1956年イタリアグランプリとは? わかりやすく解説

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1956年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:19 UTC 版)

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 1956年イタリアグランプリ
レース詳細
1956年F1世界選手権全8戦の第8戦
モンツァ・サーキット(バンク併用、1955–1961)
日程 1956年9月2日
正式名称 XXVII Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 10.000 km (6.214 mi)
レース距離 50周 500.023 km (310.700 mi)
決勝日天候 雨(ウエット)
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 2:42:6
ファステストラップ
ドライバー スターリング・モス マセラティ
タイム 2:45.5
決勝順位
優勝 マセラティ
2位 フェラーリ
3位
  • ロン・フロックハート
コンノート-アルタ

1956年イタリアグランプリ (1956 Italian Grand Prix) は、1956年のF1世界選手権第8戦(最終戦)として、1956年9月2日モンツァ・サーキットで開催された。

当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[1]

レース概要

最終戦の当レースを迎えた時点で、チャンピオン争いはフェラーリファン・マヌエル・ファンジオ(30点)とピーター・コリンズ(22点)の2人に絞られた。コリンズがチャンピオンになるには優勝してかつファンジオが無得点の場合のみで、ファンジオが圧倒的に有利であった。なお、コリンズと同じ22点のジャン・ベーラマセラティ)は有効ポイント制(1956年はベスト5戦)によりチャンピオンの可能性はない[2]

前年に引き続きロードコースとオーバルコースの複合コースで行われ、荒れた路面がシャシーやタイヤに大きな負担をかけることになった[3]

予選はファンジオ、エウジェニオ・カステロッティ、ルイジ・ムッソのフェラーリ3台がフロントローを独占した[4]

決勝はカステロッティとムッソが好スタートを切ったが、10周もしないうちにムッソはタイヤがボロボロになってしまいピットインを強いられ後退、カステロッティはタイヤがバーストしてしまい、オーバルの出口で派手なスピンを喫してリタイアとなった。その後はスターリング・モス、ファンジオ、ハリー・シェル、コリンズが順位を入れ替えながらトップ争いを繰り広げるが、ファンジオがステアリングの故障でピットインを強いられ脱落し、シェルもマシントラブルでリタイアとなった。モスはコリンズを引き離して独走態勢となる。ムッソがタイヤ交換と給油のため2度目のピットインを行う際にチームはファンジオとの交代を促すが、ムッソはこれを拒否してコースへ復帰した。その後コリンズもピットインするが、ピット内でうなだれているファンジオの姿を発見するとマシンを降りてファンジオに交代を申し出た。コリンズは逆転でチャンピオンを獲得するチャンスを捨ててエースを立てた。ファンジオは笑顔に戻り3位でコースへ復帰した。

トップを独走していたモスは45周目にガス欠に陥りスローダウンしてしまうが、後方から同じマセラティに乗るルイジ・ピオッティ(プライベート参戦)の機転によりマシンを押してもらい、ピットまで戻ることができた。モスの給油が終わるとムッソが首位に躍り出るが、残り3周でステアリングが壊れてコントロールを失い、スピンオフを喫してリタイアしてしまい、母国レースでの優勝の夢は潰えた。これでモスが再び首位に浮上してそのままチェッカーフラッグを受けた。コリンズからマシンを譲られたファンジオが5.7秒差の2位でフィニッシュし、3年連続4回目のチャンピオンが決定した。コリンズはなぜ自らチャンピオン獲得の可能性を捨てたのかと問われると、「僕はまだ(24歳と)若いし、これからもまだまだチャンスがある。ファンジオこそが今年の王者を奪うにふさわしい」と素直にファンジオのチャンピオン獲得を讃えた[5]コンノートのロン・フロックハートが3位に入賞し、ドライバー及びチームにとって初の表彰台を獲得した。

ゴルディーニはF1初年度の1950年以来F1に参戦し続けていたが、資金難により本年をもってF1から撤退した[6]

