1952年オランダグランプリとは? わかりやすく解説

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1952年オランダグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:43 UTC 版)

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 1952年オランダグランプリ
レース詳細
1952年F1世界選手権全8戦の第7戦
日程 1952年シーズン第7戦
決勝開催日 8月17日
正式名称 III Grote Prijs van Nederland
開催地 ザントフォールト・サーキット
オランダ ザントフォールト
コース長 4.193 km (2.605 mi)
レース距離 90周 377.370 km (234.487 mi)
決勝日天候
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:46.5
ファステストラップ
ドライバー アルベルト・アスカリ フェラーリ
タイム 1:49.8 (89周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 フェラーリ
3位
  • ルイジ・ヴィッロレージ
フェラーリ

1952年オランダグランプリ (III Grote Prijs van Nederland) は、1952年8月17日にザントフォールト・サーキットで開催されたフォーミュラ2のレース。このレースは1952年のF1世界選手権の第7戦でもあったが、通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、1952年と1953年はフォーミュラ2のレギュレーションが適用された。

レース概要

前シーズン最終戦以来参戦していなかったルイジ・ヴィッロレージがフェラーリから復帰、ピエロ・タルッフィの代わりとしてニーノ・ファリーナアルベルト・アスカリと共に走る。アスカリは2週間前にタイトルを確定している。シャルル・ド・トルナコもエキュリー・フランコルシャンのフェラーリをドライブする。ゴルディーニは前戦と同じラインナップ、フランス人トリオのベーラ、マンヅォン、トランティニアンを起用し、ベルギー人ドライバーのポール・フレールはエキュリー・ベルゲのシムカ・ゴルディーニをドライブする。HWMはイギリス人ドライバーのランス・マックリン、ダンカン・ハミルトンに加え、地元ドライバーのドリーズ・ヴァン・デル・ローフを起用した。このほかのオランダ人ドライバーはエスクーデリア・バンディランテスのマセラティをドライブするヤン・フリンテルマンで、チームメイトはチコ・ランディとジノ・ビアンコであった。ワークスマセラティはドイツでの失敗の後、再び欠席することとなった。この他はコンノートをドライブするケン・ダウニング、クーパー-ブリストルマイク・ホーソーン、フレイザー・ナッシュのケン・ウォートンERAスターリング・モスがグリッドに並んだ。

フェラーリが再び予選を支配した。アスカリがシーズン4度目のポールポジションを獲得、ファリーナがこれに続いた。マイク・ホーソーンが予選で輝きを見せ、小さなクーパー-ブリストルでフロントローを獲得、ヴィッロレージのフェラーリを2列目に追いやった。トランティニアンのゴルディーニが2列目に並び、チームメイトのベーラ、マンヅォンはフレイザー・ナッシュのウォートンと共に3列目を形成した。

ホーソーンは5ラップに渡ってフェラーリと勇敢に戦ったが、フェラーリは通常のフォーメーションを構成した。アスカリがファリーナとヴィッロレージを率いてレースを制し、ホーソーンがフェラーリトリオの2ラップ遅れ、4位でこれに続いた。アスカリの勝利は5連勝となり、ファステストラップも5連続であった。彼の優勝は7度目となり、ファンジオの世界選手権最多勝を更新した。ゴルディーニのマンヅォンとトランティニアンはホーソーンからさらに1周遅れで5位、6位に入った。スターリング・モスは7位を走行していたが、リタイアとなった[1]

ファリーナは表彰台を獲得し、欠場したタルッフィを抜いてランキング2位に浮上した。スイス人ドライバーのルディ・フィッシャーは本GPに参加しなかったが、4位を維持した。マイク・ホーソーンはフィッシャーと同ポイントで5位に浮上した。

エントリーリスト

No ドライバー チーム コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 アルベルト・アスカリ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
4 ニーノ・ファリーナ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
6 ピエロ・タルッフィ フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 P
8 ジャン・ベーラ エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
10 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
12 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
14 ポール・フレール1 エキュリー・ベルゲ シムカ・ゴルディーニ シムカ・ゴルディーニ T15 ゴルディーニ 1500 1.5 L4 E
16 チコ・ランディ2 エスクーデリア・バンディランテス マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
18 ジノ・ビアンコ3 マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
20 ヤン・フリンテルマン マセラティ マセラティ・A6GCM マセラティ A6G 2.0 L6 P
22 ケン・ダウニング ケン・ダウニング コンノート-リー・フランシス コンノート・A リー・フランシス 2.0 L4 D
24 シャルル・ド・トルナコ4 エキュリー・フランコルシャン フェラーリ フェラーリ・500 フェラーリ Type 500 2.0 L4 E
26 ランス・マックリン HWモータース HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
28 ダンカン・ハミルトン HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
30 ドリーズ・ヴァン・デル・ローフ HWM-アルタ HWM 52 アルタ F2 2.0 L4 D
32 マイク・ホーソーン レスリー・D・ホーソーン クーパー-ブリストル クーパー・T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D
34 ケン・ウォートン スクーデリア・フラネラ フレイザー・ナッシュ-ブリストル フレイザー・ナッシュ 421 ブリストル BS1 2.0 L6 D
36 スターリング・モス イングリッシュ・レーシング・オートモビルズ Ltd. ERA ERA G ERA 1.5 L6 D
Sources:[2][3]
^1 - ポール・フレールはシムカ・ゴルディーニ14番車で予選と決勝を走行した。ジョニー・クレエも同車でエントリーしていたが、解雇された後はGPに参加しなかった[4]
^2 - チコ・ランディはマセラティ16番車で予選と決勝43ラップを走行した。ヤン・フリンテルマンは自身の車でリタイアした後、車を引き継いで40ラップを走行した[5]
^3 - ジノ・ビアンコはシムカ・ゴルディーニ14番車で予選と決勝を走行した。アイテル・カントーニも同車でエントリーしていたが、解雇された後はGPに参加しなかった[4]
^4 - シャルル・ド・トルナコはフェラーリ24番車で予選と決勝を走行した。ルイ・ロジェは当初同番の別車両でエントリーしていたが、後にエントリーを取りやめた[4]

