1953年イタリアグランプリとは? わかりやすく解説

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1953年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 22:08 UTC 版)

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 1953年イタリアグランプリ
レース詳細
1953年F1世界選手権全9戦の第9戦
モンツァ・サーキット (1938–1954)
日程 1953年9月13日
正式名称 XXIV Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 6.300 km (3.915 mi)
レース距離 80周 504.000 km (313.171 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 2:02:7
ファステストラップ
ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
タイム 2:04.5 (39周目)
決勝順位
優勝 マセラティ
2位 フェラーリ
3位
  • ルイジ・ヴィッロレージ
フェラーリ

1953年イタリアグランプリ (1953 Italian Grand Prix) は、1953年のF1世界選手権最終戦として、1953年9月13日モンツァ・サーキットで開催された。

1952年と1953年は通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、フォーミュラ2のレギュレーションが適用され、当レースが最後の適用となった。

レース概要

2台ずつのフェラーリアルベルト・アスカリジュゼッペ・ファリーナ)とマセラティファン・マヌエル・ファンジオオノフレ・マリモン)が一団となってトップ争いを繰り広げる激戦となる。マリモンはラジエーターの修理のためピットインを強いられ周回遅れとなりトップ争いから脱落したが、トップ集団の位置でコースに復帰して再び4台による抜きつ抜かれつの攻防が続いていく。このトップ争いの主導権を終始握っていたのはアスカリだったが、最終ラップで周回遅れの処理を誤って2回転の大スピンを喫し、マリモンと接触してリタイアとなった。ファリーナはグリーンにはみ出して接触を回避、ファンジオがこれらを一瞬の判断で切り抜けて優勝した[1]

ファンジオは1951年スペイングランプリ以来2年ぶりの勝利、マセラティはF1初勝利を飾り、1952年の開幕から続いていたフェラーリの連勝は14でストップした(インディ500は除く)。

そのフェラーリは、翌1954年F1レギュレーションに対応した553スクアーロ)を先行投入した。予選でレギュラードライバー全員が交代でドライブしたが操縦性に難があったため、決勝はウンベルト・マグリオーリとピエロ・カリーニの補欠ドライバー2名のみがドライブした[1]

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 ルイジ・ヴィッロレージ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 500 フェラーリ Tipo500 2.0L L4 P
4 アルベルト・アスカリ
6 ジュゼッペ・ファリーナ
8 マイク・ホーソーン
10 ウンベルト・マグリオーリ 553 フェラーリ Tipo553 2.0L L4
12 ピエロ・カリーニ
14 ランス・マックリン HWモータース HWM 53 アルタ F2 2.0L L4 D
16 イブ・ジロー・カバントゥ
18 ジョン・フィッチ
20 ジャック・フェアーマン コンノート・エンジニアリング コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 D
22 ロイ・サルヴァドーリ
24 ケネス・マッカルパイン
26 ジョニー・クレエ エキュリー・ベルゲ コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 E
28 スターリング・モス クーパー・カー・カンパニー クーパー T23 アルタ F2 2.0L L4 D
30 ケン・ウォートン ケン・ウォートン クーパー T23 ブリストル BS1 2.0L L6 D
32 ルイ・シロン ルイ・シロン オスカ 20 オスカ 2000 2.0L L6 P
34 エリー・バイヨル エリー・バイヨル オスカ 20 オスカ 2000 2.0L L6 P
36 モーリス・トランティニアン エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0L L6 E
38 ハリー・シェル
40 ロベルト・ミエレス
42 チコ・ランディ スクーデリア・ミラノ マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
44 プリンス・ビラ
46 アラン・ブラウン エキップ・アングレーズ クーパー T23 ブリストル BS1 2.0L L6 D
48 ハンス・スタック ハンス・スタック AFM 6 ブリストル BS1 2.0L L6 E
50 ファン・マヌエル・ファンジオ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
52 フェリーチェ・ボネット
54 オノフレ・マリモン
56 セルジオ・マントヴァーニ
ルイジ・ムッソ 1
58 エマヌエル・ド・グラッフェンリード バロン・デ・グラッフェンリート マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
64 ルイ・ロジェ エキュリー・ロジェ フェラーリ 500 フェラーリ Tipo500 2.0L L4 D
ソース:[2]
追記
  • ^1 - マントヴァーニが38周走行した後、ムッソに交代して38周走行した

