マセラティ・4CLTとは? わかりやすく解説

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マセラティ・4CLT

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 08:33 UTC 版)

マセラティ・4CLT
レグ・パーネルのマセラティ・4CLT/48
カテゴリー ヴォワチュレット英語版 / F1
コンストラクター マセラティ
デザイナー エルネスト・マセラティ
アルベルト・マッシミノ
ヴィットリオ・ベレターニ
アリアルド・ルジエーリ
先代 マセラティ・4CL
主要諸元
シャシー Light alloy tubular ladder
サスペンション(前) 独立懸架, トーションスプリング, ハイドロリックダンパー
サスペンション(後) 車軸懸架, リーフスプリング, ハイドロリックダンパー
トレッド 前:1,250 mm (49.2 in)
後:1,200 mm (47.2 in)
ホイールベース 2,500 mm (98.4 in)
エンジン マセラティ 1491 cc 直列4気筒, 二段式スーパーチャージャー, フロントエンジン
トランスミッション マセラティ 4速 MT
タイヤ ピレリ / エルネスト / ダンロップ
主要成績
チーム オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ
スクーデリア・プラーテ
スクーデリア・アンブロシアナ
スクーデリア・アキッレ・バルツィ
オートモビリ・クラブ・アルゼンティーノ
スクーデリア・ミラノ
ドライバー ルイジ・ヴィッロレージ
レグ・パーネル
エマヌエル・ド・グラッフェンリード
ファン・マヌエル・ファンジオ
ルイ・シロン
B・ビラ
ハリー・シェル
ジュゼッペ・ファリーナ
初戦 1948年サンレモグランプリ
優勝
18 (戦後のグランプリ)
0 (F1世界選手権)
5 (F1ノンタイトル戦)
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マセラティ・4CLT (Maserati 4CLT) は、マセラティによって開発されたシングルシーターのレーシングカー。前作の4CLに2段式のスーパーチャージャーとチューブ形状のシャシーを導入して1948年に製作された。4CLTは続く2年間で着実にアップグレードされ、F1世界選手権初年度に投入される究極型の4CLT/50に発展した。第二次世界大戦直後およびF1世界選手権が始まってからの2年間に行われたレースで多くのプライベーターが4CLTを選択した。

実験モデルの4CLに加えられたシャシーとエンジンの変更は、最終的に4CLTで採用された。モデル名に付け加えられた「T」は「tubular chassis」(管状構造シャシー)を意味した。管状構造がもたらすねじれ剛性の改善は、旧型直列4気筒エンジンのツイン過給機によるアップグレードに起因するトルクおよびパワーの増加に対抗するために必要とされた。パワーは4CLの220から260 bhp (194 kW)程度まで増加した。その他には、クランクシャフトにローラーベアリングを使用、鍛造のリアサスペンションコンポーネントが含まれ、シャシーには油圧ダンパーが採用された。

4CLT/48 Sanremo

4CLTの最初のバリエーションは、1948年サンレモグランプリでデビューしたことから「サンレモ」のニックネームで呼ばれた。アルベルト・アスカリが4CLTで勝利したことで、そのニックネームは確立した。ルイジ・ヴィッロレージとレグ・パーネルが1948シーズンの残りのレースのうち5勝を獲得した。F1世界選手権の初年度となった1950年ルイ・シロンはホーム戦となった1950年モナコグランプリで3位となり、サンレモはマセラティにとって最高の成績を獲得した。世界選手権を戦った最後の4CLのバリエーションはアルザーニ・ヴォルピーニが改良した4CLT/48で、1955年イタリアグランプリの予選を走行したが、決勝には出場しなかった。

1949

1949年にはブレーキドラムの軽微な変更、ベーンから冷却スリットへの切り替え、コックピットの計器板レイアウトとオイルヘッダータンクの変更などが行われ、これに伴い4CLT/49と呼ばれることもあった。それはファクトリーチームでは知られていなかった。アスカリ、ヴィッロレージ、パーネルのトリオにファン・マヌエル・ファンジオエマヌエル・ド・グラッフェンリードが加わり、彼らは最初の15戦の内9勝を挙げた。その中にはグラッフェンリードによるイギリスグランプリでの勝利も含まれた。しかしながら、シーズン後半にはフェラーリタルボの新車が急速に台頭し、マセラティは追加の3勝しか挙げることができなかった。

