1970年代 8ビット時代 パーソナルコンピュータの出現
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「パーソナルコンピュータ」の記事における「1970年代 8ビット時代 パーソナルコンピュータの出現」の解説
1974年に登場したマイクロプロセッサにより、個人でも所有可能な小型で低価格なコンピュータが実現可能になった。 当初のワンボードマイコンのキットは、技術者向けの評価キットおよびトレーニングキットで、入出力にはテレタイプ端末等に代表される、従来のコンピュータに用いられた巨大で扱いに手こずる入出力端末を接続する必要があった。また、その接続作業においても専門的知識を必要とし、一般的なものではなかった。一方、電子回路に詳しいアマチュアが部品を集めてコンピュータを自作し、個人で使用することもあった。また、いわゆるミニコンピュータを個人で所有する者もいた。 最初のパーソナルコンピュータとされることが多いAltair 8800が1974年の末に生まれる。完成させると「箱にランプとスイッチ」というミニコンスタイルのコンピュータができあがるキットはそれ以前からあったにはあったが、Altairが初の安価なヒット製品であった。それ以降2-3年ほどの間で、Apple IのようにCRTディスプレイやキーボードを接続するよう設計されているものなど、入出力が工夫された多数のマイコンキットが現れた。 1977年、コモドール、Apple、タンディ・ラジオシャックの各社から相次いで、本体がプラスチックケースにきれいに収められBASICインタプリタを内蔵し、オールインワンの完成品で出荷される、今日のパーソナルコンピュータの原型と言える型のコンピュータが登場する。これらはCRTディスプレイ、キーボード、そして外部記憶装置やプリンターのインターフェイスを一通り備えており、ディスプレイに接続して電源プラグをコンセントに差し込みさえすれば動作するものであった。中でもApple IIは表計算ソフト VisiCalcがキラーアプリケーションとなり大成功した。Apple IIは標準でカラー画像出力や音声出力に対応しており、パソコンゲームのプラットフォームとしても人気を博した。 日本でも1970年代後半に、外国製や日本製のワンボードマイコンのキットが販売された。たいていは16進キーボードと8桁の7セグメント表示を備えており、組み立てるには最低限、簡単なハンダ付け工作の技術は必要であったものの、完全に完成させれば、単体で簡単なプログラミングが楽しめるものであった。特に1976年に発売されたTK-80は、その中でも有名であり、この頃になってくると電子工作の知見も広がっていたので、購入者が独自の回路を外部に増設したりして様々な機能を実現したり、自作のケースに組み込んだりすることも流行った。 日本でもアメリカに続いて、上記に掲げた形態の完成品が販売されるようになった。初期の製品のいくつかは、マイコンと称されるかパソコンと称されるか曖昧であり、まず1978年に発売されたベーシックマスターMB-6880が現在のパソコンとされる形状およびシステム構成をとる姿で発売された。よく1979年のPC-8001(PC-8000シリーズ)が日本初のパソコンとされるが、実際は後でメーカー側の呼称により定義されたもので、(詳細は8ビットパソコン、パソコン御三家、ホビーパソコン等を参照)それより以前に発売されたHITAC10もメーカー側より「パーソナルコンピュータ」として発売されたが、実際はパーソナルコンピュータ(個人用途のコンピュータ)ではなく業務用コンピュータである。
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