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 レス・レストン コンノート・エンジニアリング コンノート B アルタ GP 2.5L L4 A
4 ロン・フロックハート
アーチー・スコット=ブラウン 1
P
6 ジャック・フェアーマン
8 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T32 ゴルディーニ 25 2.5L L8 E
10 ロベール・マンヅォン
12 アンドレ・シモン T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6
14 エマヌエル・ド・グラッフェンリード スクーデリア・セントロ・スッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
16 ピエロ・タルッフィ ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW2 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
18 ハリー・シェル
20 モーリス・トランティニアン
22 ファン・マヌエル・ファンジオ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ D50 フェラーリ DS50 2.5L V8 E
24 エウジェニオ・カステロッティ
26 ピーター・コリンズ
28 ルイジ・ムッソ
30 アルフォンソ・デ・ポルターゴ
32 ジャン・ベーラ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
34 ルイジ・ヴィッロレージ
ヨアキム・ボニエ 2
36 スターリング・モス
38 パコ・ゴディア
40 ルイジ・ピオッティ ルイジ・ピオッティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
42 ジェリーノ・ジェリーニ スクーデリア・ガステラ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
44 ロイ・サルヴァドーリ ギルビー・エンジニアリング マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
46 ウンベルト・マグリオーリ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
48 ブルース・ハルフォード ブルース・ハルフォード マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
50 ヴォルフガング・フォン・トリップス スクーデリア・フェラーリ フェラーリ D50 フェラーリ DS50 2.5L V8 E
52 ルイ・ロジェ 3 エキュリー・ロジェ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
54 ホレース・グールド 3 グールズ・ガレージ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
ソース:[7]
追記
  • ^1 - スコット=ブラウンは国際ライセンスが得られず除外された
  • ^2 - 交代要員としてエントリー
  • ^3 - エントリーしたが出場せず[8]