1950-1951

1950年にはF1世界選手権が始まった。改良されたアルファロメオ・158と既に競争力を持つフェラーリとタルボに対応して、マセラティは4CLTのエンジンを再びアップグレードした。マルチパートクランクシャフト、軽量化とバランスを改良したロッド、より強力なスーパーチャージャーと点火タイミングの変更により、エンジン出力は280 bhp (209 kW).[1]に達した。10 kg (22 lb)の軽量化と相まって、マセラティの性能はアルファロメオと互角になった。短期間で多くの改良が行われたが、最終的なアップグレードは10年前に設計されたエンジンにとってあまりにも多く、4CLTのグランプリにおけるパフォーマンスはエンジンの不調によって妨げられた。シーズン唯一の勝利はノンタイトル戦のポーグランプリで、ファンジオの手による物であった。同日にパーネリもグッドウッド・サーキットで行われたリッチモンド・トロフィーで勝利している。その後デヴィッド・ハンプシャーもノッティンガム・トロフィーを獲得した。ファンジオはまた、アングレームで行われたF2のランパートグランプリでA6GCMのエンジンを搭載した4CLTで勝利している。スクーデリア・ミラノは改良型の4CLTを1950年および1951年に使用したが、成功しなかった。

1951年にはプリンス・ビラが49年型の4CLTのエンジンをより強力な4,450 cc (271.6 cu in)のオスカV型12気筒自然吸気エンジンに換装した。このエンジンは300 bhp (224 kW).[2]を発揮し、ビラはシーズン前半にグッドウッドで勝利したが、世界選手権ではスペイングランプリに出走しただけで、1周目でリタイアしている。

4CLT/50

1949年後半には、残りのサンレモ(資料によって2台、3台と異なる)がテンポラダ・シリーズ(ブエノスアイレスで1949年から50年まで夏に行われたフォーミュラ・リブレのシリーズ)用に改修された。このモデルは4CLT/50と呼ばれた。1950年のF1用車両もしばしば4CLT/50と呼ばれるが、ファクトリーではテンポラダ用車両のみがその様に呼ばれている。この改修は主に排気量を1,719 cc (104.9 cu in).[1]に拡大することに限定されていた。これらの改良にもかかわらずシリーズはフェラーリが支配し、最終戦の後マシンはイタリアに送られ、F1仕様に再改修された。

プラーテ・4CLT

マセラティ車を長年使用していたエンリコ・プラーテは、マセラティのF1カーとしての欠点を認識し、4CLT/48をF2用マシンのマセラティ・プラーテ・4CLTに改修した。F2は自然吸気車のため、最初のステップは過給機を取り外すことであった。その後、パフォーマンスの損失を補うために圧縮比は2倍以上になり、排気量はクラス上限の2.0 L (122.05 cu in)まで引き上げられた。改良型エンジンの出力は低かったため車体を軽量化し、ホイールベースを短縮してハンドリングをシャープにした。

最後の勝利

1951年にド・グラッフェンリードがリッチモンド・トロフィーを獲得し、ジュゼッペ・ファリーナはパリグランプリで勝利したが、1952年からF1世界選手権はF2レギュレーションで開催されることとなり、古い4CLTのシャシーは重量過多で、ライバル達と戦うには出力も低すぎることが判明した。4CLと4CLTは1930年代後半からレース界での主力であったにもかかわらず、戦争の影響から回復しつつあったヨーロッパのファクトリー勢から小型で軽量のマシン達が登場し始め、その人気を急速に失っていった。

現在も多くの4CLと4CLTが現存し、クラシックカーのイベントに出場したり、博物館で展示されたりしている。

参照

脚註

  1. ^ a b Parker (2011), p. 19
  2. ^ Parker (2011), p. 30

出典


マセラティ S.p.A. ロードカータイムライン 1940-
タイプ 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1
エントリー ビトゥルボシリーズ ギブリIII
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2+2 メキシコ キャラミ
インディ
ミッドシップ メラク
ボーラ MC20
SUV レヴァンテ
オーナー オルシ・ファミリー シトロエン P デ・トマソ フィアット フェラーリ フィアット
レーシングカー: 26M ・ 8C ・ V8RI ・ 6CM ・ 4CL/4CLT ・ 150S ・ ティーポ63 ・ ティーポ65 ・ 250F ・ 200S ・ 300S ・ 350S ・ 450S ・ ティーポ61(バードケージ) ・ ティーポ151 ・ ティーポ154 ・ MC12 GT1 ・ トロフェオ
ホモロゲーションモデル: バルケッタMC12
コンセプトカー: マセラティ・ブーメランバードケージ 75th
公式WEBサイト: MASERATI



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