1957年モナコグランプリとは? わかりやすく解説

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1957年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:08 UTC 版)

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座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

 1957年モナコグランプリ
レース詳細
1957年F1世界選手権全8戦の第2戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1957年5月19日
正式名称 XV Grand Prix Automobile de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 105周 330.225 km (205.17 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー マセラティ
タイム 1:42.7
ファステストラップ
ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
タイム 1:45.6
決勝順位
優勝 マセラティ
2位 ヴァンウォール
3位
  • マステン・グレゴリー
マセラティ

1957年モナコグランプリ (1957 Monaco Grand Prix) は、1957年のF1世界選手権第2戦として、1957年5月19日モンテカルロ市街地コースで開催された。

レース概要

クーパーコヴェントリー・クライマックスFPFエンジン(直列4気筒。元はこの年再開されたF2用だったが、F1向けに排気量を1.5Lから2.0Lにアップさせた)をミッドシップで搭載し、当レースから本格的にF1への参戦を開始した[1]

当レースからヴァンウォールをドライブするスターリング・モスが1周目に首位を奪うが、4周目のトンネル出口で多重事故が発生する。首位のモスがシケインのバリアに突っ込みクラッシュし、背後のピーター・コリンズがそれを避けようとして、シケイン出口の木製バリケードに突っ込んでストップした。コリンズがストップした際に跳ね上げた丸太がコース上に広がってしまい、そこにやって来たトニー・ブルックスが急ブレーキをかけたところにマイク・ホーソーンが追突した。ブルックスはレースに復帰できたが、モス、コリンズ、ホーソーンはリタイアに追い込まれた。その後方にいたファン・マヌエル・ファンジオはブルックスをかわしてトップに立ち、そのまま開幕2連勝を飾った。ブルックスはファンジオと同一ラップで2位をキープし、マステン・グレゴリーがF1デビュー戦で3位表彰台を獲得した[2]。同じくF1デビュー戦となるスチュアート・ルイス=エヴァンズは4位に入賞したが、所属するコンノートは資金難のためF1から撤退した[3]

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 マステン・グレゴリー スクーデリア・セントロ・スッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
4 アンドレ・シモン
6 ロン・フロックハート オーウェン・レーシング・オーガニゼーション BRM P25 BRM P25 2.5L L4 D
8 ロイ・サルヴァドーリ
10 スチュアート・ルイス=エヴァンズ コンノート・エンジニアリング コンノート B アルタ GP 2.5L L4 D
12 アイヴァー・ビューブ
14 ジャック・ブラバム クーパー・カー・カンパニー クーパー T43 クライマックス FPF 2.0L L4 A
16 レス・レストン D
18 スターリング・モス ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW5 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
20 トニー・ブルックス
22 ホレース・グールド H.H. グールド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
24 ヴォルフガング・フォン・トリップス スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 801 フェラーリ DS50 2.5L V8 E
26 ピーター・コリンズ
28 マイク・ホーソーン D50A 1
30 モーリス・トランティニアン 801
32 ファン・マヌエル・ファンジオ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 2 P
34 ジョルジオ・スカルラッティ
ジャン・ベーラ 3
マセラティ 250F1 2.5L L6
36 カルロス・メンディテギー
38 ハリー・シェル スクーデリア・セントロ・スッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
40 ハンス・ヘルマン オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
42 ルイジ・ピオッティ ルイジ・ピオッティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
44 ヨアキム・ボニエ 4 ヨアキム・ボニエ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
46 ジェリーノ・ジェリーニ 4 ジェリーノ・ジェリーニ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
ソース:[4]
追記
  • ^1 - ホーソーンは801を試走させたが、決勝はD50Aを使用した
  • ^2 - ファンジオはV12エンジン[5]を搭載した250Fをテストした
  • ^3 - 負傷のため欠場
  • ^4 - エントリーしたが出場せず

