1953年オランダグランプリとは? わかりやすく解説

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1953年オランダグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 07:47 UTC 版)

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 1953年オランダグランプリ
レース詳細
1953年F1世界選手権全9戦の第3戦
日程 1953年6月7日
正式名称 IV Grote Prijs van Nederland
開催地 ザントフォールト・サーキット, ザントフォールト, オランダ
コース 恒久的レース施設
コース長 4.193 km (2.605 mi)
レース距離 90周 377.370 km (234.488 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:51.1
ファステストラップ
ドライバー ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ
タイム 1:52.8 (59周目)
決勝順位
優勝 フェラーリ
2位 フェラーリ
3位
マセラティ

1953年オランダグランプリ (1953 Dutch Grand Prix) は、1953年のF1世界選手権第3戦として、1953年6月7日ザントフォールト・サーキットで開催された。

1952年と1953年は通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、フォーミュラ2のレギュレーションが適用された。

レース概要

前年は8月に開催されたオランダグランプリだが、1953年は6月に移動された。 フェラーリは開幕戦アルゼンチンGPに引き続き、アルベルト・アスカリ、ルイジ・ヴィッロレージ、ジュゼッペ・ファリーナマイク・ホーソーンの4人がワークス参戦、ルイ・ロジェがプライベート参戦。 フェラーリの対抗馬であるマセラティは、ファン・マヌエル・ファンジオホセ・フロイラン・ゴンザレス、フェリーチェ・ボネットの3人がアルゼンチンGPに引き続きワークス参戦、エマヌエル・ド・グラッフェンリードがエンリコ・プラーテからプライベート参戦。ゴルディーニはアルゼンチンGPでマシンを共有したモーリス・トランティニアンとハリー・シェルに加え、F1デビュー戦となるロベルト・ミエレスの3台体制。コンノートはケネス・マッカルパインとロイ・サルヴァドーリに加え、スターリング・モスの3台体制、ジョニー・クレエがエキュリー・ベルゲからプライベート参戦。HWMピーター・コリンズとランス・マックリンの2台体制。 ケン・ウォートンクーパーブリストルでプライベート参戦。

アスカリが5戦連続(ヨーロッパのチームが1台も参戦しなかったインディ500を除く)のポールポジション。アスカリに続き、ファンジオとファリーナがフロントロー。ヴィッロレージとゴンザレスが2列目。ホーソーン、ド・グラッフェンリード、ロジェが3列目。ボネットは13番手で5列目からスタートとなった。

レースはコースが砂により滑りやすく、非常に難しい状況となった。アスカリは全周回トップを走り優勝、チームメイトのファリーナが2位に続き、ヴィッロレージはファステストラップを記録するがスロットルのトラブルでリタイアした。ゴンザレスはサスペンションのトラブルのため22周でリタイアとなったが、3周後にボネットのマシンへ乗り換え、アルゼンチンGP同様ホーソーンを抜き3位入賞を果たし、フェラーリの1-2-3を阻止した。ファンジオはフェラーリ3台に続く4位を走行していたが、アクセルが壊れリタイアとなった。ド・グラッフェンリードは5位に入賞し、1951年スイスグランプリ以来のポイント獲得となった[1]

アスカリは8連勝(インディ500を除く)でドライバーズランキング首位。2位のビル・ブコビッチはインディ500の勝者であるため、アスカリの実質的なライバルはチームメイトの3位ヴィッロレージと4位ファリーナとなる。ゴンザレスとホーソーンはファリーナと同ポイントでアスカリと11ポイント差だが、最上位回数でファリーナを下回る。

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 アルベルト・アスカリ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 500 フェラーリ Type 500 2.0L L4 P
4 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 500 フェラーリ Type 500 2.0L L4 P
6 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 500 フェラーリ Type 500 2.0L L4 P
8 マイク・ホーソーン フェラーリ 500 フェラーリ Type 500 2.0L L4 P
10 ルイ・ロジェ エキュリー・ロジェ フェラーリ 500 フェラーリ Type 500 2.0L L4 D
12 ファン・マヌエル・ファンジオ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ A6GCM-53 マセラティ A6G 2.0L L6 P
14 ホセ・フロイラン・ゴンザレス マセラティ A6GCM-53 マセラティ A6G 2.0L L6 P
16 フェリーチェ・ボネット 1 マセラティ A6GCM-53 マセラティ A6G 2.0L L6 P
18 エマヌエル・ド・グラッフェンリード エンリコ・プラーテ マセラティ A6GCM-53 マセラティ A6G 2.0L L6 P
20 ハリー・シェル エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0L L6 E
22 ロベルト・ミエレス 2 ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0L L6 E
24 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0L L6 E
26 ロイ・サルヴァドーリ コンノート・エンジニアリング コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 D
28 ケネス・マッカルパイン コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 D
30 ジョニー・クレエ エキュリー・ベルゲ コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 E
32 ケン・ウォートン ケン・ウォートン クーパー T23 ブリストル BS1 2.0 L6 D
34 スターリング・モス コンノート・エンジニアリング コンノート タイプA リー・フランシス 2.0L L4 D
36 ピーター・コリンズ HWモータース HWM 53 アルタ F2 2.0L L4 D
38 ランス・マックリン HWM 53 アルタ F2 2.0L L4 D
40 フレッド・ワッカー 3 エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 20 2.0 L6 E
ソース: [2][3]
追記
^1 — マセラティの16号車はボネットが25周走り、残りの周回は既にリタイアとなったゴンザレスが走った[4]
^2 — ゴルディーニの22号車は、当初ジャン・ベーラがエントリーされていたが[5]、非選手権のポーGPで負傷し欠場したため[6]、ミエレスに交代した[7]
^3 — ワッカーは予選に出走せず。ワッカーのエンジンはシェルが使用した[8]

