1955年の新駅とは? わかりやすく解説

1955年の新駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 14:01 UTC 版)

ハイデルベルク中央駅」の記事における「1955年の新駅」の解説

1955年5月5日に、新しハイデルベルク中央駅連邦大統領テオドール・ホイス臨席により開業した。かつてハイデルベルク数年住んでいたことのある大統領は、ブルッフザールからの特別列車ハイデルベルク到着した実際の駅の営業5月7日から8日にかけての夜から開始された。これは、旧駅まで暫定的に結んでいた2か所の築堤撤去する必要があったためである。この築堤の下に、新駅への線路が既に建設されていた。営業開始初日には、分岐器に関する技術的な問題と、人員新し設備慣れてなかったことにより、初期問題発生した新しダイヤでは、それまでハイデルベルクの駅の容量問題によりハイデルベルク迂回していた18本の長距離列車ハイデルベルク停車するようになった新し駅舎ドイツ連邦鉄道重役、ヘルムート・コンラディ (Helmuth Conradi) が設計した。彼は1920年代にパウル・シュミッテナー(ドイツ語版)やパウル・ボーナッツから建築学びシュトゥットガルト学派ドイツ語版)の影響受けた。縦のガラスの壁を持つ駅舎は、ナチス時代にハンス・フレーゼが設計したように、線路に対して50度の角度付けて建てられた。長さ53 mの南側の壁には、幅16 m、高さ12 mのホール部分に、カール・ヨーゼフ・フーバーによる「ヘリオス太陽戦車」のズグラッフィートがある。線路並行して2番目の建物があり、1階には小荷物および急行貨物受付待合室レストラン2階には連邦鉄道管理事務所などが入っている。2つ建物の間の部分には両方につながる螺旋階段がある。駅舎から突き出して全長91 m、幅20 mのプラットホーム通じ跨線橋ホールがある。このホール屋根プレストレスト・コンクリートによりカーブ描いた形で造られている。 1955年開業した時点で、駅舎は「近づきづらいガラス箱」と批判受けた。後に跨線橋ホールについては「建築上・運営卓越している」と評価された。長いガラスファサードはかつて鉄道建物にはなかった「優雅さ明るさ」を持ち、「1950年代の建築理想: 透明・明るさ・雄大さ」に対応していると言われた。バーデン=ヴュルテンベルク州歴史文化事務所2010年発行した文献によればガラスファサード新しさが、比較強くネオクラシカルなコンクリート屋根支柱備えた駅舎垂直構造対照をなしている。 中央継電連動信号扱所駅舎収容されている。旧駅10か所あった信号扱所置き換え信号扱手の数をそれまで45人から7人に削減した西側にはアメリカ陸軍のために別にプラットホーム備えた専用地区があった。小荷物郵便物列車積み込むために、2本の荷物用地下道掘られた。それまで一般的であったエレベーター代えてプラットホームへの接続には坂道用いられた。西側から来てハイデルベルク終着となる列車のために、機関区のそばに12本の番線を持つ留置線車体洗浄設備車両工場設けられた。さらなる到着列車のために駅の東側に4本の留置線設けられた。 新しハイデルベルク中央駅1955年から完全に電化されていたため、入換機関車としては電気機関車使用されていた。最初にハイデルベルク配置されたのはE69型(ドイツ語版)で、1964年E60型(ドイツ語版)に置き換えられた。また1962年からはハイデルベルク機関区初め急行用の機関車としてE10型が、そして近郊電車としてET56型(ドイツ語版)が配置された。ハイデルベルクへの蒸気機関車運行1965年終了し石炭取り扱い施設1968年閉鎖された。1970年時点では入換機関車電車のみがハイデルベルク配置されていた。1989年5月機関区廃止となった1966年シュヴェツィンゲンへの支線廃止となり、1990年代には多く長距離列車ハイデルベルクを通らなくなった新しハイデルベルク中央駅開業40周年に際してハイデルベルク新聞ラインネッカー=ツァイトゥング(ドイツ語版)」では、1955年時点での予想反して、駅は国際鉄道輸送不適合になってきているとした。2003年春にバリアフリーのために、跨線橋ホールプラットホームを結ぶエレベーター設置された。長距離列車用のプラットホームについては、1987年時点エスカレーター設置されていた。2003年12月には、ハイデルベルクラインネッカーSバーン拠点となったドイツ鉄道南西地区信号扱いカールスルーエ集約されたことから、中央信号扱所2006年機能停止した信号扱所建物そのまま存置されている。 1997年7月郵便物鉄道輸送廃止になったことから、駅の南側モンペリエ近くにあった鉄道用郵便局廃止となった同じく1997年には、マンハイム操車場ドイツ語版)に機能譲ってハイデルベルク操車場貨物駅廃止となった。もともと1日2,500両を扱えるように設計されていたのだが、最後の頃は1日400 - 500程度に過ぎなかった。貨物駅機関区跡地には、新し街区としてバーンシュタット(ドイツ語版)(鉄道の町という意味である)が設定され最初建物建設2010年開始された。バーンシュタットの開発促進するため、2011年1月から跨線橋ホール南側伸ばす工事が行われている。

※この「1955年の新駅」の解説は、「ハイデルベルク中央駅」の解説の一部です。
「1955年の新駅」を含む「ハイデルベルク中央駅」の記事については、「ハイデルベルク中央駅」の概要を参照ください。

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