1954年ドイツグランプリとは? わかりやすく解説

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1954年ドイツグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:34 UTC 版)

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 1954年ドイツグランプリ
レース詳細
1954年F1世界選手権全9戦の第6戦
ニュルブルクリンク北コース (1927-1967)
日程 1954年8月1日
正式名称 XVII Großer Preis von Deutschland
a.k.a. Großer Preis von Europa [1]
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツ ニュルブルク
コース 恒久的レース施設
コース長 22.810 km (14.173 mi)
レース距離 22周 501.820 km (311.806 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー メルセデス
タイム 9:50.1
ファステストラップ
ドライバー カール・クリング メルセデス
タイム 9:55.1
決勝順位
優勝 メルセデス
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1954年ドイツグランプリ (1954 German Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第6戦として、1954年8月1日ニュルブルクリンクで開催された。

1926年の初開催以来17回目のドイツグランプリで、ニュルブルクリンクでのグランプリ開催は16回目である。当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[2]

メルセデスファン・マヌエル・ファンジオが優勝、フェラーリホセ・フロイラン・ゴンザレスマイク・ホーソーンが車両を共有して2位、同じくフェラーリのモーリス・トランティニアンが3位となった。

レース概要

周回数が前年の18周から22周に増やされ、レース距離は500kmを超えることになった。

前戦イギリスGPで思わぬ敗退を喫したメルセデスは、オープンホイール仕様のW196を持ち込み、ファン・マヌエル・ファンジオカール・クリングに加え、戦前のエースドライバーであったヘルマン・ラング(当レースのみのスポット参戦)の3人にこの新車を与え、ハンス・ヘルマンには従来のストリームライン仕様のW196が与えられた[3]

予選でマセラティオノフレ・マリモンがクラッシュして死亡する惨事が起きてしまい、チームメイトのルイジ・ヴィッロレージ及びオーウェン・レーシング・オーガニゼーション[4]からエントリーされたケン・ウォートンは参加を取りやめた。マリモンの事故死はアルゼンチン人ドライバー(ファンジオ、ホセ・フロイラン・ゴンザレス、ロベルト・ミエレス)に深い影響を与えた[5]。なお、この事故はF1世界選手権が始まった1950年以来、最初の死亡事故である。

スタートではゴンザレスが飛び出したが、すぐにファンジオが抜き返す。緑色のマセラティ・250Fを走らせるスターリング・モスが3位に続いたがマシントラブルで脱落する。ゴンザレスも順位を落としていき、ラングが2位、クリングが3位にそれぞれ浮上し、メルセデス勢が上位を占める。ラングは久しぶりのグランプリで張り切りすぎたのか、コースオフを喫してリタイアした。ゴンザレスはマリモンの事故死で戦意を喪失してしまい、既にリタイアしたホーソーンに交代させられた。クリングは首位ファンジオを猛追し、15周目にはアルフレート・ノイバウアー監督の指示を無視してトップに立つ。ノイバウアー監督はチームオーダーを無視したクリングに対しピットストップを命じたことで4位に後退した。3時間45分45.8秒の長丁場[6]を制したファンジオはこの1戦を「最初から最後までずっとマリモンと一緒に走っている気分だった」と後に述懐している[7]

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
1 ホセ・フロイラン・ゴンザレス スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 625 フェラーリ Tipo625 2.5L L4 P
2 モーリス・トランティニアン
3 マイク・ホーソーン
4 ピエロ・タルッフィ
5 ルイジ・ヴィッロレージ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
6 オノフレ・マリモン
7 セルジオ・マントヴァーニ
8 ロベルト・ミエレス ロベルト・ミエレス マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
9 ジャン・ベーラ エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6 E
10 ポール・フレール
11 クレマール・ブッチ
12 アンドレ・ピレット
14 プリンス・ビラ プリンス・ビラ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
15 ハリー・シェル ハリー・シェル マセラティ A6GCM マセラティ A6 2.0L L6 P
16 スターリング・モス スターリング・モス マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
17 ケン・ウォートン オーウェン・レーシング・オーガニゼーション マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
18 ファン・マヌエル・ファンジオ ダイムラー・ベンツ メルセデス W196 1 メルセデス M196 2.5L L8 C
19 カール・クリング
20 ハンス・ヘルマン W196 2
21 ヘルマン・ラング W196 1
22 テオ・ヘルフリッヒ H.クレンク クレンク メテオール BMW 328 2.0L L6 P
24 ロベール・マンヅォン エキュリー・ロジェ フェラーリ 625 フェラーリ Tipo625 2.5L L4 P
25 ルイ・ロジェ 500/625 D
ソース:[8]
追記
  • ^1 - オープンホイール仕様
  • ^2 - ストリームライン仕様