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 2 アルベルト・アスカリ フェラーリ 1:51.1
2 12 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 1:52.7 +1.6
3 6 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 1:53.0 +1.9
4 4 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 1:53.7 +2.6
5 14 ホセ・フロイラン・ゴンザレス マセラティ 1:54.1 +3.0
6 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 1:54.9 +3.8
7 18 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 1:58.7 +7.6
8 10 ルイ・ロジェ フェラーリ 1:59.5 +8.4
9 34 スターリング・モス コンノート-リー・フランシス 2:00.0 +8.9
10 20 ハリー・シェル ゴルディーニ 2:00.1 +9.0
11 26 ロイ・サルヴァドーリ コンノート-リー・フランシス 2:00.5 +9.4
12 24 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 2:01.2 +10.1
13 16 フェリーチェ・ボネット マセラティ 2:01.5 +10.4
14 28 ケネス・マッカルパイン コンノート-リー・フランシス 2:01.9 +10.8
15 38 ランス・マックリン HWM-アルタ 2:02.4 +11.3
16 36 ピーター・コリンズ HWM-アルタ 2:03.1 +12.0
17 30 ジョニー・クレエ コンノート-リー・フランシス 2:03.9 +12.8
18 32 ケン・ウォートン クーパー-ブリストル 2:06.4 +15.3
19 22 ロベルト・ミエレス ゴルディーニ 2:08.5 +17.4
ソース:[9]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 2 アルベルト・アスカリ フェラーリ 90 2:53:35.8 1 8
2 6 ジュゼッペ・ファリーナ フェラーリ 90 + 10.4 3 6
3 16 フェリーチェ・ボネット
ホセ・フロイラン・ゴンザレス
マセラティ 89 + 1 Lap 13 2
2
4 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 89 + 1 Lap 6 3
5 18 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 88 + 2 Laps 7 2
6 24 モーリス・トランティニアン ゴルディーニ 87 + 3 Laps 12
7 10 ルイ・ロジェ フェラーリ 86 + 4 Laps 8
8 36 ピーター・コリンズ HWM-アルタ 84 + 6 Laps 16
9 34 スターリング・モス コンノート-リー・フランシス 83 + 7 Laps 9
Ret 4 ルイジ・ヴィッロレージ フェラーリ 67 スロットル 4 1
Ret 28 ケネス・マッカルパイン コンノート-リー・フランシス 63 エンジン 14
Ret 20 ハリー・シェル ゴルディーニ 59 トランスミッション 10
NC 30 ジョニー・クレエ コンノート-リー・フランシス 52 規定周回数不足 17
Ret 12 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 36 アクセル 2
Ret 22 ロベルト・ミエレス ゴルディーニ 28 トランスミッション 19
Ret 14 ホセ・フロイラン・ゴンザレス マセラティ 22 リアアクセル 5
Ret 32 ケン・ウォートン クーパー-ブリストル 19 ウィッシュボーン 18
Ret 26 ロイ・サルヴァドーリ コンノート-リー・フランシス 14 エンジン 11
Ret 38 ランス・マックリン HWM-アルタ 7 スロットル 15
ソース:[10]
ファステストラップ[11]
  • ルイジ・ヴィッロレージ(フェラーリ) 1:52.8(59周目)
ラップリーダー[12]

注記

  • 車両共有:
  • デビュー戦:ロベルト・ミエレス

第3戦終了時点でのランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 アルベルト・アスカリ 17
2 ビル・ブコビッチ 9
3 ルイジ・ヴィッロレージ 7
26 4 ジュゼッペ・ファリーナ 6
1 5 アート・クロス 6
  • :トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。

脚注

  1. ^ Dutch GP, 1953 Race Report”. Grandprix.com. 2013年7月17日閲覧。
  2. ^ 1953 Dutch Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月6日閲覧。
  3. ^ 1953 Dutch GP - Entry List”. chicanef1.com. 2014年6月23日閲覧。
  4. ^ Dutch Grand Prix 1953 - Results”. ESPN F1. 2014年6月23日閲覧。
  5. ^ Netherlands 1953 - Race entrants”. statsf1.com. 2014年6月23日閲覧。
  6. ^ Driver spotlight #1: Jean Behra – Behra the Brave”. jg-f1.com (2013年9月19日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月6日閲覧。
  7. ^ Happy 87th birthday, Roberto Mieres!”. richardsf1.com (2011年12月3日). 2014年6月23日閲覧。
  8. ^ 1953 Dutch Grand Prix”. silhouet.com. 2014年6月23日閲覧。
  9. ^ 1953 Dutch Grand Prix - Qualifying and Race Results”. f1pulse.com. 2013年7月17日閲覧。
  10. ^ 1953 Dutch Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月4日閲覧。
  11. ^ 1953 Dutch Grand Prix - FASTEST LAPS”. formula1.com. 2017年6月18日閲覧。
  12. ^ Netherlands 1953 - Laps led”. STATS F1. 2017年6月18日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1953年インディ500
FIA F1世界選手権
1953年シーズン
次戦
1953年ベルギーグランプリ
前回開催
1952年オランダグランプリ
オランダグランプリ 次回開催
1955年オランダグランプリ



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