1957年ドイツグランプリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 1957年ドイツグランプリの意味・解説 

1957年ドイツグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 22:11 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 1957年ドイツグランプリ
レース詳細
1957年F1世界選手権全8戦の第6戦
ニュルブルクリンク北コース(1927-1967)
日程 1957年8月4日
正式名称 XIX Großer Preis von Deutschland
開催地 ニュルブルクリンク
西ドイツ ニュルブルク
コース 恒久的レース施設
コース長 22.810 km (14.173 mi)
レース距離 22周 501.820 km (311.806 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー マセラティ
タイム 9:25.6
ファステストラップ
ドライバー ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ
タイム 9:17.4 (20周目)
決勝順位
優勝 マセラティ
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1957年ドイツグランプリ (1957 German Grand Prix) は、1957年のF1世界選手権第6戦として、1957年8月4日ニュルブルクリンクで開催された。

レース概要

路面の再舗装が行われたニュルブルクリンクに15万から20万人もの大観衆が詰めかけた[1]

フェラーリは500kmの長丁場をノンストップで走りきれると踏んでいたが、マセラティはタイヤの摩耗の関係で1回のピットインが必要だった。そのため燃料を少なくして大量リードを築き、タイヤ交換と給油を同時に行う作戦を立てた。しかし、スタートはフェラーリのマイク・ホーソーンピーター・コリンズに先行され、ファン・マヌエル・ファンジオは3位に後退した。2周目にはホーソーンが9分37秒9のコースレコードを出して引き離すも、3周目にファンジオがフェラーリ勢をかわしてトップに立ち独走していく。10周目を終えたところでジャン・ベーラがタイヤ交換と給油を行い、作戦通りフェラーリ勢に28秒のリードを築いたファンジオも12周目を終えてピットへ向かう。ところが、リアタイヤの交換と給油に手間取り56秒もかかってしまい、その間にホーソーンとコリンズが追い抜いて悠々とトップをひた走っていく。ファンジオはフェラーリ勢と38秒差でコースへ復帰した。

復帰直後はペースが上がらなかったが、これはフェラーリ陣営を錯乱させるためにファンジオが仕掛けた「罠」だった。フェラーリ陣営がホーソーンとコリンズにペースダウンの指示を出すとファンジオは鬼神の走りを見せ、16周目に33秒差、17周目に25秒差、19周目には9分23秒4を出して13秒差まで縮めフェラーリ勢に迫っていく。ここでようやくマセラティの作戦に気づいたフェラーリ陣営は、ホーソーンとコリンズにペースアップの指示を出した[2]。しかし、ファンジオは20周目に予選タイムより8秒速い9分17秒4という驚異的なタイムでファステストラップを出してフェラーリ勢にわずか2秒差にまで迫る。21周目のノルドカーブでコリンズを抜いて2位に上がり、ブライドシャイドでホーソーンも抜き去ってトップに躍り出た。ホーソーンはファンジオに食い下がり再逆転を狙うが、ファンジオはミスを犯さずホーソーンに3秒6差で大逆転勝利をおさめた。レース後にファンジオは「こんな走りはもう二度とできないよ」と語った[3]

ファンジオは生涯最高の走りでF1最後の勝利となる通算24勝目[4]を挙げ、4年連続[5]5回目[6]チャンピオンを決めた[7]

当レースは参加台数を増やすため、この年復活したF2のマシンも混走した(黄色で表示)[8]。なお、F2のマシンは入賞してもポイントは獲得できないが、F1出走回数にはカウントされる[9]

エントリーリスト

No. ドライバー エントラント コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
1 ファン・マヌエル・ファンジオ オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
2 ジャン・ベーラ
3 ハリー・シェル
4 ジョルジオ・スカルラッティ
5 カルロス・メンディテギー 1
6 ルイジ・ムッソ スクーデリア・フェラーリ フェラーリ 801 フェラーリ DS50 2.5L V8 E
7 ピーター・コリンズ
8 マイク・ホーソーン
9 モーリス・トランティニアン 1
10 スターリング・モス ヴァンダーヴェル・プロダクツ・リミテッド ヴァンウォール VW5 ヴァンウォール 254 2.5L L4 P
11 トニー・ブルックス
12 スチュアート・ルイス=エヴァンズ
14 ロン・フロックハート 2 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション BRM P25 BRM P25 2.5L L4 D
15 ブルース・ハルフォード ブルース・ハルフォード マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
16 マステン・グレゴリー スクーデリア・セントロ・スッド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
17 ハンス・ヘルマン
18 パコ・ゴディア オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 P
19 ホレース・グールド H.H. グールド マセラティ 250F マセラティ 250F1 2.5L L6 D
20 ウンベルト・マグリオーリ ポルシェKG ポルシェ RS550 ポルシェ 547/3 1.5L F4 ?
21 エドガー・バース
23 ロイ・サルヴァドーリ クーパー・カー・カンパニー クーパー T43 クライマックス FPF 1.5L L4 D
24 ジャック・ブラバム
25 トニー・マーシュ リッジウェイ・マネージメンツ クーパー T43 クライマックス FPF 1.5L L4 D
26 ポール・イングランド T41
27 カレル・ゴダン・ド・ボーフォール エキュリー・マールスベルゲン ポルシェ RS550 ポルシェ 547/3 1.5L F4 D
28 ブライアン・ネイラー ブライアン・ネイラー クーパー T43 クライマックス FPF 1.5L L4 D
29 ディック・ギブソン ディック・ギブソン クーパー T43 クライマックス FPF 1.5L L4 D
ソース:[10]
追記
  • ^1 - エントリーしたが出場せず[11]
  • ^2 - フロックハートは負傷のため欠場[11]

