オリビエ・ジャンドビアンとは? わかりやすく解説

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オリビエ・ジャンドビアン(ベルギー)

英語 Oilvier Gendebien

1924年1月12日1998年10月2日

ロードレースが、その最後輝き放っていた時代に、その主役演じつづけた耐久レース名手第2次世界大戦中はパルチザンとして活動戦後ベルギー領のコンゴにいたが、ベルギー人、フレイキンに誘われて1952年リエージュローマ~リエージュ・ラリーのナビゲーターとして参加。それがレース世界に入るきっかけとなったワークス・チーム出場するようになった初期55年アイルランドにおけるTTレーススピン負傷した。だが、このレース以降は自らのミスによるクラッシュ一度も起こさなかった。したがって完走率が高く、おもなレース優勝だけ数えてルマンセブリングで各4回、さらにタルガ・フロリオとツール・ド・フランス3回ずつをあげることができる。ミレ・ミリアでは優勝こそないが、57年にはフェラーリ250GTで並みいる大排気量のレーシング・スポーツに伍して3位入賞高い評価受けた

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

オリビエ・ジャンドビアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 08:58 UTC 版)

オリビエ・ジャンドビアン
Olivier Gendebien
ジャンドビアン(左)とエンジニアのジョット・ビッザリーニ(右)
基本情報
国籍 ベルギー
出身地 ブリュッセル
生年月日 1924年1月12日
没年月日 (1998-10-05) 1998年10月5日(74歳没)
F1での経歴
活動時期 1956年 - 1961年
過去の所属チーム スクーデリア・フェラーリ
エキップ・ナショナル・ベルジュ
ヨーマン・クレジット
UDTレイストール
出走回数 15(14スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 2
通算獲得ポイント 18
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1956年アルゼンチンGP
最終戦 1961年アメリカGP
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オリヴィエ・ジャンドビアンOlivier Gendebien1924年1月12日 - 1998年10月2日)は、ベルギーブリュッセル出身のレーシングドライバー[1]。「ゲンデビエン」と表記されている場合もある[2]

スポーツカー耐久レースの名手として知られ、ル・マン24時間レース総合優勝4回など輝かしい成績を収めた。

経歴

曽祖父(母方の祖母の父親)はベルギーの大手化学企業ソルベイの創業者エルネスト・ソルベイ[3]。ブリュッセルの裕福な家庭で育ち、貴族的な物腰を備え、陸上・馬術・スキー・テニスなど優れたスポーツマンでもあった[4]。大学生の頃に第二次世界大戦が始まると、ドイツ占領軍に抵抗するレジスタンスの一員として活動した[1]。その後イギリスへ脱出し、イギリス軍特殊空挺部隊 (SAS) のベルギー人パラシュート部隊に所属した[3]

終戦後の1948年にアフリカのベルギー領コンゴへ渡り、農業技師として土地開拓事業に関わった[3]。そこで荒れた未舗装路の運転技術を認められ、ラリードライバーのシャルル・フレキン (Charles Fraikin) に誘われ、ヨーロッパへ戻るとモータスポーツ活動を始めた[1]

1952年、フレキンのコ・ドライバーとしてジャガー・XK120に乗り、リエージュ-ローマ-リエージュ・ラリーに参加。1953年よりミッレミリアスパ24時間、ニュルブルクリンク1000kmなどのスポーツカーレースにも参戦し、スパ・フランコルシャンのカップ戦でフェラーリ・166MMをドライブして初優勝した。

1955年、ル・マン24時間に初出場し総合5位。ドロミテ杯ではメルセデス・ベンツ 300SLを駆り、フェラーリのワークスマシンを破って優勝。これがきっかけでフェラーリに抜擢され、RAC ツーリスト・トロフィーの遠征メンバーに加わったが、予選中のクラッシュで負傷し欠場した。

1966年はフェラーリのレギュラードライバーに定着し、F1デビュー戦のアルゼンチンGPで5位入賞。その後はおもにスポーツカーレースの戦力として重用され、世界選手権シリーズを戦うワークスチーム(スクーデリア・フェラーリ)やベルギーのフェラーリ系ディーラーチーム(エキュリー・フランコルシャンやエキュリー・ナショナル・ベルジュ)で数多くのレースに出走した。

1957年はメジャーレースのランス12時間 (12 Hours of Reimsとツール・ド・フランス (Tour de Franceフェラーリ・250をドライブして優勝。1958年はフェラーリ・250TRをドライブし、ビッグイベントのタルガ・フローリオとルマン24時間を初制覇。ル・マンでコンビを組んだフィル・ヒルとは”車を丁寧に扱う”という耐久レース向きなセンスが共通しており、名コンビとして定着する。1959年はセブリング12時間で初優勝。

1960年はフェラーリからポルシェへ移籍し、セブリング12時間を連覇。ル・マン24時間はフェラーリに復帰し、2度目の優勝を飾る。また、ヨーマン・クレジット・レーシング(BRP)のクーパークライマックスでF1に参戦し、地元ベルギーGPで3位初表彰台、続くフランスGPで2位と連続表彰台を獲得した(シリーズランキング6位)。