結果

予選

順位 No ドライバー コンストラクター タイム
1 2 アルベルト・アスカリ フェラーリ 1:46.5 ?
2 4 ニーノ・ファリーナ フェラーリ 1:48.6 + 2.1
3 32 マイク・ホーソーン クーパー-ブリストル 1:51.6 + 5.1
4 6 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 1:51.8 + 5.3
5 12 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 1:53.0 + 6.5
6 8 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 1:54.5 + 8.0
7 34 ケン・ウォートン フレイザー・ナッシュ-ブリストル 1:54.7 + 8.2
8 10 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 1:54.8 + 8.3
9 26 ランス・マックリン HWM-アルタ 1:55.2 + 8.7
10 28 ダンカン・ハミルトン HWM-アルタ 1:55.8 + 9.3
11 14 ポール・フレール シムカ・ゴルディーニ-ゴルディーニ 1:58.2 + 11.7
12 18 ジノ・ビアンコ マセラティ 1:58.4 + 11.9
13 22 ケン・ダウニング コンノート-リー・フランシス 1:58.6 + 12.1
14 30 ドリーズ・ヴァン・デル・ローフ HWM-アルタ 1:59.4 + 12.9
15 20 ヤン・フリンテルマン マセラティ 2:01.8 + 15.3
16 16 チコ・ランディ マセラティ 2:02.1 + 15.6
17 24 シャルル・ド・トルナコ フェラーリ 2:03.7 + 17.2
18 36 スターリング・モス ERA 2:04.5 + 18.0

決勝

順位 No ドライバー チーム 周回 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 2 アルベルト・アスカリ フェラーリ 90 2:53:28.5 1 9
2 4 ニーノ・ファリーナ フェラーリ 90 + 40.1 2 6
3 6 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 90 + 1:34.4 4 4
4 32 マイク・ホーソーン クーパー-ブリストル 88 + 2 laps 3 3
5 10 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 87 + 3 laps 6 2
6 12 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 87 + 3 laps 5
7 28 ダンカン・ハミルトン HWM-アルタ 85 + 5 laps 10
8 26 ランス・マックリン HWM-アルタ 84 + 6 laps 9
9 16 チコ・ランディ
ヤン・フリンテルマン
マセラティ 83 + 7 laps 16
リタイア 34 ケン・ウォートン フレイザー・ナッシュ-ブリストル 76 ホイールベアリング 7
リタイア 36 スターリング・モス ERA 73 エンジン 18
リタイア 30 ドリーズ・ヴァン・デル・ローフ HWM-アルタ 70 Not Classified 14
リタイア 22 ケン・ダウニング コンノート-リー・フランシス 27 油圧 13
リタイア 24 シャルル・ド・トルナコ フェラーリ 19 エンジン 17
リタイア 14 ポール・フレール シムカ-ゴルディーニ-ゴルディーニ 15 クラッチ 11
リタイア 8 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 10 電装系 6
リタイア 20 ヤン・フリンテルマン マセラティ 7 ディファレンシャル 15
リタイア 18 ジノ・ビアンコ マセラティ 4 アクセル 12

  • ポールポジション:アルベルト・アスカリ - 1:46.5
  • ファステストラップ:アルベルト・アスカリ - 1:49.8
  • 車両共有 - 16番車:前半はチコ・ランディ(43ラップ)、以降はヤン・フリンテルマン(40ラップ)

第7戦終了時点でのランキング

順位 ドライバー ポイント
1 アルベルト・アスカリ 36 (45)
1 2 ニーノ・ファリーナ 24
1 3 ピエロ・タルッフィ 22
4 ルディ・フィッシャー 10
2 5 マイク・ホーソーン 10
  • :トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

参照

  1. ^ Dutch GP, 1952 Race Report”. Grandprix.com. 2013年2月8日閲覧。
  2. ^ 1952 Dutch Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2014年1月14日閲覧。
  3. ^ 1952 Dutch GP - Entry List”. chicanef1.com. 2014年1月14日閲覧。
  4. ^ a b c Netherlands 1952 - Result”. statsf1.com. 2014年1月14日閲覧。
  5. ^ Dutch Grand Prix 1952 - Results”. ESPN F1. 2014年1月14日閲覧。


前戦
1952年ドイツグランプリ
FIA F1世界選手権
1952年シーズン
次戦
1952年イタリアグランプリ
オランダグランプリ 次回開催
1953年オランダグランプリ



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