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 32 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 1:42.7
2 26 ピーター・コリンズ フェラーリ 1:43.3 + 0.6
3 18 スターリング・モス ヴァンウォール 1:43.6 + 0.9
4 20 トニー・ブルックス ヴァンウォール 1:44.4 + 1.7
5 28 マイク・ホーソーン フェラーリ 1:44.6 + 1.9
6 30 モーリス・トランティニアン フェラーリ 1:46.7 + 4.0
7 36 カルロス・メンディテギー マセラティ 1:46.7 + 4.0
8 38 ハリー・シェル マセラティ 1:47.3 + 4.6
9 24 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 1:47.9 + 5.2
10 2 マステン・グレゴリー マセラティ 1:48.4 + 5.7
11 6 ロン・フロックハート BRM 1:48.6 + 5.9
12 22 ホレース・グールド マセラティ 1:48.7 + 6.0
13 10 スチュアート・ルイス=エヴァンズ コンノート-アルタ 1:49.1 + 6.4
14 34 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ 1:49.2 + 6.5
15 14 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 1:49.3 + 6.6
16 12 アイヴァー・ビューブ コンノート-アルタ 1:49.4 + 6.7
17 8 ロイ・サルヴァドーリ BRM 1:49.6 + 6.9
18 40 ハンス・ヘルマン マセラティ 1:49.9 + 7.2
19 4 アンドレ・シモン マセラティ 1:51.7 + 9.0
20 42 ルイジ・ピオッティ マセラティ 1:54.3 + 11.6
21 16 レス・レストン クーパー-クライマックス 1:58.9 + 16.2
ソース:[6]
追記
  • 上位16台が決勝進出

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 32 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 105 3:10:12.8 1 9 1
2 20 トニー・ブルックス ヴァンウォール 105 +25.2 4 6
3 2 マステン・グレゴリー マセラティ 103 +2 Laps 10 4
4 10 スチュアート・ルイス=エヴァンズ コンノート-アルタ 102 +3 Laps 13 3
5 30 モーリス・トランティニアン フェラーリ 100 +5 Laps 6 2
6 14 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 100 +5 Laps 15
Ret 24 ヴォルフガング・フォン・トリップス
マイク・ホーソーン
フェラーリ 95 エンジン 9
Ret 34 ジョルジオ・スカルラッティ
ハリー・シェル
マセラティ 64 オイル漏れ 14
Ret 6 ロン・フロックハート BRM 60 エンジン 11
Ret 36 カルロス・メンディテギー マセラティ 51 スピンオフ 7
Ret 12 アイヴァー・ビューブ コンノート-アルタ 47 燃料漏れ 16
Ret 38 ハリー・シェル マセラティ 23 サスペンション 8
Ret 22 ホレース・グールド マセラティ 10 アクシデント 12
Ret 26 ピーター・コリンズ フェラーリ 4 アクシデント 2
Ret 18 スターリング・モス ヴァンウォール 4 アクシデント 3
Ret 28 マイク・ホーソーン フェラーリ 4 アクシデント 5
DNQ 8 ロイ・サルヴァドーリ BRM 予選不通過
DNQ 40 ハンス・ヘルマン マセラティ 予選不通過
DNQ 4 アンドレ・シモン マセラティ 予選不通過
DNQ 42 ルイジ・ピオッティ マセラティ 予選不通過
DNQ 16 レス・レストン クーパー-クライマックス 予選不通過
ソース:[7]
追記

注記

第2戦終了時点のランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 17
2 ジャン・ベーラ 6
14 3 トニー・ブルックス 6
1 4 カルロス・メンディテギー 4
12 5 マステン・グレゴリー 4
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ (林信次 1999, p. 42,49)
  2. ^ (林信次 1999, p. 40)
  3. ^ (林信次 1999, p. 42)
  4. ^ Monaco 1957 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月17日閲覧。
  5. ^ このエンジンは最大排気量が3.0Lとなった1966年クーパーが使用している
  6. ^ Monaco 1957 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月17日閲覧。
  7. ^ 1957 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク

前戦
1957年アルゼンチングランプリ
FIA F1世界選手権
1957年シーズン
次戦
1957年インディ500
前回開催
1956年モナコグランプリ
モナコグランプリ 次回開催
1958年モナコグランプリ

1957年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/10 16:04 UTC 版)

ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事における「1957年モナコグランプリ」の解説

2周目、まだスタート直後全車一団となって走っている中で先頭スターリング・モス障壁衝突し続いていたマイク・ホーソーンピーター・コリンズ避けきれずに多重衝突となり3台の車でほとんどコースが塞がった中、すぐ後ろ走っていたにも関わらずマセラティ巧みに操り危機切り抜け優勝した

※この「1957年モナコグランプリ」の解説は、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の解説の一部です。
「1957年モナコグランプリ」を含む「ファン・マヌエル・ファンジオ」の記事については、「ファン・マヌエル・ファンジオ」の概要を参照ください。

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