1970年代と第四次中東戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 17:16 UTC 版)
「イラク空軍」の記事における「1970年代と第四次中東戦争」の解説
IQAFは1971年に署名されたソ連との20年間の友好条約により、多数の比較的近代的な戦闘機が空軍に導入されたことでこの10年間を通じて規模と能力が拡大した。イラク政府はソ連だけがイラクに兵器を供給する状況に満足することは決してなく、MiG-21やSu-20のような現代の戦闘機を購入しつつ、フランスにミラージュF-1戦闘機とジャギュアを売るよう説得し始め、ミラージュを購入した(ジャギュアは注文されなかった)。 第四次中東戦争前に、IQAFは12機のホーカーハンターをエジプトに派遣しそこで戦い、1機だけが戦争を生き残った。IQAFは1968年に最初のSu-7を複数機受け取ったが、これらの機体は元々シリアに配備されていたものであった。シリアに配備された航空機は、イスラエルの航空機とSAMにより大きな損失を負い[要出典]、さらにシリアのSAMのフレンドリーファイアに遭った。10月8日に予定されていた攻撃は、これらの莫大な損害とシリア政府との意見の相違によりキャンセルされた[要出典]。最終的に、いくつかのSu-7以外のすべての航空機がシリアの基地から撤退した。1973年10月の戦争中、シナイ半島のイスラエル基地に対する最初の空爆はイラクの飛行機で構成されていた。彼らは火砲地帯とイスラエルの戦車を攻撃し、空戦で21機のイスラエル戦闘機を破壊したと主張している。戦後まもなくして、IQAFはソ連から14機のTu-22Bと2機のTu-22Uと併せてKH-22ミサイルも注文し、1975年までに10機のTu-22Bと2機のTu-22Uが納入された。 1970年代には、イラクに対する北部でのクルド人の一連の激しい暴動も発生した。イラン国王の援助により、クルド人は近代的なSAMや一部のイラン兵を含む武器と物資を受け取った。IQAFはクルド人との戦闘で重大な損害を被ったことで、より高い爆撃高度と電子的対策の改良が施されたことでSAMの回避率を劇的に向上させた新たなTu-22を用いて武装勢力と戦い始めた(イラン国王がクルド人武装勢力を支援するためにイラク国境付近に設置したイランのホークSAM砲台を回避するために高高度から3トン爆弾を使用した)。1970年代半ば、イランとの緊張状態は高かったが、後にアルジェ条約で緩和された[要出典]。
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