、アレックス・スミスが引き続き指揮を執り続けた。結果として、1986年にアレックス・スミスはセント・ミレンFCに移籍する形でアルビオンの監督の座を降りた。 新たにジョージ・ピーブレスがクラブ監督に就任した。彼は「スコットランドではじめてスタジアムに人工芝を採用したクラブの監督」という称号を手にすることになった。というのも、アンフィールド・スタジアムを買い取った自治体が、1ペニーでも多くそのスタジアムから収益をあげるために、維持費のかかる本物の芝生をはがしてしまったからである。同様に、メインスタンドも「老朽化によって崩落の危険性がある」と判断されるやいなや、あっというまに取り壊されてしまった。1987年9月には、スコットランド史上初の人工芝での試合を一目見ようと山のような観客がスターリングに詰めかけたが、彼らが試合内容に関心があったかどうかは定かではない。ちなみにその試合は、スターリング・アルビオンFCとエア・ユナイテッドFCの対戦であった。 しかしその後、芝の品質差を主な理由として、スターリング・アルビオンFCを除く全てのクラブが人工芝でのプレイを拒否したため、続く5年間にわたってアルビオンFCはアンフィールド・スタジアムを公式戦で利用することができず、本来はホームの試合を全てアウェイで戦わねばならなかった。実際に試合が行われたとしても、人工芝がアルビオンFCに優位に働いたかどうかは疑わしく、その証拠にアルビオンFCは0-6でセント・ジョンストンFCに人工芝上で敗北している。その後、ピーブレス監督はやっとその苦行から解放され、新たにジム・フリーティングが監督の座に就任した。 ジム・フリーティングは、皮肉にも、わずか6ヶ月のあいだだけ監督を務めたことによって、その後10年間のチームの躍進の立役者となった。フリーティングはキルマーノックFCの監督になるべく早々にアルビオンFCを去る際、新監督をエースストライカーのジョン・ブローガンに打診することになったが、この選択がクラブに成功をもたらすことになった。新監督のもとでクラブは破竹の勢いで連勝を続け、ついには1991年4月7日、リンクス・パーク・スタジアムで優勝タイトルを手にすることに成功した。ついにアルビオンFCは悲願であった2部リーグ脱出を果たしたのである。敬虔なる「ヨーヨー軍団」のサポーターたちは、10年に渡る恥辱の記憶をやっと過去に葬り去ることに成功したのである。
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