1970年代 - 1980年代: ゲイ雑誌と二丁目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:02 UTC 版)
「新宿二丁目」の記事における「1970年代 - 1980年代: ゲイ雑誌と二丁目」の解説
1971年(昭和46年)にゲイ雑誌としては日本で7番目以降(商業ゲイ雑誌としては初)の「薔薇族」創刊後、「アドン」(廃刊)、「さぶ」(廃刊)、「The Gay」(廃刊)、「SAMSON(サムソン)」等が続いたが、いずれの雑誌にも多かれ少なかれゲイバーの広告が掲載されていた。1980年代頃からは、雑誌ページの三分の一程度が広告ページになり、ゲイバー・風俗店・ビデオメーカーの広告で埋め尽くされていた。その為、雑誌の本編の内容が広告主であるゲイバーや風俗店に「行きましょう」と促すものが増え、差し詰め「広告クライアントの啓蒙雑誌」の様相を呈し始めた。この頃からゲイの間で「二丁目」「二チョ」といえば、ゲイ・タウンとしての新宿二丁目を指すようになった。また、一部の芸能人が飲みに訪れることから、一般の週刊誌等にも多く取り上げられるようになった。 バブルに向かっていた1980年代でも、二丁目は表面的には暗い街で、堂々と歩けるような雰囲気はなく、店の中は込んでいても路上にゲイがたむろしていることはほとんどなかった。この頃、「ヌードスタジオ」という当時特有の風俗店も何軒かあり、ゲイ向けの「男性ヌードショー」も開かれていた。
※この「1970年代 - 1980年代: ゲイ雑誌と二丁目」の解説は、「新宿二丁目」の解説の一部です。
「1970年代 - 1980年代: ゲイ雑誌と二丁目」を含む「新宿二丁目」の記事については、「新宿二丁目」の概要を参照ください。
- 1970年代 - 1980年代: ゲイ雑誌と二丁目のページへのリンク