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 4 アルベルト・アスカリ フェラーリ 2:02.7
2 50 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 2:03.2 + 0.5
3 6 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 2:03.9 + 1.2
4 54 オノフレ・マリモン マセラティ 2:04.1 + 1.4
5 2 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 2:04.6 + 1.9
6 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 2:04.9 + 2.2
7 52 フェリーチェ・ボネット マセラティ 2:05.1 + 2.4
8 36 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 2:05.7 + 3.0
9 58 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 2:05.9 + 3.2
10 28 スターリング・モス クーパー-アルタ 2:06.6 + 3.9
11 10 ウンベルト・マグリオーリ フェラーリ 2:06.9 + 4.2
12 56 セルジオ・マントヴァーニ マセラティ 2:07.5 + 4.8
13 34 エリー・バイヨル オスカ 2:07.8 + 5.1
14 22 ロイ・サルヴァドーリ コンノート-リー・フランシス 2:08.0 + 5.3
15 38 ハリー・シェル ゴルディーニ 2:08.5 + 5.8
16 40 ロベルト・ミエレス ゴルディーニ 2:08.8 + 6.1
17 64 ルイ・ロジェ フェラーリ 2:08.9 + 6.2
18 24 ケネス・マッカルパイン コンノート-リー・フランシス 2:09.0 + 6.3
19 30 ケン・ウォートン クーパー-ブリストル 2:09.3 + 6.6
20 12 ピエロ・カリーニ フェラーリ 2:09.5 + 6.8
21 42 チコ・ランディ マセラティ 2:09.7 + 7.0
22 20 ジャック・フェアーマン コンノート-リー・フランシス 2:09.9 + 7.2
23 44 プリンス・ビラ マセラティ 2:10.1 + 7.4
24 46 アラン・ブラウン クーパー-ブリストル 2:10.5 + 7.8
25 32 ルイ・シロン オスカ 2:10.8 + 8.1
26 18 ジョン・フィッチ HWM-アルタ 2:11.0 + 8.3
27 14 ランス・マックリン HWM-アルタ 2:11.5 + 8.8
28 16 イブ・ジロー・カバントゥ HWM-アルタ 2:11.9 + 9.2
29 48 ハンス・スタック AFM-ブリストル 2:13.0 + 10.3
30 26 ジョニー・クレエ コンノート-リー・フランシス 2:14.6 + 11.9
ソース:[3]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 50 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 80 2:49:45.9 2 9
2 6 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 80[4] + 1.4[4] 3 6
3 2 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 79 + 1 Lap 5 4
4 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 79 + 1 Lap 6 3
5 36 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 79 + 1 Lap 8 2
6 40 ロベルト・ミエレス ゴルディーニ 77 + 3 Laps 16
7 56 セルジオ・マントヴァーニ
ルイジ・ムッソ
マセラティ 76 + 4 Laps 12
8 10 ウンベルト・マグリオーリ フェラーリ 75 + 5 Laps 11
9 38 ハリー・シェル ゴルディーニ 75 + 5 Laps 15
10 32 ルイ・シロン オスカ 72 + 8 Laps 25
11 44 プリンス・ビラ マセラティ 72 + 8 Laps 23
12 46 アラン・ブラウン クーパー-ブリストル 70 + 10 Laps 24
13 28 スターリング・モス クーパー-アルタ 70 + 10 Laps 10
14 48 ハンス・スタック AFM-ブリストル 67 + 13 Laps 29
15 16 イブ・ジロー・カバントゥ HWM-アルタ 67 + 13 Laps 28
16 64 ルイ・ロジェ フェラーリ 65 + 15 Laps 17
Ret 4 アルベルト・アスカリ フェラーリ 79 アクシデント 1
Ret 52 フェリーチェ・ボネット マセラティ 77 燃料切れ 7
Ret 54 オノフレ・マリモン マセラティ 75 アクシデント 4
Ret 58 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 70 エンジン 9
NC 20 ジャック・フェアーマン コンノート-リー・フランシス 61 規定周回数不足 22
NC 30 ケン・ウォートン クーパー-ブリストル 57 規定周回数不足 19
NC 24 ケネス・マッカルパイン コンノート-リー・フランシス 56 規定周回数不足 18
Ret 12 ピエロ・カリーニ フェラーリ 40 エンジン 20
Ret 22 ロイ・サルヴァドーリ コンノート-リー・フランシス 33 スロットル 14
Ret 42 チコ・ランディ マセラティ 18 エンジン 21
Ret 34 エリー・バイヨル オスカ 17 エンジン 13
Ret 18 ジョン・フィッチ HWM-アルタ 14 エンジン 26
Ret 26 ジョニー・クレエ コンノート-リー・フランシス 7 燃料システム 30
Ret 14 ランス・マックリン HWM-アルタ 6 エンジン 27
ソース:[5]

注記

  • 車両共有 – 56号車: マントヴァーニ(38周)、ムッソ(38周)
  • F1デビュー戦 - ウンベルト・マグリオーリ、ルイジ・ムッソ
  • F1最終出走 - イブ・ジロー・カバントゥ、ハンス・スタック

ランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 アルベルト・アスカリ 34.5 (46.5)
1 2 ファン・マヌエル・ファンジオ 28 (29.5)
1 3 ジュゼッペ・ファリーナ 26 (32)
4 マイク・ホーソーン 19 (27)
1 5 ルイジ・ヴィッロレージ 17
  • : トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b (林信次 2000, p. 82-83)
  2. ^ Italy 1953 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年8月13日閲覧。
  3. ^ Italy 1953 - Qualifications”. statsf1.com. 2016年5月5日閲覧。
  4. ^ a b Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 65. ISBN 0-85429-276-4 
  5. ^ 1953 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月4日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1953年スイスグランプリ
FIA F1世界選手権
1953年シーズン
前回開催
1952年イタリアグランプリ
イタリアグランプリ 次回開催
1954年イタリアグランプリ

1953年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/10 16:04 UTC 版)

ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事における「1953年イタリアグランプリ」の解説

モンツァ・サーキットにて最終周回直線先行していたアルベルト・アスカリジュゼッペ・ファリーナは遅い車に邪魔されて2台ともクラッシュしたが、そのすぐ後ろ入っていたファンジオ一瞬事態見抜き衝突避けて優勝した

※この「1953年イタリアグランプリ」の解説は、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の解説の一部です。
「1953年イタリアグランプリ」を含む「ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事については、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の概要を参照ください。

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