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 22 ファン・マヌエル・ファンジオ フェラーリ 2:42.6
2 24 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 2:43.4 + 0.8
3 28 ルイジ・ムッソ フェラーリ 2:43.7 + 1.1
4 16 ピエロ・タルッフィ ヴァンウォール 2:45.4 + 2.8
5 32 ジャン・ベーラ マセラティ 2:45.6 + 3.0
6 36 スターリング・モス マセラティ 2:45.9 + 3.3
7 26 ピーター・コリンズ フェラーリ 2:46.0 + 3.4
8 34 ルイジ・ヴィッロレージ マセラティ 2:47.7 + 5.1
9 30 アルフォンソ・デ・ポルターゴ フェラーリ 2:47.8 + 5.2
10 18 ハリー・シェル ヴァンウォール 2:50.1 + 7.5
11 20 モーリス・トランティニアン ヴァンウォール 2:51.6 + 9.0
12 46 ウンベルト・マグリオーリ マセラティ 2:52.7 + 10.1
13 44 ロイ・サルヴァドーリ マセラティ 2:54.6 + 12.0
14 40 ルイジ・ピオッティ マセラティ 2:58.4 + 15.8
15 6 ジャック・フェアーマン コンノート-アルタ 2:59.2 + 16.6
16 42 ジェリーノ・ジェリーニ マセラティ 3:02.6 + 20.0
17 38 パコ・ゴディア マセラティ 3:02.9 + 20.3
18 14 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 3:03.3 + 20.7
19 2 レス・レストン コンノート-アルタ 3:04.3 + 21.7
20 8 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 3:04.8 + 22.2
21 48 ブルース・ハルフォード マセラティ 3:05.0 + 22.4
22 10 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 3:06.6 + 24.0
23 4 ロン・フロックハート コンノート-アルタ 3:08.1 + 25.5
24 12 アンドレ・シモン ゴルディーニ 3:13.3 + 30.7
25 50 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ No Time
ソース:[9]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 36 スターリング・モス マセラティ 50 2:23:41.3 6 9 1
2 26 ピーター・コリンズ
ファン・マヌエル・ファンジオ
フェラーリ 50 +5.7 7 3
3
3 4 ロン・フロックハート コンノート-アルタ 49 +1 Lap 23 4
4 38 パコ・ゴディア マセラティ 49 +1 Lap 17 3
5 6 ジャック・フェアーマン コンノート-アルタ 47 +3 Laps 15 2
6 40 ルイジ・ピオッティ マセラティ 47 +3 Laps 14
7 14 エマヌエル・ド・グラッフェンリード マセラティ 46 +4 Laps 18
8 22 ファン・マヌエル・ファンジオ
エウジェニオ・カステロッティ
フェラーリ 46 +4 Laps 1
9 12 アンドレ・シモン ゴルディーニ 45 +5 Laps 24
10 42 ジェリーノ・ジェリーニ マセラティ 42 +8 Laps 16
11 44 ロイ・サルヴァドーリ マセラティ 41 +9 Laps 13
Ret 28 ルイジ・ムッソ フェラーリ 47 ステアリング 3
Ret 46 ウンベルト・マグリオーリ
ジャン・ベーラ
マセラティ 42 ステアリング 12
Ret 18 ハリー・シェル ヴァンウォール 32 トランスミッション 10
Ret 32 ジャン・ベーラ マセラティ 23 マグネット 5
Ret 48 ブルース・ハルフォード マセラティ 16 エンジン 21
Ret 20 モーリス・トランティニアン ヴァンウォール 13 トランスミッション 11
Ret 16 ピエロ・タルッフィ ヴァンウォール 12 オイル漏れ 4
Ret 24 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 9 タイヤ 2
Ret 34 ルイジ・ヴィッロレージ
ヨアキム・ボニエ
マセラティ 7 エンジン 8
Ret 10 ロベール・マンヅォン ゴルディーニ 7 シャシー 22
Ret 30 アルフォンソ・デ・ポルターゴ フェラーリ 6 タイヤ 9
Ret 2 レス・レストン コンノート-アルタ 6 サスペンション 19
Ret 8 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 3 エンジン 20
DNS 50 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 予選でアクシデント
ソース:[10]
追記

注記

ランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 30 (33)
2 2 スターリング・モス 27 (28)
1 3 ピーター・コリンズ 25
1 4 ジャン・ベーラ 22
5 パット・フラハーティ 8
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  2. ^ 当レースを迎えた時点で2位1回、3位4回であり、優勝しても3位の1回分(4点)が切り捨てられるため
  3. ^ (林信次 1999, p. 15)
  4. ^ 当レースは1列3台ずつのグリッド
  5. ^ (林信次 1999, p. 15-16,18,20-21)
  6. ^ (林信次 1999, p. 23)
  7. ^ Italy 1956 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
  8. ^ Italy 1956 - Result”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
  9. ^ Italy 1956 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月14日閲覧。
  10. ^ 1956 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1956年ドイツグランプリ
FIA F1世界選手権
1956年シーズン
前回開催
1955年イタリアグランプリ
イタリアグランプリ 次回開催
1957年イタリアグランプリ

1956年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/10 16:04 UTC 版)

ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事における「1956年イタリアグランプリ」の解説

チャンピオン決定戦となった最終戦イタリアグランプリで、ファンジオはマシントラブルに見舞われピット戻った当時ルールではマシン乗換え認められたが、ルイジ・ムッソチームオーダー無視した。しかしフェラーリ同僚ピーター・コリンズは自らのタイトル権利捨ててファンジオマシン譲りファンジオ3連覇達成するという美談があった(当時規定では、1台を2人ドライバー乗り継いでゴールした場合得点半分ずつ得られたため)。

※この「1956年イタリアグランプリ」の解説は、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の解説の一部です。
「1956年イタリアグランプリ」を含む「ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事については、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の概要を参照ください。

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