1961年はセブリング12時間(3連覇)、タルガ・フローリオ(2勝目)、ル・マン24時間(3勝目)という好成績を記す。F1はベルギーGPにスポット参戦し、フェラーリの1-4位独占(ヒル-フォン・トリップス-ギンサー-ジャンドビアン)に名を連ねた。

1962年はタルガ・フローリオ(3勝目)とニュルブルクリンク1000kmで優勝。そして、ル・マン24時間3連覇という偉業を残し38歳で引退した。ル・マン24時間通算4勝(ヒルとのコンビでは3勝)という記録は、1981年に同郷の後輩ジャッキー・イクスに破られるまで個人最多勝記録として残った。

1998年、ベルギー国王アルベール2世からベルギー王冠勲章 (Order of the Crownを贈られた[4]。同年10月2日、フランス南部タラスコンの自宅で死去。74歳没。

主な成績

スポーツカーレース

ル・マン24時間

エントラント コ・ドライバー マシン クラス 周回 総合順位 クラス順位
1955年 エキュリー・ナショナル・ベルジュ ヴォルフガング・ザイドル ポルシェ・550 RSスパイダー S
1.5
276 5位 2位
1956年 スクーデリア・フェラーリ モーリス・トランティニアン フェラーリ・625LM S
3.0
374 3位 2位
1957年 モーリス・トランティニアン フェラーリ・250TR S
5.0
109 DNF DNF
1958年 フィル・ヒル フェラーリ・250TR/58 S
3.0
305 1位 1位
1959年 フィル・ヒル フェラーリ・250TR/59 S
3.0
263 DNF DNF
1960年 ポール・フレール フェラーリ・250TR/59/60 S
3.0
314 1位 1位
1961年 SEFACフェラーリ フィル・ヒル フェラーリ・250TR/61 S
3.0
333 1位 1位
1962年 フィル・ヒル フェラーリ・330TRI/LM E
+3.0
331 1位 1位

F1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 WDC ポイント
1955年 エキップ・ナショナル・ベルジュ フェラーリ・625F1 フェラーリ 2.5L L4 ARG MON 500 BEL
DNA
NED GBR ITA NC 0
1956年 スクーデリア・フェラーリ フェラーリ・555F1 フェラーリ 2.5L L4 ARG
5
MON 500 BEL 23位 2
ランチア-フェラーリ・D50 ランチア 2.5L V8 FRA
Ret
GBR
DNA
GER ITA
1958年 スクーデリア・フェラーリ フェラーリ・246F1 フェラーリ 2.4L V6 ARG MON NED 500 BEL
6
FRA GBR GER POR ITA
Ret
MOR
Ret
NC 0
1959年 スクーデリア・フェラーリ フェラーリ・246F1 フェラーリ 2.4L V6 MON 500 NED FRA
4
GBR GER POR ITA
6
USA 15位 3
1960年 スクーデリア・フェラーリ フェラーリ・246F1 フェラーリ 2.4L V6 ARG
DNA
MON 500 NED 6位 10
ヨーマン・クレジット・レーシングチーム クーパー・T51 クライマックス 1.5L L4 BEL
3
FRA
2
GBR
9
POR
7
ITA USA
12
1961年 エキップ・ナショナル・ベルジュ エメリソン・Mk2 マセラティ L4 MON
DNQ
NED 14位 3
スクーデリア・フェラーリ フェラーリ・156F1 フェラーリ 1.5L V6 BEL
4
FRA GBR GER ITA
UDTレイストール・レーシングチーム ロータス・18/21 クライマックス 1.5L L4 USA
11

出典

  1. ^ a b c OLIVIER GENDEBIEN”. MOTORSPORTMAGAZINE.com 2020年7月8日閲覧。
  2. ^ 『ル・マンの英国車』p.68「1958」、p.80「1960」、p.86「1961」、p.94「1962」。
  3. ^ a b c Olivier Gendebien 12/1/1924 - 2/10/1998”. historicracing.com 2020年7月8日閲覧。
  4. ^ a b Olivier Gendebien”. Grandprix.com (1998年10月5日). 2020年7月8日閲覧。

参考文献

外部リンク

タイトル
先代
ロン・フロックハート
アイバー・ビューブ
ル・マン24時間歴代勝者
1958年 with:
フィル・ヒル
次代
キャロル・シェルビー
ロイ・サルヴァドーリ
先代
ロイ・サルヴァドーリ
キャロル・シェルビー
ル・マン24時間歴代勝者
1960
with:
ポール・フレール
次代
オリヴィエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
先代
オリヴィエ・ジャンドビアン
ポール・フレール
ル・マン24時間歴代勝者
1961年 with:
フィル・ヒル
次代
オリヴィエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
先代
オリヴィエ・ジャンドビアン
フィル・ヒル
ル・マン24時間歴代勝者
1962年 with:
フィル・ヒル
次代
ルドヴィコ・スカルフィオッティ
ロレンツォ・バンディーニ


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