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム
1 1 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 09:25.6
2 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 09:28.4 + 2.8
3 2 ジャン・ベーラ マセラティ 09:30.5 + 4.9
4 7 ピーター・コリンズ フェラーリ 09:34.7 + 9.1
5 11 トニー・ブルックス ヴァンウォール 09:36.1 + 10.5
6 3 ハリー・シェル マセラティ 09:39.2 + 13.6
7 10 スターリング・モス ヴァンウォール 09:41.2 + 15.6
8 6 ルイジ・ムッソ フェラーリ 09:43.1 + 17.5
9 12 スチュアート・ルイス=エヴァンズ ヴァンウォール 09:45.0 + 19.4
10 16 マステン・グレゴリー マセラティ 09:51.5 + 25.9
11 17 ハンス・ヘルマン マセラティ 10:00.0 + 34.4
12 21 エドガー・バース ポルシェ 10:02.2 + 36.6
13 4 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ 10:04.9 + 39.3
14 23 ロイ・サルヴァドーリ クーパー-クライマックス 10:06.0 + 40.4
15 20 ウンベルト・マグリオーリ ポルシェ 10:08.9 + 43.3
16 15 ブルース・ハルフォード マセラティ 10:14.5 + 48.9
17 28 ブライアン・ネイラー クーパー-クライマックス 10:15.0 + 49.4
18 24 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 10:18.8 + 53.2
19 19 ホレース・グールド マセラティ 10:20.8 + 55.2
20 27 カレル・ゴダン・ド・ボーフォール ポルシェ 10:25.9 + 1:00.3
21 18 パコ・ゴディア マセラティ 10:32.3 + 1:06.7
22 25 トニー・マーシュ クーパー-クライマックス 10:48.2 + 1:22.6
23 26 ポール・イングランド クーパー-クライマックス 11:08.4 + 1:42.8
24 29 ディック・ギブソン クーパー-クライマックス 11:46.4 + 2:20.8
ソース:[12]

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 1 ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 22 3:30:38.3 1 9 1
2 8 マイク・ホーソーン フェラーリ 22 +3.6 2 6
3 7 ピーター・コリンズ フェラーリ 22 +35.6 4 4
4 6 ルイジ・ムッソ フェラーリ 22 +3:37.6 8 3
5 10 スターリング・モス ヴァンウォール 22 +4:37.2 7 2
6 2 ジャン・ベーラ マセラティ 22 +4:38.5 3
7 3 ハリー・シェル マセラティ 22 +6:47.5 6
8 16 マステン・グレゴリー マセラティ 21 +1 Lap 10
9 11 トニー・ブルックス ヴァンウォール 21 +1 Lap 5
10 4 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ 21 +1 Lap 13
11 15 ブルース・ハルフォード マセラティ 21 +1 Lap 16
12 21 エドガー・バース ポルシェ 21 +1 Lap 12
13 28 ブライアン・ネイラー クーパー-クライマックス 20 +2 Laps 17
14 27 カレル・ゴダン・ド・ボーフォール ポルシェ 20 +2 Laps 20
15 25 トニー・マーシュ クーパー-クライマックス 17 +5 Laps 22
Ret 17 ハンス・ヘルマン マセラティ 14 シャシー 11
Ret 20 ウンベルト・マグリオーリ ポルシェ 13 エンジン 15
Ret 23 ロイ・サルヴァドーリ クーパー-クライマックス 11 サスペンション 14
Ret 18 パコ・ゴディア マセラティ 11 ステアリング 21
Ret 12 スチュアート・ルイス=エヴァンズ ヴァンウォール 10 ギアボックス 9
Ret 24 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 6 トランスミッション 18
Ret 26 ポール・イングランド クーパー-クライマックス 4 ディストリビューター 23
Ret 29 ディック・ギブソン クーパー-クライマックス 3 ステアリング 24
Ret 19 ホレース・グールド マセラティ 1 アクスル 19
ソース:[13]
追記

第6戦終了時点のランキング

ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 ドライバー ポイント
1 ファン・マヌエル・ファンジオ 34
2 ルイジ・ムッソ 16
3 3 マイク・ホーソーン 13
1 4 トニー・ブルックス 10
1 5 サム・ハンクス 8
  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ (林信次 1999, p. 34)
  2. ^ 当時は無線ではなくピットのサインボードで指示を出していた。しかもニュルブルクリンクは22kmのロングコースだったため、指示の伝達に時間を要した。
  3. ^ (林信次 1999, p. 34,36)
  4. ^ 1968年ジム・クラークに破られるまで歴代1位だった
  5. ^ 2004年ミハエル・シューマッハに破られるまで歴代1位だった
  6. ^ 2003年ミハエル・シューマッハに破られるまで歴代1位だった
  7. ^ (林信次 1999, p. 36)
  8. ^ (林信次 1999, p. 49)。ドイツGPでは1969年までしばしばF2との混走が行われた。
  9. ^ (林信次 1995, p. 51)。ただし、文献によっては出走回数にカウントされない場合もある。
  10. ^ Germany 1957 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
  11. ^ a b Germany 1957 - Result”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
  12. ^ Germany 1957 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
  13. ^ 1957 German Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月9日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1957年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1957年シーズン
次戦
1957年ペスカーラグランプリ
前回開催
1956年ドイツグランプリ
ドイツグランプリ 次回開催
1958年ドイツグランプリ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1957年ドイツグランプリ」の関連用語

1957年ドイツグランプリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1957年ドイツグランプリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1957年ドイツグランプリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS