オリビエ・ジャンドビアン(ベルギー)
ロードレースが、その最後の輝きを放っていた時代に、その主役を演じつづけた耐久レースの名手。第2次世界大戦中はパルチザンとして活動、戦後はベルギー領のコンゴにいたが、ベルギー人、フレイキンに誘われて、1952年のリエージュ~ローマ~リエージュ・ラリーのナビゲーターとして参加。それがレースの世界に入るきっかけとなった。ワークス・チームで出場するようになった初期、55年のアイルランドにおけるTTレースでスピン、負傷した。だが、このレース以降は自らのミスによるクラッシュは一度も起こさなかった。したがって完走率が高く、おもなレースの優勝だけ数えてもルマン、セブリングで各4回、さらにタルガ・フロリオとツール・ド・フランスの3回ずつをあげることができる。ミレ・ミリアでは優勝こそないが、57年にはフェラーリ250GTで並みいる大排気量のレーシング・スポーツに伍して3位に入賞、高い評価を受けた。
- Oilvier Gendebienのページへのリンク