1970年代から阪神大震災
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「アロマテラピー」の記事における「1970年代から阪神大震災」の解説
村岡花子が翻訳した『赤毛のアン』などの児童文学を通して、欧米文化に魅了された熊井明子が、1970年代に日本にポプリを紹介し、徐々に雑誌などに取り上げられるようになった。1980年代初頭、重永忠(現「生活の木」代表取締役)が、毎回ポプリ作りのシーンがある少女マンガを企画し、原作:佐和みずえ、作画:佐藤まり子『あこがれ♥二重唱』が「なかよし」に連載され(1980年10月号から1981年3月号)、小学生やその親たちの間でポプリが流行した。また、国鉄のカレンダーやドラマ『北の国から』で富良野のラベンダー畑が紹介され話題になり、これらをきっかけに、ハーブやポプリが日本で広く知られるようになった。アロマテラピーという言葉が紹介されたのは1980年代で、「イギリスからの自然派美容マッサージ」という形で導入された。これに伴い、イギリスのロバート・ティスランド(『アロマテラピー〈芳香療法の理論と実際〉』フレグランスジャーナル社、1985年)やフランスのジャン・バルネ(『ジャン・バルネ博士の植物‐芳香療法』フレグランスジャーナル社、1988年)などの専門書が、高山林太郎の翻訳で出版された。1980年代にはリラクセーションビジネスが注目を集め、80年代半ばになると、海外でアロママッサージ(精油を植物油で希釈したマッサージ油を使用した全身マッサージ)などを学んだ者たちが国内で実践を始め、アロママッサージを施す女性向けサロンなどが登場した。また、日本にアロマテラピーが広く知られるようになったきっかけとして、1995年の阪神・淡路大震災後にボランティアとしてハンドマッサージなどを行ったアロマテラピー関係者がいたことや、震災後に「癒し」が注目され、アロマテラピーと癒しが結び付けられたことがあるとも言われている。
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