ポール・フレールとは? わかりやすく解説

ポール・フレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 08:59 UTC 版)

ポール・フレール
基本情報
国籍 ベルギー
出身地 フランス
同・セーヌ=インフェリウール県
ル・アーヴル
生年月日 (1917-01-30) 1917年1月30日
死没地 フランス
同・サン=ポール=ド=ヴァンス
没年月日 (2008-02-23) 2008年2月23日(91歳没)
F1での経歴
活動時期 1952-1956
所属チーム '52,'53 HWM
'52,'54 ゴルディーニ
'55-'56 フェラーリ
出走回数 11
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 1
通算獲得ポイント 11
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1952年ベルギーGP
最終戦 1956年ベルギーGP
テンプレートを表示

ポール・フレールPaul Frère, 1917年1月30日 - 2008年2月23日)は、フランスル・アーヴル生まれのベルギー人ドライバー、自動車ジャーナリスト。

略歴

フェラーリ・250TRに乗るフレール(1958年レオポルドヴィルGP)

ブリュッセルの大学で経営工学を学び、卒業後の1945年からジャーナリストとして活動を開始した[1]1946年に二輪レースに出場すると、自動車レースへ転向。最初の本格的レースが1948年のスパ・フランコルシャン24時間レースであり、この時は友人とMG-PBで出場しクラス4位総合15位で完走した。その後1960年までの間あらゆる種類のレースに参加し、例えば1953年のミッレミリア初出場の折りにはクライスラー・サラトガというおよそ不向きな自動車で出場したにもかかわらず2リットル以上の生産者部門で優勝している。

ル・マン24時間レースにおいては、1953年ポルシェ・550クーペで出場し1500ccクラス優勝・総合15位。1955年ピーター・コリンズと組み、アストンマーティン・DB3Sでクラス優勝・総合2位に入賞した。1957年ジャガー・Dタイプで総合4位、1958年ポルシェ・718RSKで総合4位、1959年モーリス・トランティニアンと組み、アストンマーティン・DBR1で総合2位と上位入賞を続け、1960年は同じベルギー人ドライバーのオリヴィエ・ジャンドビアンと組み、フェラーリ・250TRで初めての総合優勝を果たした。これを機に現役レーサーとしての活動を終える。

F1では1952年から1956年にかけて出場し、1956年ベルギーグランプリで2位を記録した。

現役引退後はジャーナリストとして生涯を通じて欧州を拠点に活動し、アメリカの自動車雑誌『ロード・アンド・トラック (Road & Track』のヨーロッパのエディターを務めた。日本でも頻繁に活動しており、雑誌『カーグラフィック』のコラム「FROM EUROPE」や各種テスト記事等でもおなじみ。初代編集長小林彰太郎とは1960年代以来親交が深く、同誌ではイニシャルにちなんで「PF先生」という愛称で呼ばれた[2]。著書「ハイスピード・ドライビング(原題:Competition Driving)」にて運転技術を理論的に解説したほか、鈴鹿サーキットでレーシングスクールを行い、モータースポーツ愛好家を指導した。

また、1976年からマツダの車両設計コンサルタントとして招聘され、初代323から三代目RX-7まで走行評価と貴重なアドバイスを行った[1]ホンダの技術者とも親交があり、CR-X 1.6 SiRを日常の足として長く愛用した。さらに、1980年代前半の横浜タイヤ「アスペック」のCMにも出演した。

2007年1月、90回目の誕生日直前にニュルブルクリンク近くの公道でホンダ・シビックタイプRを運転中に事故に巻き込まれ重傷を負った[3]。事故後フランクフルトの病院に搬送され、7本の肋骨損傷に骨盤の粉砕や肺にも破裂を負うなど甚大な損傷を受けていることが判明、集中治療で14日間を過ごさなければならなかった。

2008年2月23日ブリュッセルで死去[4]。91歳没。同年9月、ベルギーGPが開催されるスパ・フランコルシャンサーキットのスタブロ・コーナーが「Courbe Paul Frère(ポール・フレール・コーナー)」と改名され、彼の名誉を讃えた記念碑が設置された。

年度別成績

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 WDC ポイント
1952年 HW モータース 52 SUI 500 BEL
5
FRA GBR GER
Ret
16位 2
シムカゴルディーニ/ベルゲ 15 NED
Ret
ITA
1953年 HW モータース 53 ARG 500 NED BEL
10
FRA GBR GER SUI
Ret
ITA NC
(43位)
0
1954年 ゴルディーニ T16 ARG 500 BEL
Ret
FRA
Ret
GBR GER
Ret
SUI ITA ESP NC
(56位)
0
1955年 フェラーリ 555 ARG MON
8
500 BEL
4
NED GBR ITA 15位 3
1956年 D50 ARG MON 500 BEL
2
FRA GBR GER ITA 7位 6

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1953年 ポルシェ KG リヒャルト・フォン・フランケンベルク英語版 ポルシェ・550クーペ S
1.5
247 15位 1位
1954年 アストンマーティン・ラゴンダ キャロル・シェルビー アストンマーティン・DB3S S
3.0
74 DNF DNF
1955年 ピーター・コリンズ S
3.0
302 2位 1位
1956年 ジャガー・カーズ デスモンド・ティッターリントン英語版 ジャガー・Dタイプ S
5.0
2 DNF DNF
1957年 エキュリー・ナシオナル・ベルジュ フレディ・ルッセル S
5.0
310 4位 4位
1958年 ポルシェ KG エドガー・バルト英語版 ポルシェ・718RSK S
1.5
290 4位 1位
1959年 デビッド ブラウン レーシング ディベロプメント モーリス・トランティニアン アストンマーティン・DBR1/300 S
3.0
322 2位 2位
1960年 スクーデリア・フェラーリ オリビエ・ジャンドビアン フェラーリ・250TR/59/60 S
3.0
314 1位 1位

著書

  • 小林彰太郎・武田秀夫訳「ハイスピード・ドライビング」二玄社
  • 小林彰太郎・武田秀夫訳「新ハイスピード・ドライビング」二玄社 ISBN 4-544-04044-2
  • 小林彰太郎訳「いつもクルマがいた—ポール・フレール自叙伝」二玄社 ISBN 978-4544040630
  • 二玄社別冊単行本編集室訳「はしる まがる とまる」二玄社 ISBN 978-4544040937

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
ロイ・サルヴァドーリ
キャロル・シェルビー
ル・マン24時間歴代勝者
1960 with:
オリヴィエ・ジャンドビアン
次代
オリヴィエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル

ポール・フレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:20 UTC 版)

赤いペガサス」の記事における「ポール・フレール」の解説

ドライバーとしてル・マン24時間レース優勝経験もあるジャーナリストキャラミテスト中のケンに死の影を感じレース引退勧告する

※この「ポール・フレール」の解説は、「赤いペガサス」の解説の一部です。
「ポール・フレール」を含む「赤いペガサス」の記事については、「赤いペガサス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ポール・フレール」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ポール・フレール」の関連用語

ポール・フレールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ポール・フレールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのポール・フレール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの赤いペガサス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS