1955年イタリアグランプリとは? わかりやすく解説

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1955年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 08:11 UTC 版)

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 1955年イタリアグランプリ
レース詳細
1955年F1世界選手権全7戦の第7戦
モンツァ・サーキット(バンク併用、1955–1961)
日程 1955年9月11日
正式名称 XXVI Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 10.000 km (6.214 mi)
レース距離 50周 500.023 km (310.700 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー メルセデス
タイム 2:46.5
ファステストラップ
ドライバー スターリング・モス メルセデス
タイム 2:46.9
決勝順位
優勝 メルセデス
2位 メルセデス
3位
  • エウジェニオ・カステロッティ
フェラーリ

1955年イタリアグランプリ (1955 Italian Grand Prix) は、1955年のF1世界選手権第7戦(最終戦)として、1955年9月11日モンツァ・サーキットで開催された。

レース概要

ル・マン24時間レースの大惨事の影響でフランスドイツスイススペインの各GPがキャンセルされたことにより、当レースを待たずしてファン・マヌエル・ファンジオの2年連続3度目のドライバーズチャンピオンが確定した。

モンツァ・サーキットはこの年改修され、最終コーナーの「パラボリカ」に微修正を加えた5.750kmのロードコースと、バンク外周部分の高さを10mに引き上げた4.250kmのオーバルコースを併用した複合コースのレイアウトとなった。

メルセデスは4台をエントリーさせ、ファンジオとスターリング・モスにストリームラインのW196を用意し、カール・クリングピエロ・タルッフィには通常のオープンホイールタイプのW196が与えられた。

メルセデスやマセラティの後塵を拝し苦戦が続いていたフェラーリは、F1から撤退したランチアからマシン(D50)とレース資材一切を譲り受け、フィアットが今後5年間フェラーリに資金援助するという合意がなされ、当レースからD50を持ち込んだ。しかし、フリー走行でジュゼッペ・ファリーナのタイヤのトレッドが250km/hで吹き飛ぶアクシデントが起こり、翌日も同じ症状が出た。このためD50の使用は見送られ、従来の555のみ決勝に参加した[1]。なお、ファリーナは当レースが最後のF1参戦となった。

レースは序盤からメルセデス4台がリードする。モスが跳ね石でウィンドスクリーンを割ったためピットインを強いられたが、わずか25秒で交換を終えて周囲を唖然とさせた。モスは再び追い上げにかかったものの、リアアクスルが壊れてリタイアとなった。バンピーな舗装のオーバルコースにより各車の足回りは痛めつけられ、クリングにもリアアクスルのトラブルが発生した。ファンジオとタルッフィは最後まで走り切りワン・ツー・フィニッシュを達成した。奮闘の走りを見せたフェラーリのエウジェニオ・カステロッティが3位表彰台を獲得、ストリームラインを採用したマセラティのジャン・ベーラが4位に入賞した[2]

メルセデスはこの年をもってモータースポーツからの撤退を表明した。レースにかかりきりだったエンジニアたちを市販車に専念させる必要性から撤退は既定路線だったが、ル・マン24時間レースの大惨事の当事者となってしまったことが撤退する直接の原因だったとして語られることが一般的には多い[3]。メルセデスがF1に復帰するのはエンジンサプライヤーとして1994年、コンストラクターとして2010年まで待たなければならなかった。なお、メルセデスが次にワン・ツー・フィニッシュを達成したのは59年後の2014年マレーシアGPである。

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
2 ジュゼッペ・ファリーナ スクーデリア・フェラーリ ランチア D50 ランチア DS50 2.5L V8 E
4 エウジェニオ・カステロッティ 1 フェラーリ 555 フェラーリ Tipo555 2.5L L4
6 マイク・ホーソーン
8 モーリス・トランティニアン
10 ルイジ・ヴィッロレージ ランチア D50 ランチア DS50 2.5L V8
12 ウンベルト・マグリオーリ フェラーリ 555 フェラーリ Tipo555 2.5L L4
14 ピエロ・タルッフィ ダイムラー・ベンツ メルセデス W196 メルセデス M196 2.5L L8 C
16 スターリング・モス W196 2
18 ファン・マヌエル・ファンジオ
20 カール・クリング W196
22 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス エキップ・ゴルディーニ ゴルディーニ T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6 E
24 ジャン・ルーカス T32 ゴルディーニ 25 2.5L L8
26 ジャック・ポレー T16 ゴルディーニ 23 2.5L L6
28 ロベルト・ミエレス オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
30 ルイジ・ムッソ
32 ピーター・コリンズ
34 カルロス・メンディテギー
36 ジャン・ベーラ 250F 2
38 ホレース・グールド 250F
40 ジョン・フィッチ スターリング・モス・リミテッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
42 ハリー・シェル ヴァンウォール・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW55 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
44 ケン・ウォートン
46 ルイジ・ピオッティ スクーデリア・ヴォルピーニ アルザーニ・ヴォルピーニ F1 マセラティ 4CLT 2.5L L4 P
ソース:[4]
追記
  • ^1 - カステロッティは予選でランチア・D50も使用した
  • ^2 - ストリームラインのシャシーを使用

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 18 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 2:46.5
2 16 スターリング・モス メルセデス 2:46.8 + 0.3
3 20 カール・クリング メルセデス 2:48.3 + 1.8
4 4 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 2:49.6 + 3.1
5 2 ジュゼッペ・ファリーナ ランチア 2:49.9 + 3.4
6 36 ジャン・ベーラ マセラティ 2:50.1 + 3.6
7 28 ロベルト・ミエレス マセラティ 2:51.1 + 4.6
8 10 ルイジ・ヴィッロレージ ランチア 2:51.6 + 5.1
9 14 ピエロ・タルッフィ メルセデス 2:51.8 + 5.3
10 30 ルイジ・ムッソ マセラティ 2:52.2 + 5.7
11 32 ピーター・コリンズ マセラティ 2:55.3 + 8.8
12 12 ウンベルト・マグリオーリ フェラーリ 2:55.4 + 8.9
13 42 ハリー・シェル ヴァンウォール 2:55.5 + 9.0
14 6 マイク・ホーソーン フェラーリ 2:56.2 + 9.7
15 8 モーリス・トランティニアン フェラーリ 2:56.3 + 9.8
16 34 カルロス・メンディテギー マセラティ 2:58.4 + 11.9
17 44 ケン・ウォートン ヴァンウォール 2:59.5 + 13.0
18 22 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 2:59.8 + 13.3
19 26 ジャック・ポレー ゴルディーニ 2:59.9 + 13.4
20 40 ジョン・フィッチ マセラティ 3:03.1 + 16.6
21 38 ホレース・グールド マセラティ 3:05.2 + 18.7
22 24 ジャン・ルーカス ゴルディーニ 3:15.9 + 29.4
23 46 ルイジ・ピオッティ アルザーニ・ヴォルピーニ-マセラティ No Time
ソース:[5]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 18 ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 50 2:25:04.4 1 8
2 14 ピエロ・タルッフィ メルセデス 50 +0.7 9 6
3 4 エウジェニオ・カステロッティ フェラーリ 50 +46.2 4 4
4 36 ジャン・ベーラ マセラティ 50 +3:57.5 6 3
5 34 カルロス・メンディテギー マセラティ 49 +1 Lap 16 2
6 12 ウンベルト・マグリオーリ フェラーリ 49 +1 Lap 12
7 28 ロベルト・ミエレス マセラティ 48 +2 Laps 7
8 8 モーリス・トランティニアン フェラーリ 47 +3 Laps 15
9 40 ジョン・フィッチ マセラティ 46 +4 Laps 20
10 6 マイク・ホーソーン フェラーリ 38 ギアボックス 14
Ret 20 カール・クリング メルセデス 32 ギアボックス 3
Ret 30 ルイジ・ムッソ マセラティ 31 ギアボックス 10
Ret 38 ホレース・グールド マセラティ 31 サスペンション 21
Ret 16 スターリング・モス メルセデス 27 エンジン 2 1 1
Ret 26 ジャック・ポレー ゴルディーニ 26 エンジン 19
Ret 22 ヘルナンド・ダ・シルバ・ラモス ゴルディーニ 23 燃料システム 18
Ret 32 ピーター・コリンズ マセラティ 22 サスペンション 11
Ret 42 ハリー・シェル ヴァンウォール 7 サスペンション 13
Ret 24 ジャン・ルーカス ゴルディーニ 7 エンジン 22
Ret 44 ケン・ウォートン ヴァンウォール 0 インジェクション 17
DNS 2 ジュゼッペ・ファリーナ ランチア タイヤ 5
DNS 10 ルイジ・ヴィッロレージ ランチア タイヤ 8
DNS 46 ルイジ・ピオッティ アルザーニ・ヴォルピーニ-マセラティ エンジン
ソース:[6]
追記

ランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 40 (41)
2 スターリング・モス 23
3 3 エウジェニオ・カステロッティ 12
1 4 モーリス・トランティニアン 11 13
1 5 ジュゼッペ・ファリーナ 10 13
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ (林信次 2000, p. 120-121)
  2. ^ (林信次 2000, p. 121)
  3. ^ (林信次 2000, p. 121,123)
  4. ^ Italy 1955 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年12月31日閲覧。
  5. ^ Italy 1955 - Qualifications”. statsf1.com. 2017年12月31日閲覧。
  6. ^ 1955 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2014年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1955年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1955年シーズン
前回開催
1954年イタリアグランプリ
イタリアグランプリ 次回開催
1956年イタリアグランプリ



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