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 18 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 9:50.1
2 3 マイク・ホーソーン フェラーリ 9:53.3 + 3.2
3 16 スターリング・モス マセラティ 10:00.7 + 10.6
4 20 ハンス・ヘルマン メルセデス 10:01.5 + 11.4
5 1 ホセ・フロイラン・ゴンザレス フェラーリ 10:01.8 + 11.7
6 10 ポール・フレール ゴルディーニ 10:05.9 + 15.8
7 2 モーリス・トランティニアン フェラーリ 10:07.5 + 17.4
8 6 オノフレ・マリモン 1 マセラティ 10:11.3 + 21.2
9 9 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 10:11.9 + 21.8
10 5 ルイジ・ヴィッロレージ マセラティ タイム不明
11 21 ヘルマン・ラング メルセデス 10:13.1 + 23.0
12 24 ロベール・マンヅォン フェラーリ 10:16.1 + 26.0
13 4 ピエロ・タルッフィ フェラーリ 10:23.0 + 32.9
14 15 ハリー・シェル マセラティ 10:28.7 + 38.6
15 7 セルジオ・マントヴァーニ マセラティ 10:39.1 + 49.0
16 11 クレマール・ブッチ ゴルディーニ 10:43.7 + 53.6
17 8 ロベルト・ミエレス マセラティ 10:47.0 + 56.9
18 25 ルイ・ロジェ フェラーリ 11:04.3 + 1:14.2
19 14 プリンス・ビラ マセラティ 11:10.3 + 1:20.2
20 12 アンドレ・ピレット ゴルディーニ 11:13.4 + 1:23.2
21 22 テオ・ヘルフリッヒ クレンク-BMW 11:18.3 + 1:28.2
22 17 ケン・ウォートン マセラティ No time
23 19 カール・クリング メルセデス No time
ソース:[9]
追記
  • ^1 - マリモンはアクシデントで死亡

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 18 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 22 3:45:45.8 1 8
2 1 ホセ・フロイラン・ゴンザレス
マイク・ホーソーン
フェラーリ 22 +1:36.5 5 3
3
3 2 モーリス・トランティニアン フェラーリ 22 +5:08.6 7 4
4 19 カール・クリング メルセデス 22 +6:06.5 23 4
5 7 セルジオ・マントヴァーニ マセラティ 22 +8:50.5 15 2
6 4 ピエロ・タルッフィ フェラーリ 21 +1 lap 13
7 15 ハリー・シェル マセラティ 21 +1 lap 14
8 25 ルイ・ロジェ フェラーリ 21 +1 lap 11
9 24 ロベール・マンヅォン フェラーリ 20 +2 laps 12
10 9 ジャン・ベーラ ゴルディーニ 20 +2 laps 9
Ret 14 プリンス・ビラ マセラティ 18 ステアリング 19
Ret 21 ヘルマン・ラング メルセデス 10 スピンオフ 13
Ret 11 クレマール・ブッチ ゴルディーニ 8 ホイール 16
Ret 22 テオ・ヘルフリッヒ クレンク-BMW 8 エンジン 21
Ret 20 ハンス・ヘルマン メルセデス 7 燃料漏れ 4
Ret 10 ポール・フレール ゴルディーニ 4 ホイール 6
Ret 3 マイク・ホーソーン フェラーリ 3 トランスミッション 2
Ret 8 ロベルト・ミエレス マセラティ 2 燃料漏れ 17
Ret 16 スターリング・モス マセラティ 1 ホイールベアリング 3
Ret 12 アンドレ・ピレット ゴルディーニ 0 サスペンション 20
DNS 6 オノフレ・マリモン マセラティ - 予選で事故死 8
DNS 5 ルイジ・ヴィッロレージ マセラティ - 撤退 10
DNS 17 ケン・ウォートン マセラティ - 撤退 22
ソース:[10]

注記

  • 車両共有 – 1号車: ゴンザレス(16周)、ホーソーン(6周)

第6戦終了時点でのランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 36 17
2 ホセ・フロイラン・ゴンザレス 17 914
3 モーリス・トランティニアン 15
1 4 マイク・ホーソーン 10 914
3 5 カール・クリング 10
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ Tragedy At the ‘Ring: The 1954 German GP”. gpevolved.com. 2013年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月9日閲覧。
  2. ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
  3. ^ (林信次 2000, p. 100)
  4. ^ のちにBRMチームのオーナーとなる
  5. ^ (林信次 2000, p. 100-101)
  6. ^ 2011年カナダグランプリ(4時間4分39.537秒)まで、F1(1950-1960年のインディ500を除く)におけるレース時間最長記録であった。ただし、このレースは大雨により2時間の赤旗中断があったため、中断を含まない場合は現在も当レースが最長記録となる。
  7. ^ (林信次 2000, p. 101)
  8. ^ Germany 1954 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年10月15日閲覧。
  9. ^ Germany 1954 - Qualifications”. statsf1.com. 2017年10月15日閲覧。
  10. ^ 1954 German Grand Prix”. formula1.com. 2014年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1954年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1954年シーズン
次戦
1954年スイスグランプリ
前回開催
1953年ドイツグランプリ
ドイツグランプリ 次回開催
1956年ドイツグランプリ
前回開催
1952年ベルギーグランプリ
ヨーロッパグランプリ
(冠大会時代)
次回開催
1955年モナコグランプリ



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