1955年イギリスグランプリとは? わかりやすく解説

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1955年イギリスグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:10 UTC 版)

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 1955年イギリスグランプリ
レース詳細
1955年F1世界選手権全7戦の第6戦
日程 1955年7月16日
正式名称 VIII RAC British Grand Prix
開催地 エイントリー・モーターレーシング・サーキット
イギリス( イングランド) エイントリー
コース 恒久的レース施設
コース長 4.828 km (3.000 mi)
レース距離 90周 434.52 km (270.00 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー メルセデス
タイム 2:00.4
ファステストラップ
ドライバー スターリング・モス メルセデス
タイム 2:00.4
決勝順位
優勝 メルセデス
2位 メルセデス
3位 メルセデス

1955年イギリスグランプリ (1955 British Grand Prix) は、1955年のF1世界選手権第6戦として、1955年7月16日エイントリー・モーターレーシング・サーキットで開催された。

地元イギリス人ドライバーのスターリング・モスがF1初優勝を飾り、メルセデスが1位から4位までを独占した。

レース概要

当レースもメルセデスファン・マヌエル・ファンジオスターリング・モスが他を圧倒したが、いつもと違うのはモスが主導権を握ったことだった。途中ファンジオが先行する場面もあったが、最後はモスにファンジオが並びかけて0.2秒差でフィニッシュした。3位はカール・クリング、当レースよりメルセデスに加わったピエロ・タルッフィルイジ・ムッソの追走を振り切り4位に入り、メルセデスは4台全車が上位4位までを独占した[1]

ル・マン24時間レースの大惨事の影響でドイツGPスイスGPがキャンセルされ、残りのレースは2ヶ月後のイタリアGPのみとなったため、ファンジオの2年連続3度目のドライバーズチャンピオンが確定した。

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 ジャン・ベーラ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
4 ルイジ・ムッソ
6 ロベルト・ミエレス
8 アンドレ・シモン
10 ファン・マヌエル・ファンジオ ダイムラー・ベンツ メルセデス W196 メルセデス M196 2.5L L8 C
12 スターリング・モス
14 カール・クリング
16 マイク・ホーソーン スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 625 フェラーリ Tipo555 2.5L L4 E
18 モーリス・トランティニアン
20 エウジェニオ・カステロッティ
22 ロベール・マンヅォン エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6 E
24 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス
26 マイク・スパーケン
28 ケン・ウォートン ヴァンウォール・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW55 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
30 ハリー・シェル
32 ケネス・マッカルパイン コンノート・エンジニアリング コンノート B 1 アルタ GP 2.5L L4 D
34 ジャック・フェアーマン
36 トニー・ロルト
ピーター・ウォーカー 2
RRC・ウォーカー・レーシングチーム コンノート B アルタ GP 2.5L L4 D
38 レスリー・マー レスリー・マー コンノート B 1 アルタ GP 2.5L L4 D
40 ジャック・ブラバム クーパー・カー・カンパニー クーパー T40 ブリストル BS1 2.0L L6 D
42 ピーター・コリンズ オーウェン・レーシング・オーガニゼーション マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
44 ロイ・サルヴァドーリ ギルビー・エンジニアリング マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
46 ランス・マックリン スターリング・モス・リミテッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
48 ホレース・グールド グールズ・ガレージ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
50 ピエロ・タルッフィ ダイムラー・ベンツ メルセデス W196 メルセデス M196 2.5L L8 C
ソース:[2]
追記
  • ^1 - ストリームラインのシャシーを使用
  • ^2 - 交代要員としてエントリー

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 12 スターリング・モス メルセデス 2:00.4
2 10 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 2:00.6 + 0.2
3 2 ジャン・ベーラ マセラティ 2:01.4 + 1.0
4 14 カール・クリング メルセデス 2:02.0 + 1.6
5 50 ピエロ・タルッフィ メルセデス 2:03.0 + 2.6
6 6 ロベルト・ミエレス マセラティ 2:03.2 + 2.8
7 30 ハリー・シェル ヴァンウォール 2:03.8 + 3.4
8 8 アンドレ・シモン マセラティ 2:04.0 + 3.6
9 4 ルイジ・ムッソ マセラティ 2:04.2 + 3.8
10 20 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 2:05.0 + 4.6
11 22 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 2:05.0 + 4.6
12 16 マイク・ホーソーン フェラーリ 2:05.4 + 5.0
13 18 モーリス・トランティニアン フェラーリ 2:05.4 + 5.0
14 36 トニー・ロルト コンノート-アルタ 2:06.6 + 6.2
15 28 ケン・ウォートン ヴァンウォール 2:08.4 + 8.0
16 46 ランス・マックリン マセラティ 2:08.4 + 8.0
17 32 ケネス・マッカルパイン コンノート-アルタ 2:09.6 + 9.2
18 24 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 2:10.6 + 10.2
19 38 レスリー・マー コンノート-アルタ 2:11.6 + 11.2
20 44 ロイ・サルヴァドーリ マセラティ 2:11.6 + 11.2
21 34 ジャック・フェアーマン コンノート-アルタ 2:11.6 + 11.2
22 48 ホレース・グールド マセラティ 2:11.8 + 11.4
23 26 マイク・スパーケン ゴルディーニ 2:12.6 + 12.2
24 42 ピーター・コリンズ マセラティ 2:13.4 + 13.0
25 40 ジャック・ブラバム クーパー-ブリストル 2:27.4 + 27.0
ソース:[3]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 12 スターリング・モス メルセデス 90 3:07:21.2 1 9 1
2 10 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 90 +0.2 2 6
3 14 カール・クリング メルセデス 90 +1:11.8[4] 4 4
4 50 ピエロ・タルッフィ メルセデス 89 +1 Lap 5 3
5 4 ルイジ・ムッソ マセラティ 89 +1 Lap 9 2
6 16 マイク・ホーソーン
エウジェニオ・カステロッティ
フェラーリ 87 +3 Laps 12
7 26 マイク・スパーケン ゴルディーニ 81 +9 Laps 23
8 46 ランス・マックリン マセラティ 79 +11 Laps 16
9 28 ケン・ウォートン
ハリー・シェル
ヴァンウォール 72 +18 Laps 15
Ret 18 モーリス・トランティニアン フェラーリ 59 オーバーヒート 13
Ret 6 ロベルト・ミエレス マセラティ 47 エンジン 6
Ret 40 ジャック・ブラバム クーパー-ブリストル 30 エンジン 25
Ret 32 ケネス・マッカルパイン コンノート-アルタ 30 油圧 17
Ret 42 ピーター・コリンズ マセラティ 28 クラッチ 24
Ret 24 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 26 油圧 18
Ret 44 ロイ・サルヴァドーリ マセラティ 23 ギアボックス 20
Ret 48 ホレース・グールド マセラティ 22 ブレーキ 22
Ret 30 ハリー・シェル ヴァンウォール 20 スロットル 7
Ret 36 トニー・ロルト
ピーター・ウォーカー
コンノート-アルタ 19 トランスミッション 14
Ret 38 レスリー・マー コンノート-アルタ 18 ブレーキ 19
Ret 20 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 16 トランスミッション 10
Ret 8 アンドレ・シモン マセラティ 9 ギアボックス 8
Ret 2 ジャン・ベーラ マセラティ 9 オイル漏れ 3
Ret 22 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 4 トランスミッション 11
DNS 34 ジャック・フェアーマン コンノート-アルタ エンジン 21
ソース:[5]
追記

注記

  • 車両共有:
  • F1デビュー: ジャック・ブラバム、マイク・スパーケン(スパーケンは当レースのみ参戦)
  • F1最終出走: ランス・マックリン、レスリー・マー、ケネス・マッカルパイン、トニー・ロルト、ピーター・ウォーカー
  • F1初勝利: スターリング・モス
  • イギリスGPでイギリス人ドライバーが優勝したのは初。

第6戦終了時点のランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 33
2 スターリング・モス 22
3 モーリス・トランティニアン 11 13
4 ジュゼッペ・ファリーナ 10 13
5 ボブ・スウェイカート 8
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ (林信次 2000, p. 120-121)
  2. ^ Britain 1955 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年12月30日閲覧。
  3. ^ Britain 1955 - Qualifications”. statsf1.com. 2017年12月30日閲覧。
  4. ^ Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 90. ISBN 0-85429-276-4 
  5. ^ 1955 British Grand Prix”. formula1.com. 2014年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1955年オランダグランプリ
FIA F1世界選手権
1955年シーズン
次戦
1955年イタリアグランプリ
前回開催
1954年イギリスグランプリ
イギリスグランプリ 次回開催
1956年イギリスグランプリ

1955年イギリスグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/10 16:04 UTC 版)

ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事における「1955年イギリスグランプリ」の解説

メルセデス時代ファンジオ若きスターリング・モス理想的な師弟関係築いたモスファンジオ後衛務めファンジオ-モスの順でワンツーフィニッシュ重ねたが、モス地元イギリスグランプリだけは逆になった。レース中、モスは手で追い抜くよう合図したが、ファンジオ抜こうとせず、モスがF1初優勝達成したレース後、モス譲ってくれたことに礼を述べると、ファンジオは「違うよ、君が速かったんだ」とだけ答えた

※この「1955年イギリスグランプリ」の解説は、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の解説の一部です。
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